オイルショックの波紋とル・マン24時間挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 01:17 UTC 版)
「高橋晴邦」の記事における「オイルショックの波紋とル・マン24時間挑戦」の解説
1973年(昭和48年)の秋に中近東アラブ諸国間の紛争に端を発する石油危機(オイルショック)が発生。世界的にモータースポーツ活動の自粛が叫ばれ、1974年(昭和49年)2月初旬にはTMSC-Rが活動休止を表明。事実上、トヨタのワークス・レース活動が消滅することになった(再開は約15年後)。海外レースへの挑戦を視野に入れていた高橋のプロレーサーとしての5年余の活動は事実上ここで終了する。オイルショック明けの1974年(昭和49年)7月、富士1000km(ショートコース = 30度バンクを使わない後の標準仕様)では、かつての僚友・鮒子田寛に請われて彼のシェブロン・フォードをドライブし、同コンビが総合優勝し、前年に次いでの富士1000km連覇となる。レーサーとして日本での参戦はこれが最後となった。その後、シグマの加藤真から誘われ、1974年(昭和49年)と1975年(昭和50年)のル・マン24時間レースに参戦。シグマMC74・マツダロータリーを岡本安弘/寺田陽次朗とのトリオで駆った1974年(昭和49年)は、最後まで走ったものの義務周回数不足のため完走扱いにならず。シグマMC75・トヨタターボを鮒子田とのコンビで臨んだ75年はオイルポンプ不調のため前半でリタイアした。
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