鮒子田寛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 14:04 UTC 版)
| 鮒子田 寛 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| フルネーム | ふしだ ひろし | 
| 国籍 |   | 
    
| 出身地 | 京都府京都市下京区仏光寺 | 
| 生年月日 | 1946年3月10日(79歳) | 
| F1での経歴 | |
| 活動時期 | 1975 | 
| 過去の所属チーム | '75 マキ | 
| 出走回数 | 2 | 
| タイトル | 0 | 
| 優勝回数 | 0 | 
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 | 
| 通算獲得ポイント | 0 | 
| ポールポジション | 0 | 
| ファステストラップ | 0 | 
| 初戦 | 1975年イギリスGP | 
| 最終戦 | 1975年オランダGP | 
鮒子田 寛(ふしだ ひろし、1946年3月10日 - )は、日本の元レーシングドライバー。日本人で初めてF1やル・マン24時間レースに参戦したドライバーとして名を残している。生沢徹や風戸裕などと並び、海外レース挑戦のパイオニア的ドライバーと評されている。現在は童夢顧問、日本自動車レース工業会顧問としてレース業界に関わっている。京都府京都市下京区仏光寺出身[1]。同志社中学校・高等学校、同志社大学法学部卒[2]。
経歴
大学時代
同志社大学在学中の1964年秋ごろから、同志社中学校からの友人・林みのるや横山靖史らとともにホンダ・S600を駆って鈴鹿サーキットでスポーツ走行を開始する。この頃、鈴鹿サーキットで浮谷東次郎と出会う。
ワークスドライバー時代
翌1965年にホンダの契約ドライバーに抜擢され、S600でレースに参加。1966年に20歳の若さでトヨタの一軍チームである自工ワークス『チームトヨタ』のドライバーになり、福沢幸雄らとともにトヨタ・2000GTにて72時間スピードトライアルに挑戦、計16の世界速度・国際速度記録を樹立。その後、1600GT、2000GTで耐久レースを中心に活躍。1968年以降は3リッター、5リッタートヨタ7で日本グランプリや日本Can-Amなどのビッグレースに出場、優勝などの好成績を収める。
ワークス離脱後
1970年にトヨタワークスを離脱、アメリカに渡りフォーミュラAレース(ヨーロッパにおけるF5000に相当)に参戦。翌1971年にもアメリカでTrans-Amシリーズに参戦するが、車両トラブルによる事故で重傷を負い帰国。
1972年から富士グランチャンピオンレース(富士GC)に本格的に参戦し、同年の年間チャンピオンになる。以後は富士GCなどの国内レースを中心に活動するが、海外レースにも参戦した。
F1とル・マン24時間レース
1975年にはマキ・フォードをドライブし、F1イギリスGPとオランダGPにエントリーしたが、ともに予選落ちでF1の決勝出場の記録は残していない。前年の1974年、高原敬武がF1のノンチャンピオンシップ戦に出場しているが、チャンピオンシップがかかったF1レースに日本人として初めてエントリーしたのは鮒子田である。
また1973年には生沢徹とともに日本人で初めてル・マン24時間レースに参戦(マシンはシグマ・MC73)。ル・マンには1975年(シグマ・MC75)、1981年(マツダ・RX-7)と計3回の出場を果たすが、いずれもマシントラブルで完走はない。
引退
1975年にはオーストラリア最大のレース、バサースト1000kmレースにて日本人初の総合5位クラス優勝(マツダ・サバンナRX-3)を飾った。1981年いっぱいで現役を引退。
ドライバー引退後
引退後一時はレース界を離れ、家業の手伝いをしていたという。
1986年に、林みのるが率いる童夢に加入。1989年にはトムスに移籍し、レーシングチーム(トヨタ・チーム・トムス)のチーム監督を務める。その後1992年にイギリスに渡りトムスGBの社長として、トヨタのル・マン参戦の指揮を執る。
1998年にトムスGBがアウディに買収されレーシング・テクノロジー・ノーフォーク(RTN)となったのに伴い「残務処理のため」としてRTNジェネラルマネージャーに就任。しかしマネージャーとしての手腕を買われ、結局2003年までRTNの役員を務め、VWグループのベントレーのル・マンレース車両開発責任者としてベントレー・スピード8開発を統括、2003年ル・マン24時間レース制覇に貢献した。
2003年に帰国しINGINGのF3チーム監督に就任。2004年にはINGINGが全日本F3選手権において、プライベートチームとして12年ぶりとなる、ドライバー・チームチャンピオンを獲得した。2007年1月には童夢に復帰し、同社取締役に就任しル・マン参戦等のレース活動を指揮。2009年童夢を退社、その後、ル・マン用エンジン開発等を行っているエイムの顧問に就任。2011年より、日本自動車レース工業会(JMIA)の顧問としてレース業界の発展・振興に務める。
2012年9月には林みのるの求めに応じる形で、童夢の2代目代表取締役社長に就任したが[3]、2015年7月に社長を退き副社長となった[4]。その後副社長も退き、2017年10月現在は同社顧問。
レース戦績
FJ1300
| 年 | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1973年 | ESSO ノバ・01 | TSU | FSW 3  |  
     FSW | TSU | SUZ 2  |  
     SUZ 3  |  
     TSU Ret  |  
     TSU | SUZ | TSU | 位 | |
| 1974年 | マーチ・743 | SUZ | FSW | SUZ 1  |  
     SUZ Ret  |  
     SUZ 5  |  
     SUZ Ret  |  
     位 | |||||
| 1975年 | マーチ・743 無限ホンダ | SUZ | SUZ | SUZ | FSW | FSW | NIS | SUZ 2  |  
     SUZ | 位 | 
ル・マン24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1973年 | シグマ・MC73-マツダ | S 2.5  |  
     79 | DNF | DNF | ||
| 1975年 | シグマ・MC75-トヨタ | S 3.0  |  
     37 | DNF | DNF | ||
| 1981年 | マツダ・RX-7 | IMSA GTO  |  
     25 | DNF | DNF | 
F1
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | WDC | ポイント | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1975年 | マキ | F101C | ARG | BRA | RSA | ESP | MON | BEL | SWE | NED DNS  |  
     FRA | GBR DNQ  |  
     GER | AUT | ITA | USA | NC (50位)  |  
     0 | 
(key)
全日本F2000選手権
| 年 | チーム | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1974年 | NISCAIT RACING | ブラバム・BT40 コスワースBDA | SUZ | SUZ | SUZ | SUZ 6  |  
     NC | 0 | ||||
| 1975年 | フシダ・レーサーズ | マーチ・752 BMW M12/6 | FSW 4  |  
     SUZ Ret  |  
     FSW 3  |  
     SUZ 6  |  
     SUZ DNS  |  
     7位 | 26 | |||
| 1976年 | エンケイレーシング | マーチ・752 BMW M12/6 | FSW 6  |  
     SUZ 6  |  
     FSW 7  |  
     SUZ 9  |  
     SUZ 7  |  
     7位 | 20 | |||
| 1977年 | フシダ・レーサーズ | マーチ・752 BMW M12/7 | SUZ | SUZ | NIS | SUZ | FSW Ret  |  
     FSW | SUZ | SUZ | NC | 0 | 
脚注
- ^ 海外に挑んだ日本人レーサー鮒子田寛生まれる【今日は何の日?3月10日】 Cliccar 2022年3月10日
 - ^ “Facebook”. www.facebook.com. 2024年7月4日閲覧。
 - ^ 社長交代のお知らせ - 童夢・2012年8月31日
 - ^ 7月15日付 新体制のお知らせ - 童夢・2015年6月30日
 
外部リンク
固有名詞の分類
- 鮒子田寛のページへのリンク