鮑防
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鮑 防(ほう ぼう、722年 - 790年)は、唐代の官僚・軍人・詩人。字は子慎。本貫は襄州襄陽県。
経歴
唐昌県丞の鮑思温の子として生まれた。幼くして父を失い、貧苦の中にあったが、志篤くして学問を好み、文章を作るのを得意とした。詩を最も得意とし、中書舎人の謝良弼と仲が良く、当時に鮑謝と号された。天宝末年、進士に及第し、太子正字に任じられた。浙東観察使の薛兼訓の下で従事となり、節度使の属僚を歴任した。入朝して職方員外郎となった。大暦11年(776年)、河東節度使の薛兼訓が太原で病にかかると、鮑防は太原少尹・河東節度行軍司馬に転じた。まもなく河東節度留後となった。大暦13年(778年)、回紇と陽曲で戦って敗れた。入朝して御史大夫となり、福建・江西観察使を歴任した。長安に召し出されて左散騎常侍の位を受けた。建中4年(783年)、徳宗に従って奉天に避難し、礼部侍郎に任じられ、東海郡公に封じられた。京兆尹に任じられ、右武衛上将軍に上った。ほどなく工部尚書に転じて致仕した。
貞元6年(790年)8月、洛陽の私邸で死去した。享年は69。太子少保の位を追贈された。諡は宣といった。
伝記資料
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