マキ・F101とは? わかりやすく解説

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マキ・F101

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/04 05:55 UTC 版)

マキ・F101
カテゴリー F1
コンストラクター マキ
デザイナー 三村建治
小野昌朗
後継 マキ・F102A
主要諸元
エンジン フォード・コスワースDFV
主要成績
チーム マキエンジニアリング
ドライバー ハウデン・ガンレイ
鮒子田寛
トニー・トリマー
出走時期 1974年 - 1975年
通算獲得ポイント 0
初戦 1974年イギリスGP
最終戦 1975年イタリアGP
出走
7(決勝出走なし)
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マキ・F101 (Maki F101) は、日本のコンストラクター、マキが開発した純国産フォーミュラ1カー1974年1975年に使用された。デザインはチーム代表の三村建治シャーシ設計は小野昌朗がおこなった。

概要

1974年初頭のF1参戦発表時は、大型のスポーツカーノーズと大型のサイドポンツーンを備えていた[1]。このタイプの通称はF101A。小野昌朗は「F101の設計の際、ティレルデレック・ガードナーにコンセプトの相談をした。スポーツカーノーズでフロントタイヤをカバーし、カウル全体で気流を整えるコンセプトに関し、F101とティレル・P34はよく似ている。もしかしたらガードナーはマキに影響されたのかも知れない」と述べている[2]

1974年途中から実戦投入された。事前のテストでカウルが大きく重すぎると判明したため大幅に改良が加えられ、ウイングノーズのオーソドックスなボディ形状に改められた(改良型の通称はF101B)。初年度の1974年のボディカラーは純白で、コクピットカウルやインダクションポッドに大きな赤い丸(日の丸)が入っていた(F1における日本のナショナルカラー)。

翌1975年はシチズン時計のスポンサードを受け、ボディ色は当時シチズンのイメージカラーだった青になった(通称はF101C)。小野昌朗は「F101Cと呼ばれているが、中味はF101Bのまんま」と述べている[2]

タイヤは1974年はファイアストンを、1975年はグッドイヤーを用いた。

記録

1974年

マシン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
1974 F101B F
25 ハウデン・ガンレイ DNQ DNQ

1975年

マシン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
1975 F101C G
35 鮒子田寛 DNS DNQ
35 トニー・トリマー DNQ DNQ DNQ
  • DNSは決勝不出走、DNQは予選不通過。

備考

1975年のスイスGP(ノンタイトルレース。名称はスイスだがフランスで開催)で、F101Cがトリマーのドライブにより13位完走を果たしている[2]

脚注

  1. ^ 八重洲出版オールドタイマー」2017年2月号
  2. ^ a b c 「オールドタイマー」2017年2月号

関連項目

外部リンク




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