長谷見昌弘(日本)
1961年にモトクロスでデビュー。65年に日産の契約ドライバーとして4輪レースに転向。デビュー戦のツーリングカーレースでブルーバード(410型)を駆り優勝。68年から2年間、トッププライベートチームのタキ・レーシングに所属しポルシェ910やローラT70で活躍。70年に日産ワークスに復帰、フェアレディZやスカイラインGT-Rなどで優勝多数。73年からは富士GCや全日本FJ1300、75年からは全日本F2にも参戦。74年に富士GC チャンピオン、74~75年には全日本FJを連覇。75年の日本GP(F2)で優勝。76年のF1イン・ジャパンでは国産のコジマKE007を駆り、予選で好タイムをマークして注目された。海外レースでの大金星は、92年のデイトナ24時間レースで日産R91CPを優勝に導いたこと。また、Gr.A時代のスカイラインで、89、90、91年の全日本ドライバーズタイトルも手中に収めた。2000年代初めまで現役として活躍した。多くのタイトルを獲得した。

長谷見昌弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/10 00:53 UTC 版)
| 長谷見 昌弘 | |
|---|---|
| |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 同・東京都青梅市 |
| 生年月日 | 1945年11月13日(80歳) |
| F1での経歴 | |
| 活動時期 | 1976 |
| 所属チーム | '76 コジマ |
| 出走回数 | 1 |
| 優勝回数 | 0 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| 初戦 | 1976年F1世界選手権イン・ジャパン |
| 最終戦 | 1976年F1世界選手権イン・ジャパン |
長谷見 昌弘(はせみ まさひろ、英: Masahiro Hasemi 、1945年11月13日 - )は、日本の元レーシングドライバーで、現・有限会社ハセミモータースポーツ代表。東京都青梅市出身。東京都立八王子工業高等学校卒業。
経歴
15歳のときに全日本モトクロスレースへ参戦しレースデビューする。黒澤元治とともに城北ライダースにも加入した[1]。
1964年四輪レーシングドライバーとなり日産・大森ワークスに所属、デビュー戦を勝利で飾る。その後は日産を離れフリー(タキ・レーシング所属)になった事もあるが、後に日産・追浜ワークスに復帰しており、基本的には日産系ドライバーと見なされている。1970年代から1990年代にかけて、長く日本のトップドライバーとして活躍を続けた。
1973年にはイギリスサルーンカー選手権(現:イギリスツーリングカー選手権)にダットサンUKからスポット参戦。
1976年のF1世界選手権・イン・ジャパンにコジマからスポット参戦。予選1回目で4位となり、F1にレギュラー出場している海外トップチームを驚愕させた。2回目セッションでポールポジションを狙って乾坤一擲のアタックを試みるが、惜しくも最終コーナーでコースアウト、クラッシュを喫してしまう。原因はサスペンショントラブルだった。マシンはほぼ全損といっていい状況であったが、コジマのスタッフだけではなく他チームの関係者もボランティアでマシン修復を手伝い、決勝レースまでには走れる状態にまで再生された。しかし急ごしらえのマシンだけに細部のセッティングなどは事故前のコンディションに程遠く、10番グリッドからスタートしたレースでは25周目にファステストラップ(のち取消。後述)を記録し完走を果たすも、7周遅れの11位にとどまった。
1977年にはマカオグランプリに参戦を開始。1980年には当時日本人史上最高位となる2位表彰台を、1982年にはポールポジションを獲得するなど活躍。
1980年に国内レース史上初の4冠を達成[2]。1992年のデイトナ24時間レースにおいて、林義正と水野和敏が率いる日産ワークスで、星野一義、鈴木利男と共に日本人ドライバーによる日本車初優勝を成し遂げる。
サーキット以外では、エビスサーキットで15年ほど日産のラリー車両開発に関わった他、ダカール・ラリーやラリー・モンゴリアにも参戦した[3]。ダカールは1997-1998年に日産車をドライブし、'97年は総合27位完走、'98年はリタイアに終わった[4]。
2000年5月23日、同年での全日本GT選手権ドライバーからの引退を表明[5]。その後はハセミモータースポーツの代表・監督として全日本GT選手権→SUPER GTでチーム指揮を執った。
チームは2010年にSUPER GTのGT300クラスチャンピオンを獲得したが、2011年にハセミモータースポーツとしてのSUPER GT参戦を休止すると発表[6]。同年4月30日、NISMOが結成したNDDP RACINGの監督として、全日本F3選手権ナショナルクラスに参戦することになった[7]。
2012年にはF3選手権の他SUPER GTのGT300クラスに同チームからFIA-GT3仕様のGT-Rで参戦。2018年はNDDP Racing with B-MAXがGT500クラスに昇格、引き続き長谷見を監督として起用することになった[8]。長谷見個人としては9年ぶりのGT500クラス復帰となった。2018年のシーズン終了後にNDDPの監督を退任、その後はNISMOの名誉顧問を務めている[9]。
4輪レース引退後も、プライベートで2輪エンデューロやラリーへの参戦を続けている。1993年開催のレイドカムロでは、750人の参加者中60人しか完走できなかった厳しい条件の本格的2輪エンデューロレースで優勝を果たし、関係者の間で話題になった。
2023年3月2日、日本プロスポーツ大賞スポーツ功労者顕彰を受賞した[10]。
スカイラインとの関わり
長谷見は、幻のマシンとなった日産・R383の開発要員としてタキ・レーシングから日産へ戻ったが、公害対策などの社会的要因で開発が中止されるとスカイラインGT-R(KPGC10型)によるレース活動に注力。数々のレースで活躍した。
日産がワークス活動を停止した時期も、プライベーターのハセミモータースポーツとして活動を続けていたが、「レースで走るスカイラインが見たい」との思いをプリンス自販(当時)の社員から聞いた長谷見は、プリンス自販の社員に一枚1000円程度の「日産プリンス・ディーラーズ・クラブ(NISSAN・PDC)」のステッカーを購入してもらうことでレース活動の資金を得て、追浜の研究所から当時PA10型バイオレットのグループ5仕様車に搭載されていたLZ20B型エンジンをレンタルし、シャシー設計は東京R&Dに依頼してスカイラインのグループ5仕様を作る計画を立てたところ、追浜研究所の予想以上の支援が得られた結果、日産ワークスとして活動することになる。
ただし紆余曲折を経て、結局国内用のマシンは追浜ではなく大森ワークスが管轄することになり、同時に車両製作はノバエンジニアリング、デザインは由良拓也が行う形に体制も変更された。このとき「スカイラインだけじゃだめだ」との本社の意向で、同時にシルビア(S110型)、ブルーバード(910型)のグループ5仕様車も製作することが決まり、ここに「日産スーパーシルエット軍団」が形成された。ところがスカイラインは実戦投入が一番遅くなり、1982年5月に筑波サーキットでのレースでデビューしたものの初戦はリタイアに終わり、次戦の富士スピードウェイでのレースで初優勝を飾った。
この時の模様が長谷見は印象深かったようで、「スカイラインが最終コーナーを立ち上がると、お客さんが総立ちになっているんですよ。あれを見たら、ああスカイラインで走ってよかったなぁって思いましたね。」と語っている。以降もスカイラインがレース活動をする際は必ずステアリングを握ってきたことから、「スカイライン=長谷見昌弘」とイメージするファンも少なくない。
一方で追浜と東京R&Dでは海外遠征用のマシンを仕立てることになり、こちらはグループ5を経てグループCのマシンである日産・スカイラインターボCとなって結実した。これは後の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)における日産ワークスの系譜の端緒を飾るマシンである。
ちなみに、長谷見が一番好きなスカイラインは「ハコスカのGT-R(KPGC10型)のレース仕様車」とのことで、「弱オーバーで乗りやすくて楽しいクルマでしたよ」と語る。
トミカ
玩具メーカーのタカラトミーは長年にわたる長谷見のスポンサーであり、彼の乗るマシンには同社が販売するミニカーブランド「トミカ」のロゴが必ずというほど貼られていた。「長谷見とトミカ」は、「星野一義とカルソニック」「中嶋悟とEPSON・PIAA」と同じく、長年のパートナーとして広く認識されている。2009年の自身のチームのマシンのカラーリングがかつてのフォーミュラシリーズを彷彿とさせるものとなったことも、長年スポンサーを務めてくれたトミカへの感謝の気持ちからであった。
元々はモータースポーツ好きのトミー社員が長谷見の走りに魅せられたことが始まりで、トミー側から持ちかけられたスポンサードであった。長谷見の現役引退後もハセミモータースポーツの主要スポンサーの1社として名を連ね、チームの活動休止までマシンにはロゴが貼られていた。また、これまで長谷見が乗ったマシンやハセミモータースポーツのマシンのほとんどをトミカで製品化しているのも大きな特徴である[11]。
F1のファステストラップ
1976年のF1世界選手権・イン・ジャパンで長谷見は25周目にファステストラップ1分18秒23を記録したと発表されたが、数日後に計測ミスであることが判明した[12]。ウェットコンディションの中、長谷見は24周目終わりにピットインし、別のウェットタイヤに交換して25周目に向かっており、ピットインのロスタイムを含めて1分18秒台で走行できる状況ではなかった。国内メディア関係者へは訂正のリリースが配布され、ファステストラップはジャック・ラフィットが70周目にドライタイヤで記録した1分19秒97であるとされた。F1の公式記録を管理するFormula One Administration Ltdのサイトでは、長らく長谷見の1分18秒230であるとしていたが、1980年代終盤にラフィットへと変更されている[13]。
略歴
| 年 | シリーズ | チーム | レース | 優勝 | PP | FL | 表彰台 | ポイント | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1966 | 全日本ドライバー選手権 - T-I | SCCN | 3 | 1 | 1 | 0 | 1 | ? | ? |
| 1967 | 全日本ドライバー選手権 - T-II | SCCN | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ? | ? |
| 日本グランプリ - GT | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | N/A | 2位 | ||
| 1968 | 全日本ドライバー選手権 - S-II | タキ・レーシングチーム | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | ? | ? |
| 日本グランプリ - GP-IV | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | ||
| 1969 | 日本グランプリ - GP-V | タキ・レーシング・オーガナイゼーション | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF |
| 1970 | 富士1000km - TS-III | PMC・S | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | N/A | 1位 |
| 1971 | 全日本ドライバー選手権 - T-II | PMC・S | 4 | 3 | 3 | 0 | 3 | ? | 1位 |
| 1972 | 全日本ドライバー選手権 - T-II | SCCN | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | ? | ? |
| 1973 | 全日本FJ1300選手権 | コジマエンジニアリング | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ? | ? |
| イギリスサルーンカー選手権 - ClassB | ダットサンUK | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | ? | ? | |
| 1974 | 全日本FJ1300選手権 | コジマエンジニアリング | 5 | 3 | 2 | 0 | 4 | ? | 1位 |
| 全日本F2000選手権 | 3 | 1 | 1 | 0 | 2 | 20 | 2位 | ||
| 1975 | 全日本FJ1300選手権 | コジマエンジニアリング | 5 | 5 | 4 | 0 | 5 | ? | 1位 |
| 全日本F2000選手権 | 酒井レーシングチーム | 4 | 2 | 1 | 0 | 2 | 45 | 3位 | |
| コジマエンジニアリング | |||||||||
| 1976 | 全日本FJ1300選手権 | コジマエンジニアリング | 4 | 1 | 1 | 0 | 3 | ? | ? |
| 全日本F2000選手権 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 52 | 2位 | ||
| フォーミュラ1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 34位 | ||
| 1977 | 全日本F2000選手権 | コジマエンジニアリング | 5 | 1 | 0 | 0 | 2 | 46 | 4位 |
| プライベートハセミ | |||||||||
| 1978 | 全日本F2選手権 | トミカレーシング | 7 | 1 | 1 | 0 | 4 | 72 | 2位 |
| 全日本フォーミュラ・パシフィック選手権 | ? | 5 | 4 | 3 | 0 | 4 | 48 | 1位 | |
| マカオグランプリ | Honest Datsun | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 4位 | |
| 1979 | 全日本F2選手権 | トミカレーシング | 7 | 1 | 1 | 0 | 2 | 55 | 5位 |
| 全日本フォーミュラ・パシフィック選手権 | ? | 6 | 2 | 4 | 0 | 3 | 49 | 3位 | |
| マカオグランプリ | 三陽機器Honest Datsun | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | |
| マカオグランプリ - ギアレース | Honest Datsun | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | N/A | 2位 | |
| 1980 | 全日本F2選手権 | トミカレーシング | 6 | 2 | 2 | 0 | 5 | 71 | 1位 |
| 全日本フォーミュラ・パシフィック選手権 | ハセミレーシング | 8 | 6 | 4 | 0 | 8 | 80 | 1位 | |
| マカオグランプリ | Honest Datsun | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | N/A | 2位 | |
| 1981 | 全日本F2選手権 | トミカレーシング | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22 | 9位 |
| 全日本フォーミュラ・パシフィック選手権 | ハセミモータースポーツ | 8 | 2 | 1 | 0 | 5 | 82 | 3位 | |
| バサースト1000 | 日産自動車 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | |
| マカオグランプリ | Dah Chong Chong | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | |
| 1982 | 全日本フォーミュラ・パシフィック選手権 | ハセミモータースポーツ | 10 | 0 | 2 | 0 | 4 | 70 | 4位 |
| オーストラリア耐久選手権 - ClassB | 日産・モータースポーツ・オーストラリア | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 14位 | |
| マカオグランプリ | ? | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | N/A | 13位 | |
| 1983 | 全日本耐久選手権 - C | ハセミモータースポーツ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC |
| 世界耐久選手権 - C | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | ||
| 1984 | 全日本F2選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 39 | 6位 |
| 全日本耐久選手権 - C1 | ハセミモータースポーツ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | |
| 世界耐久選手権 - C1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | ||
| 1985 | 全日本F2選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 37 | 8位 |
| 全日本ツーリングカー選手権 - Div.3 | NISMOスポーツ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 72位 | |
| 全日本耐久選手権 - C1 | ハセミモータースポーツ | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 25位 | |
| 世界耐久選手権 - C1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 71位 | ||
| 1986 | 全日本F2選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28 | 9位 |
| 全日本ツーリングカー選手権 - Div.3 | ハセミモータースポーツ | 6 | 1 | 3 | 0 | 3 | 59.5 | 9位 | |
| 全日本耐久選手権 - C1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 1 | 15 | 24位 | ||
| 世界スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | NISMO | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | |
| ハセミモータースポーツ | |||||||||
| 1987 | 全日本F3000選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 38 | 7位 |
| 全日本ツーリングカー選手権 - Div.3 | ハセミモータースポーツ | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 23 | 43位 | |
| 全日本スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 41位 | ||
| 世界スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | NISMO | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | |
| ハセミモータースポーツ | |||||||||
| 1988 | 全日本F3000選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 9位 |
| 全日本ツーリングカー選手権 - JTC-1 | ハセミモータースポーツ | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 33 | 40位 | |
| 全日本スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | NISMO | 6 | 0 | 1 | 0 | 2 | 30 | 11位 | |
| 世界スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | ||
| 1989 | 全日本F3000選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 8 | 1 | 1 | 0 | 2 | 22 | 4位 |
| 全日本ツーリングカー選手権 - JTC-1 | ハセミモータースポーツ | 6 | 3 | 2 | 0 | 4 | 161 | 1位 | |
| マカオグランプリ - ギアレース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 4位 | ||
| 全日本スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | NISMO | 6 | 0 | 2 | 0 | 1 | 24 | 13位 | |
| 世界スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | ||
| ル・マン24時間 - C1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | ||
| 1990 | 全日本F3000選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 12位 |
| 全日本ツーリングカー選手権 - JTC-1 | ハセミモータースポーツ | 6 | 1 | 2 | 1 | 5 | 160 | 3位 | |
| マカオグランプリ - ギアレース | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | N/A | 1位 | ||
| 全日本スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | NISMO | 5 | 2 | 2 | 0 | 3 | 67 | 1位 | |
| 世界スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 20位 | ||
| ル・マン24時間 - C1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 5位 | ||
| 1991 | 全日本F3000選手権 | スピードスターホイールレーシングチーム | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 21位 |
| 全日本ツーリングカー選手権 - JTC-1 | ハセミモータースポーツ | 6 | 3 | 0 | 1 | 5 | 200 | 1位 | |
| マカオグランプリ - ギアレース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 4位 | ||
| 全日本スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | NISMO | 7 | 0 | 1 | 0 | 3 | 51 | 6位 | |
| 1992 | 全日本ツーリングカー選手権 - JTC-1 | ハセミモータースポーツ | 8 | 2 | 1 | 0 | 5 | 110 | 1位 |
| マカオグランプリ - ギアレース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | ||
| 全日本スポーツプロトタイプカー選手権 - C1 | NISMO | 6 | 1 | 3 | 0 | 1 | 68 | 5位 | |
| スパ・フランコルシャン24時間 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | ||
| デイトナ24時間 - LM | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | N/A | 1位 | ||
| 1993 | 全日本ツーリングカー選手権 | ハセミモータースポーツ | 9 | 1 | 0 | 0 | 2 | 89 | 7位 |
| 1994 | 全日本GT選手権 - GT1 | ハセミモータースポーツ | 5 | 1 | 1 | 0 | 2 | 56 | 2位 |
| 十勝24時間 - GT-1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | N/A | 1位 | ||
| 全日本ツーリングカー選手権 | NISMO | 16 | 0 | 0 | 0 | 2 | 76 | 6位 | |
| マカオグランプリ - ギアレース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | ||
| アジア・パシフィック・ツーリングカー選手権 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 12位 | ||
| 1995 | 全日本GT選手権 - GT1 | ハセミモータースポーツ | 6 | 1 | 2 | 0 | 2 | 61 | 2位 |
| 十勝24時間 - GT-1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 4位 | ||
| 全日本ツーリングカー選手権 | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 19 | 16位 | ||
| マカオグランプリ - ギアレース | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 6位 | ||
| 1996 | 全日本GT選手権 - GT500 | ハセミモータースポーツ | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 47 | 5位 |
| 十勝24時間 - GT-1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | N/A | 2位 | ||
| 全日本ツーリングカー選手権 | HKSオペルチームジャパン | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 24 | 14位 | |
| ル・マン24時間 - GT1 | NISMO | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 10位 | |
| 1997 | 全日本GT選手権 - GT500 | ハセミモータースポーツ | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 37 | 7位 |
| 1998 | 全日本GT選手権 - GT500 | ハセミモータースポーツ | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 37 | 5位 |
| 1999 | 全日本GT選手権 - GT500 | ハセミモータースポーツ | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 27 | 17位 |
| スーパー耐久 - Class1 | 日産プリンス千葉モータースポーツ | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | ? | 1位‡ | |
| 2000 | 全日本GT選手権 - GT500 | ハセミモータースポーツ | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 16位 |
| 鈴鹿1000km - GT500 | チーム・テイクワン | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | N/A | 2位 | |
| 2001 | ニュルブルクリンク24時間 - A6 | ファルケンモータースポーツ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 14位 |
- ‡チーム順位。
レース戦績
フォーミュラ
全日本FJ1300選手権
| 年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1973年 | コジマエンジニアリング | マーチ・733 | 日産 | TSU | FSW | FSW | TSU | SUZ | SUZ | TSU | TSU 11 |
SUZ Ret |
TSU | ||
| 1974年 | SUZ 2 |
SUZ 4 |
SUZ 1 |
SUZ 1 |
SUZ 1 |
1位 | |||||||||
| 1975年 | SUZ 1 |
SUZ 1 |
TSU | SUZ 1 |
FSW 1 |
FSW | NIS | SUZ | SUZ 1 |
1位 | |||||
| 1976年 | マーチ・753 | SUZ 2 |
FSW 5 |
SUZ | SUZ 1 |
SUZ 2 |
|||||||||
全日本F2000選手権/全日本F2選手権/全日本F3000選手権
全日本フォーミュラ・パシフィック選手権
| 年 | 所属チーム | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1978年 | 日産 | TSU 1 |
FSW 1 |
TSU Ret |
TSU 1 |
SUZ 1 |
1位 | 48 | ||||||||
| 1979年 | TSU 1 |
TSU 1 |
FSW Ret |
TSU 2 |
TSU 6 |
SUZ NC |
3位 | 49 | ||||||||
| 1980年 | ハセミレーシング | SUZ 1 |
TSU 1 |
FSW 2 |
TSU 1 |
TSU 1 |
TSU 2 |
SUG 1 |
SUZ 1 |
1位 | 80 | |||||
| 1981年 | ハセミモータースポーツ | TSU Ret |
NIS 1 |
FSW 2 |
TSU | TSU 3 |
TSU 4 |
SUZ DNS |
SUG 3 |
SUZ 1 |
3位 | 82 | ||||
| 1982年 | D | TSU 4 |
NIS 4 |
SUG 2 |
TSU Ret |
TSU Ret |
TSU 2 |
FSW Ret |
SUZ 4 |
SUG 2 |
NIS 2 |
SUZ | 4位 | 70 |
マカオグランプリ
| 年 | チーム | シャーシー/エンジン | 予選 | レース1 | レース2 | 総合順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1979年 | シェブロン・B40 日産・LZ14 | 8位 | 位 | 位 | Ret | |
| 1980年 | マーチ・782 日産・LZ14 | 2位 | 位 | 位 | 2位 | |
| 1981年 | マーチ・81A 日産・LZ14 | 5位 | Ret | |||
| 1982年 | ラルト・RT4 日産・LZ14 | 1位 | 13位 |
フォーミュラ1
| 年 | 所属チーム | 車番 | ランキング | 獲得ポイント | 出走回数 | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 | FL記録回数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976年 | コジマ | 51 | 34位 | 0 | 1回 | 11位・1回 | 0回 | 10位・1回 | 0回 |
| 通算:1年 | 0 | 1回 | 11位・1回 | 0回 | 10位・1回 | 0回 | |||
| 年 | 所属チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976年 | コジマ | KE007 | フォード・DFV | D | BRA | RSA | USW | ESP | BEL | MON | SWE | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | CAN | USA | JPN 11 |
NC (34位) |
0 |
ツーリングカー
全日本ドライバー選手権
| 年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1966年 | SCCN | 日産・ブルーバードSS | T-Ⅰ | FNB | SUZ | FSW 1 |
FNB 5 |
SUZ 4 |
||||
| 1967年 | 日産・ブルーバードSSS | T-Ⅱ | FNB | FNB | SUZ | FNB 13 |
SUZ | FSW 10 |
||||
| 1968年 | タキレーシング | ポルシェ・906 | S-Ⅱ | SUZ 1 |
FSW | SUZ | FSW | SUZ | FSW | |||
| 1971年 | PMC・S | 日産・スカイラインGT-R | T-Ⅱ | SUZ 1 |
SUZ Ret |
FSW 1 |
TSU 1 |
TSU | SUZ | 1位 | ||
| 1972年 | SCCN | 日産・ブルーバードSSS | T-Ⅱ | SUZ 1 |
SUZ | SUZ | FSW | SUZ | SUZ | FSW |
イギリス・サルーンカー選手権
| 年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1973年 | ダットサンUK Ltd | ダットサン・サニー | B | BRH | SIL | THR | THR | ING Ret |
BRH | SIL | BRH | NC | 0 |
全日本ツーリングカー選手権(JTC)
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1985年 | NISMO | 日産・スカイラインRSターボ | D | DIV-3 | SUG | TSU | NIS | SUZ | FSW 7 |
72位 | 4 | |||||
| 1986年 | ハセミモータースポーツ | D | DIV-3 | NIS 3 |
SUG 11 |
TSU 4 |
SEN 1 |
FSW 3 |
SUZ Ret |
9位 | 59.5 | |||||
| 1987年 | D | DIV-3 | NIS Ret |
SEN 9 |
TSU Ret |
SUG Ret |
FSW Ret |
SUZ 2 |
43位 | 23 | ||||||
| 1988年 | D | JTC-1 | SUZ 5 |
40位 | 33 | |||||||||||
| 日産・スカイラインGTS-R | D | NIS Ret |
SEN Ret |
TSU 8 |
SUG 5 |
FSW Ret |
||||||||||
| 1989年 | D | JTC-1 | NIS 4 |
SEN 2 |
TSU 1 |
SUG 1 |
SUZ 1 |
FSW Ret |
1位 | 161 | ||||||
| 1990年 | 日産・スカイラインGT-R | D | JTC-1 | SUG 2 |
SUZ 2 |
TSU 1 |
SEN Ret |
AUT 2 |
FSW 2 |
3位 | 160 | |||||
| 1991年 | D | JTC-1 | SUG 2 |
SUZ 1 |
TSU 1 |
SEN 2 |
AUT 1 |
FSW 4 |
1位 | 200 | ||||||
| 1992年 | D | JTC-1 | TAI 1 |
AUT 7 |
SUG 5 |
SUZ 2 |
MIN 1 |
TSU 4 |
SEN 3 |
FSW 2 |
1位 | 110 | ||||
| 1993年 | D | JTC-1 | MIN 2 |
AUT 4 |
SUG 4 |
SUZ 1 |
TAI 4 |
TSU 5 |
TOK 5 |
SEN Ret |
FSW 5 |
7位 | 89 |
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
| 年 | 所属チーム | 使用車両 | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994年 | NISMO | 日産・プリメーラ | B | OAR1 4 |
OAR2 2 |
SUG1 4 |
SUG2 2 |
TOK1 9 |
TOK2 8 |
SUZ1 6 |
SUZ2 8 |
MIN1 5 |
MIN2 Ret |
TAI1 5 |
TAI2 Ret |
TSU1 Ret |
TSU2 DNS |
SEN1 | SEN2 | FSW1 4 |
FSW2 5 |
6位 | 76 |
| 1995年 | ハセミモータースポーツ | B | FSW1 14 |
FSW2 13 |
SUG1 7 |
SUG2 11 |
TOK1 17 |
TOK2 11 |
SUZ1 13 |
SUZ2 Ret |
MIN1 13 |
MIN2 15 |
TAI1 11 |
TAI2 8 |
SEN1 15 |
SEN2 13 |
FSW1 3 |
FSW2 8 |
16位 | 19 | |||
| 1996年 | HKSオペルチームジャパン | オペル・ベクトラ | M | FSW1 8 |
FSW2 12 |
SUG1 Ret |
SUG2 8 |
SUZ1 10 |
SUZ2 9 |
MIN1 12 |
MIN2 15 |
SEN1 Ret |
SEN2 8 |
TOK1 8 |
TOK2 10 |
FSW1 8 |
FSW2 6 |
14位 | 24 |
アジア・パシフィック・ツーリングカー選手権
| 年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994年 | NISMO | 日産・プリメーラ | FSW 1 |
FSW 2 |
MAC 1 5 |
MAC 2 Ret |
SEN 1 |
SEN 1 |
WEL 1 |
WEL 2 |
CLD 1 |
CLD 2 |
CHE 1 |
CHE 2 |
12位 | 2 |
N1耐久レース/スーパー耐久
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999年 | 日産プリンス千葉モータースポーツ | 日産・スカイラインGT-R | 1 | MIN | SEN | SUZ | TAI | TOK | TRM 2 |
FSW | SUG | 1位 |
スパ・フランコルシャン24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992年 | 日産・スカイラインGT-R | A/DV.3 | 102 | DNF | DNF |
ニュルブルクリンク24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001年 | 日産・スカイラインGT-R | A6a | 35 | 151位 | 14位 |
グランドツーリング
全日本GT選手権 (JGTC)
| 年 | 所属チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994年 | ハセミモータースポーツ | ― | 日産・スカイラインGT-R | B | GT1 | FSW 6 |
SEN 1 |
FSW 4 |
SUG 3 |
MIN 5 |
2位 | 56 | ||
| 1995年 | ― | B | GT1 | SUZ 4 |
FSW 2 |
SEN 14 |
FSW 1 |
SUG 4 |
MIN 6 |
2位 | 61 | |||
| 1996年 | B | GT500 | SUZ 3 |
FSW 6 |
SEN 2 |
FSW 14 |
SUG 6 |
MIN 5 |
5位 | 47 | ||||
| 1997年 | B | GT500 | SUZ 4 |
FSW 2 |
SEN 9 |
FSW 6 |
MIN 7 |
SUG Ret |
7位 | 37 | ||||
| 1998年 | B | GT500 | SUZ 5 |
FSW C |
SEN Ret |
FSW 2 |
TRM 8 |
MIN 8 |
SUG 5 |
5位 | 37 | |||
| 1999年 | B | GT500 | SUZ 6 |
FSW 7 |
SUG 7 |
MIN 4 |
FSW 11 |
TAI 12 |
TRM 8 |
17位 | 27 | |||
| 2000年 | B | GT500 | TRM 5 |
FSW 9 |
SUG Ret |
FSW 11 |
TAI 15 |
MIN 11 |
SUZ 8 |
16位 | 13 |
全日本GT選手権(ノン・チャンピオンシップ戦)
| 年 | チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996年 | ハセミモータースポーツ | 日産・スカイラインGT-R | B | GT500 | CEN 1 |
||
| 1997年 | B | GT500 | TRM1 4 |
TRM2 3 |
|||
| 1998年 | B | GT500 | TAI 4 |
||||
| 1999年 | B | GT500 | AUT 9 |
||||
| 2000年 | B | GT500 | SEP 14 |
バサースト1000
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981年 | 日産・910ブルーバード ターボ | 4 Cylinder | 66 | DNF | DNF | ||
| 1982年 | B | 153 | 8位 | 1位 |
スポーツカー
全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
| 年 | 所属チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983年 | ハセミモータースポーツ | 日産・スカイラインターボC | D | C1 | SUZ | SUZ Ret |
FSW Ret |
NC | 0 | |||||
| 1984年 | スカイラインターボC (ルマン・LM04C) |
D | C1 | SUZ | TSU | SUZ Ret |
FSW 17 |
NC | 0 | |||||
| 1985年 | D | C1 | SUZ Ret |
FSW Ret |
25位 | 9 | ||||||||
| スカイラインターボC (マーチ・85G) |
D | C1 | FSW 13 |
SUZ 7 |
FSW 5 |
FSW Ret |
||||||||
| 1986年 | 日産・R85V | D | C1 | SUZ Ret |
FSW 3 |
24位 | 15 | |||||||
| 日産・R86V | D | C1 | FSW Ret |
SUZ 15 |
FSW Ret |
FSW Ret |
||||||||
| 1987年 | D | C1 | SUZ 8 |
41位 | 6 | |||||||||
| 日産・R87E | D | C1 | FSW Ret |
FSW Ret |
SUZ 22 |
FSW Ret |
FSW 8 |
|||||||
| 1988年 | NISMO | 日産・R88C | B | C1 | FSW Ret |
SUZ 9 |
FSW 8 |
FSW 3 |
SUZ 3 |
FSW 12 |
11位 | 30 | ||
| 1989年 | B | C1 | FSW 8 |
FSW 3 |
13位 | 24 | ||||||||
| 日産・R89C | D | C1 | FSW Ret |
SUZ 10 |
FSW 8 |
|||||||||
| 1990年 | 日産・R90CP | D | C1 | FSW 2 |
FSW C |
FSW 1 |
SUZ 7 |
SUG 1 |
FSW 5 |
1位 | 67 | |||
| 1991年 | 日産・R91CP | B | C1 | FSW 9 |
FSW 2 |
FSW Ret |
SUZ 3 |
SUG 3 |
FSW Ret |
SUG 4 |
6位 | 51 | ||
| 1992年 | 日産・R92CP | B | C1 | SUZ 1 |
FSW 4 |
FSW 5 |
SUG 4 |
FSW 4 |
MIN 4 |
5位 | 68 |
世界耐久選手権/世界スポーツプロトタイプカー選手権
| 年 | 所属チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983年 | ハセミモータースポーツ | 日産・スカイラインターボC | D | C | MNZ | SIL | NÜR | LMN | SPA | FSW Ret |
KYA | NC | 0 | |||||
| 1984年 | LM・04C/日産 | D | C1 | MNZ | SIL | LMN | NÜR | BRH | MOS | SPA | IMO | FSW 17 |
KYA | SUN | NC | 0 | ||
| 1985年 | マーチ・85G/日産 | D | C1 | MUG | MNZ | SIL | LMN | HOC | MOS | SPA | BRH | FSW 5 |
SHA | 4 | ||||
| 1986年 | NISMO | 日産・R85V | D | C1 | MNZ | SIL | LMN 16 |
NC | 0 | |||||||||
| 日産・R86V | D | C1 | NOR | BRH | JER | NÜR | SPA | FSW 11 |
||||||||||
| 1987年 | 日産・R87E | D | C1 | JAR | JER | MNZ | SIL | LMN Ret |
NOR | BRH | NÜR | SPA | FSW Ret |
NC | 0 | |||
| 1988年 | 日産・R88C | B | C1 | JER | JAR | MNZ | SIL | LMN | BRN | BRH | NÜR | SPA | FSW 12 |
SUN | NC | 0 | ||
| 1989年 | B | C1 | SUZ 11 |
DIJ | JAR | BRH | NÜR | DON | SPA | MEX | NC | 0 | ||||||
| 1990年 | 日産・R90CP | D | Cat.2 | SUZ 3 |
MNZ | SIL | SPA | DIJ | NÜR | DON | MTL | MEX | 20位 | 4 | ||||
ル・マン24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986年 | 日産・R85V | C1 | 285 | 16位 | 10位 | ||
| 1987年 | 日産・R87E | C1 | 117 | DNF | DNF | ||
| 1989年 | 日産・R89C | C1 | 167 | DNF | DNF | ||
| 1990年 | 日産・R90CP | C1 | 348 | 5位 | 5位 | ||
| 1996年 | 日産 NISMO・GT-R LM | GT1 | 307 | 15位 | 10位 |
デイトナ24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992年 | 日産・R91CP | LM | 762 | 1位 | 1位 |
全日本GT選手権ドライバー引退の理由
引退の理由は「日産が新型のレーシングカーを供給してくれなくなったから[14]」だという。トップを狙えないマシンでの2年連続参戦がドライバーとしての挑戦意欲を失ったことによって、長谷見に自らの引き際を決意させた[15]。実際、四輪転向から引退まで(フォーミュラカー路線を除けば)基本的に日産一筋であった星野と比べると、長谷見は1996年の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にエッチ・ケー・エスからオペル・ベクトラを駆って参戦するなど、日産ワークスを離れての活動も目立っていた。このことから、当時の日産の中で長谷見は星野よりも優先度が低い扱いだったという見方をされる場合もある[16]。
一方、「同じ車を同じ条件で乗って、相手よりコンマ5秒遅かったら辞める」という考えを持っており[17]、同様の理由でフォーミュラ引退を決意した経緯がある。その際の理由の半分はマウロ・マルティニの存在であり[18]、もう半分は供給タイヤメーカーであったダンロップと、ブリヂストンの性能差であった[5]。
人物
- 長谷見の全日本モトクロスのデビュー時期に同じく2輪レース活動を行っていた生沢徹(当時大学生)は、「高校生のガキ(長谷見)」にあっさり抜かれたことでショックを受け、2輪に見切りを付けて4輪に転向したという話がある[19]。
- マツダワークスの総大将である片山義美は、1970年代初頭の日産・追浜ワークスのドライバー(高橋国光、北野元、黒澤元治、都平健二、長谷見)について、「マツダのチーフドライバーは僕(片山)。それに対し日産のチーフは明確に決まってない。もし日産の実質的なチーフを挙げるとしたら多分、長谷見君でしょう」と語ったという[20]。
- 鈴木亜久里は長谷見の印象を「怖かった」と述べている。1985年の全日本ツーリングカー選手権でのチームメイトとして初顔合わせした時「キミとは会社(NISMO)が言うから組むけど、本当は嫌なんだよ」と言われたとの事。だが、一緒に戦うに連れて「亜久里君、予選アタック行って?キミの方がちょっと"乗れてる"みたいだから」と言われるようになり「偉大な先輩が認めてくれて凄く嬉しかった」と回顧している[21]。
- 1986年10月13日、この時点で翌年シーズンからF2車両とF3000車両の混走が予定されていたが、鈴鹿サーキットでは初となるF3000車両(マーチ・86B/マーダーチューンDFVエンジン搭載)のテスト走行を長谷見が担当した。国内にまだF3000用タイヤが無かったためサイズが多少異なるF2用タイヤでの走行となったが、自身のF2でのベストタイムを上回る1分57秒台を記録。「F2と比較するとF3000の方がラフに乗れる。F2みたいなシビアなギア操作をしなくても良い。F2の方がエンジンがすごくピーキーなので。」「F2エンジンより3000ccエンジンの方が重量があるので、リヤがどうしても滑りやすい。」「もし来年本当に混走でやったら、ホンダが本気でF2エンジンをやってきた場合、それはホンダの2Lエンジンの方が速いんじゃないかと思う。」など、貴重な情報をもたらした[22]。
- ツーリングカー選手権でのチームメイト、アンデルス・オロフソンについて、「彼はレースから離れると品の良い紳士で、日本の文化に順応できていた。決勝レースで速いラップタイムを正確に刻み続けることが出来て、雨の日でも真夏の暑い日でも、途中でタイムが落ちてしまうということが無い。タイヤの使い方も上手で、計算できる最高のパートナーでした。」と高く評価し称えている[23]
- 「レースカーはFRじゃなければならない」が信念である。市販車でも、「峠に行った時にリアが滑ってヒャッとするようじゃないとドライブしている気になれない」と語っている[24]。ミッドシップも好むが、その裏返しでアンダーステア傾向の駆動形式が嫌いである。「FFが世界で一番嫌いな男」と公言して憚らず、同じ理由で四輪駆動も好まない[3]。その為、グループAで駆ったスカイラインGT-Rは四駆であった故に、GT-Rで2度シリーズチャンピオン獲得とマカオグランプリ制覇しているにも関わらず「我慢だけの競争で面白くなかった」と回顧した[25]。また、グループA終了後に全日本GT選手権へ移行し、FRへと改めたGT-Rについては「すっきりした」とも語っている[26]。
- 長谷見は数時間に渡ってアクセルを全開にし続けられるダカール・ラリーを気に入っており、15日の日程で残り3日になっても「あともう一週間走れないかなぁ」という気持ちになったと述懐している[3]。
関連項目
脚注
- ↑ SP忠男の鈴木忠男氏と長谷見昌弘氏の接点…黒沢元治氏も出席した「城北ライダーズ」60周年パーティ
- ↑ 富士GC、全日本F2、鈴鹿F2、フォーミュラ・パシフィック
- 1 2 3 「ミスタースカイラインの素顔」天才ドライバー『長谷見昌弘』の生き様
- ↑ 歴代の日本人出場者
- 1 2 オートスポーツNO.798 2000年6/15号6頁「長谷見昌弘、JGTC引退」より
- ↑ 2011SUPER GT参戦休止のお知らせ ハセミモータースポーツ
- ↑ NDDP RACINGがF3に参戦 NISMO NEWS RELEASE
- ↑ 日産/ニスモ、2018年のモータースポーツ活動を発表 - 日産自動車ニュースルーム・2018年2月12日
- ↑ □■長谷見昌弘よりご挨拶□■ - ハセミモータースポーツ・2019年3月19日
- ↑ “野尻智紀が日本プロスポーツ大賞の敢闘賞を受ける。スポーツ功労者顕彰の長谷見昌弘氏、星野一義氏も登壇”. auto sport web. 2023年3月3日閲覧。
- ↑ なお、トミカのモータースポーツスポンサーは2016年から86/BRZレースに参戦しているネッツトヨタ兵庫レーシングチームで復活している。
- ↑ 『日本の名レース100選 Vol.001 '76 F1イン・ジャパン-日本初のF1GP開催』 イデア〈AUTO SPORT Archives〉、2006年、77頁。
- ↑ “1976 Japanese Grand Prix - FASTEST LAPS”. Formula One World Championship Limited. 2017年1月23日閲覧。
- ↑ 2001年シーズンの全日本GT選手権において、同じ日産系チームである星野のホシノインパルはスカイラインGT-Rの供給を受けGT500クラスに継続参戦できたのに対し、ハセミモータースポーツはGT-Rの供給を受けられず、GT300クラスへのステップダウンを余儀なくされた。
- ↑ “『ユニシアザナヴィスカイライン(2000年)』名手・長谷見昌弘、キャリア最後の1台【忘れがたき銘車たち】 | レーシングオン”. autosport web (2026年1月28日). 2026年5月23日閲覧。
- ↑ また、2000年の鈴鹿1000kmではチーム・テイクワンよりマクラーレン・F1 GTRでGT500クラスに参戦している。因みに、この年の鈴鹿1000kmには同じGT500クラスにニスモのスカイラインGT-Rもエントリーしていた。
- ↑ CORPORATION, TOYOTA MOTOR. “208LAP 「本物のプロフェッショナルドライバー、長谷見昌弘」 | 木下隆之コラム クルマ・スキ・トモニ”. GAZOO Racing. 2026年5月23日閲覧。
- ↑ 「Racing On」No.137、p.141、ニューズ出版、1993年。
- ↑ 山海堂 (出版社)「オートテクニック」連載「なぜ俺だけしか」(生沢徹筆)
- ↑ 八重洲出版「オールドタイマー」2019年6月号
- ↑ 『Racing On No.511 [特集]鈴木亜久里』株式会社三栄、2021年3月17日、18頁。
- ↑ 「SNAPVOICE 長谷見昌弘」『Racing On No.008』1986年12月1日、21頁。
- ↑ アンデルス・オロフソン、彼は最高のパートナーだった 日本ダンロップ(2018年12月6日閲覧)
- ↑ 交通タイムス社「GT-R owwers COLLECTION II」16~19頁。
- ↑ 『日本の名レース100選 Vol.024 '91 JTCオートポリス』株式会社三栄、2007年4月23日、24頁。
- ↑ 『MS-models Vol.02 GT-R & SKYLINE』株式会社三栄、2009年4月25日、74頁。
参考資料
外部リンク
| タイトル | ||
|---|---|---|
| 先代 松本恵二 |
全日本F2チャンピオン 1980年 |
次代 中嶋悟 |
長谷見昌弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 08:49 UTC 版)
他チームで国内2輪レース活動を行った後、1965年に日産宣伝部チームに加入。黒沢元治とほぼ同様の経緯で、城北ライダースチーム員として2輪活動を行った。
※この「長谷見昌弘」の解説は、「城北ライダース」の解説の一部です。
「長谷見昌弘」を含む「城北ライダース」の記事については、「城北ライダース」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
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