ディジョン・プレノワ・サーキットとは? わかりやすく解説

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ディジョン・プレノワ・サーキット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 16:51 UTC 版)

座標: 北緯47度21分45秒 東経4度53分57秒 / 北緯47.36250度 東経4.89917度 / 47.36250; 4.89917

Circuit de Dijon-Prenois
所在地 フランス・プルノワ
標準時 GMT +1
着工 1969年12月
オープン 1972年5月26日
主なイベント F1 フランスグランプリ,スイスグランプリ
Grand Prix Circuit (1976 -)
コース長 3.801 km (2.361 mi)
コーナー数 12
ラップレコード 1:05.257 ( インゴ・ゲルストル, トロ・ロッソ STR1, 2015, BOSS GP)
Short Circuit (1972 -)
コース長 3.289 km (2.044 mi)
コーナー数 8
ラップレコード 1:00:00 ( ジョディー・シェクター, ティレル 007, 1974, F1)

シルキュイ・ド・ディジョン=プルノワ: Circuit de Dijon-Prenois, ディジョン・プレノワ・サーキット)はフランスディジョン郊外の小村、プルノワにあるサーキットで、標高500m弱の地点にある。比較的高速で走ることが出来るサーキットであることから、ヨーロピアンスタイルのサーキットの中にあって特異性のある部類に入る。

1974年-1975年にF1で使用されたショートコース

F1フランスグランプリが1974年から1984年までに6回開催された(1975年と1982年はスイスGPとして開催。1975年は非選手権レース)。F1初開催の1974年とスイスGPとして開催された1975年においては3.289kmの短いレイアウトで開催され、1974年の予選でニキ・ラウダが58秒79と1分を切るタイムでポールポジションを獲得した。その後改修が行われ3.801kmにコース長が伸び、F1でもこのレイアウトが採用された。

このサーキットは低速コーナーが1つしかないレイアウトで、1970年代のF1開催当時のF1マシンでも一周平均速度が時速200km近くに達した高速サーキットである。1979年には、アクセルのレスポンスの悪さに苦しんでいたルノーF1ターボ車が、このコースで初めて悲願の勝利を収めた。ただし、このグランプリ開催前には、開催延期の期間を利用して、このサーキットでシャーシからエンジン、タイヤなどに至るまで絶対勝利のために、ドライバーのジャン・ピエール・ジャブイーユらは一丸となり徹底したテストを敢行したという。

また、1981年にはアラン・プロストがこのコースでグランプリ初優勝を飾っている。プロストは後に4度のドライバーズチャンピオンを獲得し、2024年現在フランス人では唯一のドライバーズチャンピオン獲得者となっている。

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