オスカル・ガルベス・サーキットとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > オスカル・ガルベス・サーキットの意味・解説 

オスカル・ガルベス・サーキット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 13:18 UTC 版)

アウトドローモ・オスカル・イ・フアン・ガルベス
所在地 アルゼンチン, ブエノスアイレス
標準時 UTC-3
座標 南緯34度41分39.38秒 西経58度27分33.65秒 / 南緯34.6942722度 西経58.4593472度 / -34.6942722; -58.4593472座標: 南緯34度41分39.38秒 西経58度27分33.65秒 / 南緯34.6942722度 西経58.4593472度 / -34.6942722; -58.4593472
収容人数 45,000
オープン 1952年3月9日 (72年前) (1952-03-09)
主なイベント F1 アルゼンチングランプリ
MotoGP, TC2000, ストックカー・ブラジル
グランプリコース (1995–)
コース長 4.259 km (2.614 mi)
コーナー数 19
レコードタイム 1:27.981 ( ゲルハルト・ベルガー, ベネトン, 1997年, F1)

アウトドローモ・オスカル・イ・フアン・ガルベス西: Autódromo Oscar y Juan Gálvez, オスカル・ガルベス・サーキット)は、アルゼンチンブエノスアイレス郊外にあるサーキット。名前はアルゼンチン出身の兄弟レーサーであるフアン・ガルベス英語版オスカル・アルフレード・ガルベスにちなんで名付けられている。

概要

敷地内のラインの組み合わせ方によって何通りものコースを造ることができるためF1では1953年1958年1960年の開催時、1972年1977年の開催時、1978年1981年開催時、フォークランド紛争により休止を挟んだ後の1995年1998年開催時それぞれサーキットの形状が違い、これら4種類のコースでアルゼンチンGPが開催された。再開されるもサーキットの形状が大きく変わったことなどから不評で1998年をもって打ち切られた。1999年も開催予定であったが、主催者とFIAの交渉が決裂した経緯がある。

ロードレース世界選手権 (WGP) では1961年から1999年の間にアルゼンチングランプリが計10回開催された。1998年の250ccクラスでは、最終周回のシケインで原田哲也がチームメイトのロリス・カピロッシと接触して目前のタイトルを逃した。

コースレイアウト

1970年代のコースは湖の外周路を用いる超高速区間とインフィールドの超低速区間が組み合わさったレイアウトであった。1990年代に使われたのはインフィールドエリアのみを用いた4.259kmの超低速サーキットであり、タイトなコーナーが延々続くレイアウトであった。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オスカル・ガルベス・サーキット」の関連用語

オスカル・ガルベス・サーキットのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オスカル・ガルベス・サーキットのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオスカル・ガルベス・サーキット (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS