長谷秀雄とは? わかりやすく解説

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長谷秀雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 01:23 UTC 版)

長谷秀雄 裸婦像 別府市公会堂前

長谷 秀雄(はせ ひでお[1]、1900-1986年)日本の彫刻家。大分県別府市生まれ。

生涯

彫刻家 朝倉文夫に師従し、現在の東京藝術大学の前身である東京美術学校(旧制)を修了。

京都西本願寺 大谷尊由の支援を受け、埼玉県蕨市中央三丁目にアトリエを開設。終戦の2年後(昭和22年)には蕨画塾(わらびがじゅく)を開塾、翌年(昭和23年)には埼玉県から各種学校の認可を受けている。芸術家を志す人だけでなく広く一般人を受け入れ、戦後美術の発展に寄与した。

閉校するまでの受講生は約1300名、現在の東京藝術大学にも200名以上の塾生が入学した。東京芸術藝術大学教授の安井 曾太郎は画塾を「芸大分校」と形容している。

随筆集『随筆画窓漫談』には熊本の「とのさん」こと細川護立侯と当時の美術界の面々の日常が記され、歌集『浩然居歌集』の題字も細川侯より寄稿されている。

総作品数は不明であるが、郷里である大分県にも大友宗麟像(大分市城址公園大分市神宮寺浦公園)、裸婦像(別府市公会堂、別府市的ヶ浜公園)など多くの作品が展示されている。

晩年は、大分県別府市の観海寺温泉付近にアトリエを設けて、冬季になると帰郷し制作活動を行っていた。

本人像 観海寺アトリエにて 昭和49年2月

略歴

  • 1900年 大分県別府市に生まれる
  • 1923年 朝倉文夫の門下生となる
  • 1929年 東京美術学校卒業
  • 1932年 東京美術学校研究科修了
  • 1936年 帝展無監査
  • 1947年 埼玉県蕨市に蕨画塾を開校
  • 1964年 蕨画塾 閉校
  • 1965年 日展委属
  • 1966年 埼玉県芸術文化賞受賞
  • 1981年 勲五等瑞宝章受賞
  • 1986年 逝去
  • 2016年 凄っ!蕨画塾展 ~蕨の町に芽吹いた美術学校の軌跡~

著書

  • 長谷秀雄 『浩然居歌集』 中央公論事業出版、1965年
  • 長谷秀雄 『随筆画窓漫談』 伝統と現代社、1981年

脚注

  1. ^ 三賢堂”. 熊本市観光ガイド. 2024年4月9日閲覧。

出典

  • 長谷秀雄 『随筆画窓漫談』 伝統と現代社、1981年
  • 大分県歴史人物事典 K280.3/O34  00003483278 P400



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