横浜市八聖殿郷土資料館とは? わかりやすく解説

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横浜市八聖殿郷土資料館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/25 15:51 UTC 版)

横浜市八聖殿郷土資料館
Yokohama Hasseiden Local museum
施設情報
正式名称 横浜市八聖殿郷土資料館
前身 八聖殿
専門分野 民俗学、郷土史
事業主体 横浜市
管理運営 公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団
開館 1973年(昭和48年)
所在地 231-0822
神奈川県横浜市中区本牧元町76-1
位置 北緯35度24分54.4秒 東経139度39分53.9秒 / 北緯35.415111度 東経139.664972度 / 35.415111; 139.664972座標: 北緯35度24分54.4秒 東経139度39分53.9秒 / 北緯35.415111度 東経139.664972度 / 35.415111; 139.664972
アクセス 「本牧市民公園前」バス停下車、徒歩5分
外部リンク 公式サイト
プロジェクト:GLAM
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横浜市八聖殿郷土資料館(よこはましはっせいでんきょうどしりょうかん)は神奈川県横浜市中区本牧元町76に所在する民俗学博物館。公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団が管理運営を行っている。

概要

八聖殿内の像と神鏡

八聖殿(はっせいでん)は、法隆寺夢殿を模した三層楼八角形の建物である。熊本県出身で逓信内務大臣を歴任した安達謙蔵が精神修養のための施設として建立し、1933年(昭和8年)に完成した[1]。「八聖」は、キリストソクラテス孔子釈迦聖徳太子空海親鸞日蓮の8人のことで、像はそれぞれ清水多嘉示藤川勇造北村西望、田島亀彦、朝倉文夫、長谷川枡蔵、長谷秀雄、日名子実三が制作した。

なお、安達は故郷の熊本市にも同じく精神修養を目的にした三賢堂1936年(昭和11年)に建立している。

1937年(昭和12年)、八聖殿が横浜市に寄贈され、建物周辺一帯は本牧臨海公園となり、市民の憩いの場として整備された。

1973年(昭和48年)、「横浜市八聖殿郷土資料館」と改名した。

現在の館長、相澤竜次氏となってから積極的な活動が展開されるようになり、年間で館主催講座を年30回程度、歴史散策を年12回程度、出張講座を年80回程度、学校への出張授業を年40回程度実施している。

実績は横浜市八聖殿郷土資料館ホームぺージを参照。

ただし、横浜市の公共施設でありながら、展示施設内に空調設備がないことは問題であると言われ続けている。

また、もともとは個人の別荘を博物館として転用したことから、場所が交通が不便な本牧地域の中でも、本牧市民プール裏の丘の上にあり、坂道や階段を使って来館しなければならないことから立地が不便と言われている。

展示内容

幕末明治期の写真や、かつて漁村であった横浜の歴史を伝える農具・漁具などの民具を展示している[2]

実際に触ることができる資料や、手にとってみることができる書籍もあり、小さい展示施設でありながら、展示内容は充実している。

脚注

関連項目

外部リンク




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