プロレーサーとしてとは? わかりやすく解説

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プロレーサーとして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 02:40 UTC 版)

三船雅彦」の記事における「プロレーサーとして」の解説

中学生時に自転車ロードレース興味持ち自転車部のある花園高校進学本格的に競技始める。インターハイ近畿大会で入賞1987年高校卒業とともにプロ目指しオランダへ渡る。1989年に一旦日本に戻って国内実業団チーム活動し全日本選手権6位、ツールド北海道総合9位などの成績を残す。1992年に再びオランダへ1994年念願プロチーム入りを果たすが、この時はチーム活動開始前に予算不足解散したため、この年個人選手として活動する1995年にようやくF.S.MAESTROと契約本格的にプロロード選手として活動開始1997年からはTonissteinerに移籍実質的に同じチームであるLandbouwkrediet時代含めて、このチーム合計6年在籍。この時にロンド・ファン・フラーンデレンツール・ド・フランドル)に日本人として初め出場している。春のクラシックレースシーズンではリエージュ~バストーニュ~リエージュ3回ヘント~ウェヴェルヘムに6回、デパンヌ3日間に2回、そのほかにもヘットフォルクやE3などにも出場。秋のクラシックレースシーズンではトップ10入り複数果たしている。 2003年からミヤタスバルに移籍し国内戻って活動継続2004年には香港サイクルクラシック(この時はマルコ・ポーロスポット契約)で優勝。ツアー・オブ・サウスチャイナシー第2ステージでも勝利2005年も、3DAYSROAD熊野第1、第3ステージ勝利した2007年マトリックス・パワータグ移籍2008年引退を表明したが、この年のツアー・オブ・タイランド第2ステージ勝利したシクロクロス分野でも実力高く20002001年シーズン全日本選手権制覇し世界選手権5度選出されている。ロードでの引退レースはツアー・オブ・サウスチャイナシー。選手としては2009年関西シクロクロス第10戦であった。プロアマ期間通じて1500回のレース経験があり、入賞回数200回を数える。

※この「プロレーサーとして」の解説は、「三船雅彦」の解説の一部です。
「プロレーサーとして」を含む「三船雅彦」の記事については、「三船雅彦」の概要を参照ください。

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