プロレーサーとして
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中学生時に自転車ロードレースに興味を持ち、自転車部のある花園高校に進学。本格的に競技を始める。インターハイや近畿大会で入賞。1987年、高校卒業とともにプロを目指してオランダへ渡る。1989年に一旦日本に戻って国内実業団チームで活動し、全日本選手権6位、ツールド北海道総合9位などの成績を残す。1992年に再びオランダへ。1994年、念願のプロチーム入りを果たすが、この時はチームが活動開始前に予算不足で解散したため、この年は個人選手として活動する。1995年にようやくF.S.MAESTROと契約。本格的にプロロード選手として活動を開始。1997年からはTonissteinerに移籍。実質的に同じチームであるLandbouwkrediet時代と含めて、このチームに合計6年在籍。この時にロンド・ファン・フラーンデレン(ツール・ド・フランドル)に日本人として初めて出場している。春のクラシックレースシーズンではリエージュ~バストーニュ~リエージュに3回、ヘント~ウェヴェルヘムに6回、デパンヌ3日間に2回、そのほかにもヘットフォルクやE3などにも出場。秋のクラシックレースシーズンではトップ10入りも複数回果たしている。 2003年からミヤタスバルに移籍し、国内に戻って活動を継続。2004年には香港サイクルクラシック(この時はマルコ・ポーロとスポット契約)で優勝。ツアー・オブ・サウスチャイナシー第2ステージでも勝利。2005年も、3DAYSROAD熊野第1、第3ステージで勝利した。2007年にマトリックス・パワータグに移籍。2008年に引退を表明したが、この年のツアー・オブ・タイランド第2ステージで勝利した。シクロクロスの分野でも実力が高く、2000ー2001年シーズン全日本選手権を制覇し世界選手権に5度選出されている。ロードでの引退レースはツアー・オブ・サウスチャイナシー。選手としては2009年の関西シクロクロス第10戦であった。プロアマ期間通じて1500回のレース経験があり、入賞回数も200回を数える。
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