稽古とは? わかりやすく解説

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けい‐こ【稽古】

読み方:けいこ

[名](スル)《古(いにしえ)を稽(かんが)えるの意》

芸能武術技術などを習うこと。また、練習。「—に励む」「—をつける」「毎日—して上達する

芝居などで、本番前練習下げいこリハーサル。「総—」

昔の書を読んで物の道理故実を学ぶこと。学問

学窓集めて、—に隙なき人なれば」〈太平記一二


稽古(けいこ)

古(いにしえ)を稽(かんが)えるという意味で、日本古来伝統的な武道芸道修行練習をいう。このことばは単にくり返し意味するではなく、技や芸に対す自己の確立や心の問題理念工夫していくところに特性みられる

稽古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/03 22:50 UTC 版)

剣道の稽古

稽古(けいこ)とは、広く芸道に共通して使われる主に練習を指す言葉である。

概要

書経』尚書/堯典[1]などの中国古典籍にある言葉である[2]。 日本では『古事記太安万侶序文末に「稽古」がありその意味は、「古(いにしへ)を稽(かむがへ)ること」である。同文の「照今」(今に照らす)とあわせ、「稽古照今」という熟語としても使用される。

稽古は一般的なスポーツやレクリエーションなどで行われる練習と重なる部分が多いが、練習が競技会などの本番を目指して必要なスキルを習得するために行われるのに対し、多くの芸道では稽古は技の習得とともに自己の内面を研鑽し高めるプロセスとして捉えられており、そのすべてが本番であるといわれる[3]。そのため、稽古はスポーツの練習などと比べると躾け的な要素も多く、「修練」「錬成」などと言い換えられる場合もある[3]

形の指導以後は細かい指導は行わず、稽古を通して師匠や先達の技を盗むという伝授方法を取る芸道も多い。稽古での成長過程は守破離という言葉で表される[3]。例えば 日本武術などの形稽古においては過去の達人であった先人の遣った理想的な形に近づくべく修練することである。 こうして身についた形を守っている状態(守)に限界を感じ敢えて形を破り(破)、形に制約されない境地へ至る(離)。

武道芸能に限らず、親方や師匠が教えることを、稽古をつけるという。また、単に学んだことを練習することも稽古という。さらにお稽古ごとというと、伝統芸能に限らずピアノ教室なども含まれる。どれにおいても、稽古を積み研鑚を重ねることによって実力をつけていく。

風姿花伝』には、「稽古は7歳ぐらいから始めるのがよい」といった旨の記述があり、後世、稽古始めを6月6日とするようになり、江戸時代歌舞伎において、「6歳6月6日」というセリフが頻繁に用いられ、伝統芸能では稽古始めを6月6日とするようになった[4]

大相撲における稽古

アマチュア相撲では稽古を「練習」と呼ぶことがあるが、角界で相撲の稽古を「練習」と呼ぶことは角界の習慣に馴染まない、所謂「ちゃんこが染みない」力士にありがちなことである[5]

申し合い

大相撲において最も一般的に行われる稽古で2人が土俵の中で勝負して決着がつくと負けた力士は土俵から出て周囲で見ていた力士達が次は自分だと手を挙げる。勝った力士はその中から1名を指名して次の相手にする。いわゆる勝ち抜き戦で、勝てばその分だけ稽古の番数が増える。

三番稽古

2人だけで何番も相撲を続ける稽古[6]三番という名前だが回数は特に決まっていないので、当人と稽古場が許せば何十回と繰り返しても構わない。特定の相手への対策などで行われ、特に親交の深い力士同士でも行われる。力士の間では略して「三番」と呼ぶ[7]

ぶつかり稽古

通常は最後に行われる稽古。受け側が土俵中央付近で構え相手はそこに向かって当たって突進する。受け側は俵に足が掛かるところで押し返し相手が押し切れないと突き落としなどで転がすのが一般的だが、稀に受け側が突進することもあるという。土俵際での詰めを磨く稽古であり、受け側があまり簡単に土俵を割ったり押す側がいつまでも押し切れずに転がされてばかりだと充分な稽古になりにくい。

多くの場合、上位力士が受け側に立つが、横綱大関の場合、特定の力士がぶつかりの相手をつとめることが多い(北の富士勝昭に対する高見山大五郎北の湖敏満に対する金城興福など)。また相撲部屋によっては親方がまわしを締めて受け側を務めることもある(初代若ノ花に対する花籠親方、元大ノ海など)。

見取稽古

通常、稽古場に土俵は1面しかなく、しかも土俵には同時に2人しか上がれないので、それ以外の土俵に上がっていない力士は土俵を囲み、稽古を見ていることになる。他人の稽古を見てその良し悪しを自分で分析することも稽古になると言う意味でこの言葉が存在する。申し合いで負けて土俵の外に出た力士や、なかなか順番が廻らない力士はこれをいかに効率よく行うかが重要になる。

土俵には2人しか上がれないという点の対策として、元横綱照國の6代伊勢ヶ濱は伊勢ヶ濱部屋に土俵を2面作り話題になったが、「見るのも稽古のうち」という見解も強く、主流にはならなかった。しかし、2022年夏頃を目途に完成する元横綱稀勢の里二所ノ関部屋では土俵が2面設置される予定になっている。

山稽古

稽古土俵が不足しているなどのことから稽古場以外で行う稽古。山という名だが場所にこれといった決まりはない。昔は巡業などでもよく見られたが最近は環境の変化などにより減っているという。

出稽古

力士が他の相撲部屋を訪問して合同で行う稽古[8]。力士の人数が少ない部屋や、幕下以下の力士ばかりで関取がいない部屋では、充実した稽古が望めない場合が多いため、そのような部屋に所属している力士たちは、他の部屋を訪問して合同で行う出稽古が極めて重要になる。出稽古に行く部屋は同じ一門の部屋が基本だが、別の一門の部屋へ出稽古に行くことが禁止されているわけではない。

手車

大正時代まで一般的であった「手四つ」の体勢になり、互いに相手の出方をうかがう稽古[9]

演劇における稽古

概要

演劇歌舞伎などの芸能から派生した由縁からか、師弟関係とは言えない現代演劇でも、そのまま「稽古」と言われる。

読み合わせ

稽古の最初の段階。俳優台本を持ち台詞を声にして読んでいく、動作を伴わない台詞だけの稽古。ここで演出家の意見などを聞き、役作りを深めていく。

半立ち稽古

読み合わせと立ち稽古の中間的段階の稽古。俳優に完全に台詞が入っていない段階で、台本を手にして大体の動きを追いながら、読み合わせを行なう稽古。再演作品などの場合、ここからはじめることもある。

立ち稽古

演技などの動作を加えていく稽古のこと。本物もしくは代用品を使って大道具小道具などを模して感覚をつかんでいく。

小返し

演劇などの稽古の途中で具合の悪いところを、その小部分だけ繰り返して稽古すること。単に「返し」と言う事もある。

抜き稽古

演出家の要望によって、重点的に稽古をする必要のある部分を抜き出して行う稽古のこと。また、出演者の不在などの都合によって、出来る部分のみを行う稽古。

総稽古

稽古場で行う最後の段階で、舞台稽古の前の段階。音楽なども入れて総合的に行われる。実際的には、音楽などは順次入れて稽古をしているが、全セクション挙げて稽古場で気持ちを切り替えて臨むので、区別して言われる時がある。

舞台稽古

実際に舞台で行う稽古。様々な制約から稽古場ではできなかった事も含めて行う。ゲネプロやドレス・リハーサルの事を指す時もあるが、単に舞台を使って行う稽古をさすだけの事が多い。スケジュールに余裕が無いと、場当たりに終始してしまいがち。

転換稽古

舞台転換の為の稽古。暗転の時間が思惑より長い時などに、稽古することによって錬度を上げムダを無くし時間内に収まるようにしたり、転換時に起こり得る問題を未然に防ぐ為の稽古だったりする。

場当たり稽古

通称:場当たり。舞台に本番と同じように大道具などを飾り、立ち位置や出入りの段取り合わせをすること。ダブルキャスト(もしくはそれ以上)で公演を行っている時などには、交替のときに要所要所でのキッカケを合わせる為に行われる。キッカケを合わせる為のものを特に「キッカケ合わせ」ともいう。

ドレス・リハーサル

衣裳も完全に本番と同じにして行うリハーサルのこと。オペラクラシックなどではゲネプロと同義として使われる。演劇ではあまり使わない。特に、稽古場から衣裳までつけて稽古をしているカンパニーにおいては、これを区分する意味合いは薄い。

乱取り稽古

ゲネプロ

  1. ^  孔子. 尚書/堯典. - ウィキソース. 
  2. ^ 南谷直利、北野与一 「稽古」及び「練習」の語誌的研究 北陸大学 紀要, 2002
  3. ^ a b c 西平直『稽古の思想』 春秋社 2019年 ISBN 978-4-393-31303-9 pp.18-24,49-52,
  4. ^ 小笠原敬承斎 『武家の躾 子供の礼儀作法』 光文社新書 2016年 pp.187 - 188.
  5. ^ 鍋に熱燗2本注いだ北の湖さん ぼそりと「下積みが…」 朝日新聞DIGITAL 2020年9月26日 11時00分 (2020年10月12日閲覧)
  6. ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p8
  7. ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)p.106
  8. ^ コトバンク-出稽古
  9. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号70頁

稽古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:15 UTC 版)

宝生九郎知栄」の記事における「稽古」の解説

門下多く俊英生んだ九郎であったが、その稽古が厳しかったことは夙に名高い6歳年下で、九郎片腕役を務めた松本金太郎は「なにしろこの老人ぶんなぐるんですからね」と周囲師匠自慢半分こぼしていたという。 野口兼資によれば、その稽古は理屈などは一切抜きで、まず一度自分でやってみせ、それから出来るまで何度も弟子繰り返させる、というものであり、兼資らは一心に九郎の芸を真似ることに努めたという。そして九郎が「ちつとは自分の考へも入れてやつて見ろ」と促すので、実際に弟子自分なり工夫をして演じると、「考へてやれといつたとてあれは何だ、あんな変なことをやる奴があるか」と叱られる、といった具合であった対して上手く出来た際には決まって、「まあ、あれぐらいなら他流の人が見ても恥かしくはないよ」という言い方で賞めたという。 近藤乾三は、九郎の「せめて下手になれ」という言葉繰り返し語っている。

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稽古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:06 UTC 版)

櫻間伴馬」の記事における「稽古」の解説

伴馬の稽古が厳しかったことは、弟子たち口を揃えて語るところである。甥の道雄によれば伴馬の教え方はひたすらに実地的なもので、理屈一切抜きであった。 その厳しさ子方子役相手でも変わらず、後の喜多流宗家喜多実は、幼い頃七騎落の子方として借りられた際、何の容赦もなく叱りつけてくる伴馬の気迫に、思わず縮み上がるとともに悔しさ覚えたという。もっともこれが災いすることもあって、「安宅」の稽古中、子方厳しく叱ったあまりにその父親怒ってその子連れて帰ってしまい、弱って姉婿に「白髪頭でもよいからお前やれ」と頼む、というようなこともあった。 稽古・習道論としては、「芸の向上は瓢箪如し」が持論であった。つまり、最初のうちは自らの不足が解るので、その空洞埋めるように稽古に励むことが出来るが、それが満たされてくると安心・慢心起こってくる。それを脱するはちょう瓢箪の狭い節を抜けるよう難しいことで、それには良き師の教導欠かすことが出来ない。そうしてその節抜け出すと、今度はまた広いところに出て、自らの不足に気付かされる。そこで再び稽古に励むが、また節に近づく安心してしまう。伴馬は芸の進歩とはその連続であると考えており、かつその形は「瓢箪小さいのから大きいのを順々に継ぎ合した」ような具合で、節を抜けるたびにその空洞はどんどん大きくなっていく、即ち自分の不足を感じることがどんどん増していき、次第慢心からも遠ざかっていくことができるのだという。

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稽古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 03:54 UTC 版)

観世元滋」の記事における「稽古」の解説

幼少期厳しい稽古については前述通りであるが、その後若くして師を失った左近は、宗家に伝わる数々伝書類を研究しながら、独学によってその芸を完成させることとなった実弟片山博通も「先生の芸は徹頭徹尾頭から割り出したものであつた」と回想している。 成人後舞台立って稽古をすることは全くといっていいほどなく藤波紫雪は、「多分、床に入られてから、あれこれ考え工夫考案し居られたものと思います。…(中略)…お若時によほどしっかり叩き込んでおありになったのでしょう」と語っている。

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稽古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 15:54 UTC 版)

内神道」の記事における「稽古」の解説

稽古には「温故知新」と「武道不易」という考え導入されているという。この武門の稽古は、創始者1970年代に、「柳生柔術」の経験山間めぐりをした時期日本国武術の稽古と楊式太極拳の稽古の融合はかった結果であろうとみられている(朝日新聞2009年3月筑波山達人」から)。技と稽古は以下のものが行われている。 81式型 - 基礎門、中門、全門の三門にわけて、それぞれの健康門、武道門。 99式型 - 基礎門、中門、全門の三門にわけて、それぞれの健康門、武道門。 13式刀 54式剣 15式棍 - 単人法、双人法、双人円法、双人動歩四法 弓 - 彎弓法 対練手 - 単推手、双推手、四正推手四隅推手90式散手対打、連続散手、自由散打

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