南方熊楠
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昭和天皇への進講
1929年(昭和4年)6月1日に昭和天皇を神島に迎え、「長門」艦上で進講(天皇の前で学問の講義をすること)を行なった[25]。
昭和天皇は皇太子時代から一貫して生物学に強い関心を持ち、とりわけ興味を示したのが、海産生物のヒドロ虫と粘菌(変形菌)の分類学的研究であった[25]。
熊楠の粘菌学の一番弟子であった小畔四郎は昭和天皇の博物学等の担当者・服部広太郎の甥の上司という関係で、服部から生物学講義のための粘菌の標本を見たいとの依頼を受けた。1926年2月、小畔から熊楠に手紙で、この機会に粘菌標本を40-50種類献上してはと相談した。これに対し、熊楠は37属90点を、目録・表啓文・二種の粘菌図譜とともに11月10日に進献した。この90点は日本の粘菌を研究する上で基本となる種を網羅する目的で選ばれた[25]。
1929年3月5日、服部広太郎が熊楠邸を来訪して仮定の形で進講を打診。4月25日、進講の決定を知らせる服部広太郎の手紙が届く[25]。
1929年6月1日午前8時、御召艦長門が田辺湾に姿を現す。熊楠は正午過ぎ田辺から漁船に乗り新庄村尊重たちと神島近海で待っていた。天皇は5時30分に長門に畠島から帰艦し、熊楠の進講を受ける[25]。
熊楠はウガ、地衣グアレクタ・クバナ、海洞に棲息する蜘蛛、ナキオカヤドカリ、隠花植物標本帖、菌類図譜、粘菌標本を持参。この内、蜘蛛、ナキオカヤドカリ、粘菌標本を献上した。粘菌標本は110点にのぼり、先の進献で漏れた普通種と稀産種、変種が中心で増補するのが目的だったと思われる。入れた箱は大きなボール紙製のキャラメル箱に入れて献上した。これは蓋が開けやすいためといわれてるが、自ら持参するのに軽いものを選んだとも考えられる[25]。
熊楠が所持した標本は国立科学博物館に寄贈され、今は筑波実験植物園にある[25]。
一周年の1930年6月1日に行幸記念碑が神島に建立された[25]。
1962年、白浜を訪れた昭和天皇は田辺湾に浮かぶ神島を見て思いを馳せ、熊楠との一期一会を懐かしみ
「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
と詠んだ。その和歌が刻まれた御製碑は、1965年に設立された南方熊楠記念館の前庭に立っている[26]。
注釈
- ^ 熊楠の生まれた時、父弥兵衛は39歳、母住が30歳であった。ちなみに、この二人の間には、長男藤吉、長女くま、次男熊楠、三男常楠、次女藤枝、四男楠次郎の6人が生まれている。生誕地は橋丁二十二番地、その跡地に当たる駐車場の角に、和歌山市によって熊楠の胸像が1994年に建てられている[7]。
- ^ 速成中学校(旧制の高等小学校と同じ)で希望者のみ入学した。
- ^ 中国明代の辞書『正字通』にある「落斯馬」という動物がイッカクであると書いたシュレーゲルに対し、熊楠はセイウチであると主張した論争。熊楠が勝利。
- ^ 発見場所は、稲荷村(現・田辺市)の糸田にある猿神祠(古くは山王権現社と呼ばれていた)で、高山寺のある台地の会津川に臨む見晴らしの良い場所にあった[13]。
- ^ 当時の『ネイチャー』誌における投稿論文は、現在の査読を行わない読者投稿欄のようなものであった[要出典]。
- ^ 写真多数の図版本。長谷川興蔵(1924-1992)は、編集者として生涯かけ平凡社・八坂書房で著作資料の校訂を担当した。
- ^ 同じ谷川健一編で、熊楠を柳田国男・折口信夫と比較論考した『南方熊楠、その他』(思潮社、1991年)がある。
- ^ 著者没後に刊、編者ほか3名による共著。
出典
- ^ 松居竜五・岩崎仁編『南方熊楠の森』(方丈堂出版、2005年)4〜13頁
- ^ a b c d e f g h i j k 南方熊楠大辞典. 勉誠出版. (2012年1月30日)
- ^ a b 田村義也「語学力」(『南方熊楠大事典』129-133頁)
- ^ 飯倉照平「熊楠伝説」、『南方熊楠大事典』(勉誠出版、2012年)124〜129頁などを参照。
- ^ a b c d e f 唐澤太輔「南方熊楠 日本人の可能性の極限」. 中央公論新社〈中公新書〉. (2015年4月)
- ^ a b c d 『読売新聞』よみほっと(日曜別刷り)2021年10月24日1面【ニッポン絵ものがたり】南方熊楠「菌類図譜」F.4198
- ^ 飯倉 2006, p. 2.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 南方熊楠大事典(第六部 年譜). 勉誠出版. (2012年1月30日)
- ^ a b c d e f g h i 漱石と熊楠 同時代を生きた二人の巨人. 鳥影社. (2019年4月3日)
- ^ Collectors of the UNC Herbarium(英語) - ノースカロライナ大学チャペルヒル校植物標本館(ノースカロライナ植物園の一部門でもある。)
- ^ William Wirt Calkins - ウェイバックマシン(2019年3月13日アーカイブ分)(英語) - イリノイ州自然史調査所
- ^ 松居竜五「ジャクソンヴィルにおける南方熊楠」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第11号、龍谷大学、2009年6月30日、210-228頁、NAID 110008739278。
- ^ 飯倉 2006, p. 206.
- ^ 飯倉 2006, p. 200.
- ^ 松居竜五「南方熊楠宛スウィングル書簡について」『龍谷大学国際社会文化研究所紀要』第7号、龍谷大学、2005年3月25日、149-156頁、NAID 110004628956。
- ^ a b 南方熊楠顕彰会>ゆかりの地
- ^ 変形菌分類学研究者 - 日本変形菌研究会
- ^ Minakatella longifila G. Lister -- Discover Life
- ^ Minakatella longifila G.Lister, 1921 - Checklist View
- ^ Gulielma Lister - Wanstead's Wildlife(英語)
- ^ 変形菌分類学研究者の紹介(国外) - 日本変形菌研究会
- ^ 雲藤等「『南方熊楠全集』(平凡社)と書翰原本との異同 : 上松蓊宛・平沼大三郎宛書翰を中心に」『社学研論集』第20巻、早稲田大学大学院社会科学研究科、2012年9月、139-155頁、ISSN 1348-0790、NAID 120005300994。(18)の異同を参照。
- ^ 紀田順一郎「南方熊楠─学問は活物で書籍は糟粕だ─」においては、ブレサドラの『菌誌』とも。
- ^ 南方熊楠顕彰館所蔵資料・蔵書一覧(南方熊楠顕彰館2012) 5.関連p.14の"関連0958"に資料名として『ブレサドラ菌図譜』とあわせて「名誉賛助名簿」とある。
- ^ a b c d e f g h 南方熊楠大事典(第二部 生涯). 勉誠出版. (2012年1月)
- ^ 南方熊楠大事典(第三部 人名録). 勉誠出版. (2012年1月)
- ^ 飯倉 2006, p. 36.
- ^ 飯倉 2006, p. 277.
- ^ 飯倉 2006, p. 279.
- ^ 飯倉 2006, p. 273.
- ^ 萩原(1999)、p.244
- ^ a b 南方熊楠大事典. 勉誠出版. (2012年1月)
- ^ 和歌山県神社庁公式サイト 鬪鷄神社
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 南方文枝「父 南方熊楠を語る」、付神社合祀反対運動未公刊史料. 日本エディタースクール出版部. (1981年・昭和56年7月)
- ^ 唐澤太輔「〈研究論文 ワーキングペーパー 報告書〉「南方曼陀羅」と『華厳経』の接点」『2015年度 研究活動報告書』、龍谷大学世界仏教文化研究センター、2016年3月、191頁、NAID 120005969550。
- ^ 『日本学者フレデリック・ヴィクター・ディキンズ』秋山勇造 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
- ^ 飯倉 1974, p. 290.
- ^ 「平家蟹の話」
- ^ 紀田(1994)
- ^ “資料” (PDF). 和歌山県教育センター学びの丘. 2018年4月28日閲覧。
- ^ 大本泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書 2014年)pp.33-42
- ^ 世界的植物学者、奇行の巨人死去『東京日日新聞』(昭和16年12月30日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p747 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 飯倉 2006, pp. 334–335.
- ^ 英国科学誌での熊楠の研究に、志村真幸『南方熊楠のロンドン 国際学術雑誌と近代科学の進歩』慶應義塾大学出版会、2020年 がある。
- ^ “知の巨人に和歌山・田辺市が名誉市民章授与 10月22日、紀南文化会館で南方熊楠生誕150周年記念式典 - 産経WEST”. 産経新聞. (2017年9月27日) 2018年10月16日閲覧。
- ^ “「熊楠は日本人の夢」 生誕150周年で中沢新一さんら”. 紀伊民報. (2017年2月22日) 2017年2月24日閲覧。
- ^ 清酒 世界一統-知られざる巨人-南方熊楠-南方熊楠と世界一統の歩み
- ^ a b c II 南方熊楠をめぐる人名目録南方熊楠を知る辞典
- ^ 縛られた巨人、南方熊楠 -何によって縛られていたか『天皇と日本国憲法(毎日新聞出版): 反戦と抵抗のための文化論』なかにし礼、PHP研究所, Mar 7, 2014
- ^ a b 南方熊楠 履歴書(口語訳5)ロンドンに渡るMikumano.net
- ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳13)母と兄Mikumano.net
- ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳15)帰国Mikumano.net
- ^ 南方熊楠 履歴書(口語訳16)和歌山Mikumano.net
- ^ 熊楠を支えた弟/和歌山『毎日新聞』2017年3月20日
- ^ 南方熊楠の家族と日常南方熊楠記念館
- ^ 飯倉 2006, p. 359.
- ^ 飯倉 2006, p. 337,360.
- ^ 遺著に『長谷川興蔵集 南方熊楠が撃つもの』南方熊楠資料研究会
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