第2次原監督時代とは? わかりやすく解説

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第2次原監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 11:59 UTC 版)

読売ジャイアンツ」の記事における「第2次原監督時代」の解説

第1次では同じ時期現役として活躍した選手中心であったコーチ陣容を組んだ原監督だったが、第2次では彼らに加えて他球団での豊富な経験のある人材求めたヘッドコーチ近藤昭仁守備走塁コーチ篠塚和典復帰投手コーチ尾花高夫招聘しょうへい)、また1994年から2002年まで打撃コーチ務め2003年より広島戻っていた打撃コーチ内田順三復帰した選手補強積極的に行い投手陣ではオリックス自由契約となったジェレミー・パウエルFA宣言した豊田清西武)、野口茂樹中日)を獲得した野手ではロッテ李承燁獲得金銭トレード過去ゴールデングラブ賞4度受賞した小坂誠ロッテ)を獲得した一方で前年シーズン途中に既に構想から外れていた清原ローズ自由契約で、豊田人的補償江藤放出した2006年 チーム方針として2005年のワールドシリーズ制したシカゴ・ホワイトソックス倣いスモール・ベースボール」を掲げた開幕当初首位独走していたが、5月始まったセ・パ交流戦途中で主力選手負傷者続出したことで失速することとなった。これに対して西武自由契約となり米国挑戦したものの契約結べ帰国していた小関竜也入団テストで、広島木村拓也交換トレードで、前年阪神解雇されたもののメキシカンリーグ好成績収めていたジョージ・アリアス来日させそれぞれ獲得するなど建て直し図ったが、6 - 7月には8連敗10連敗、9連敗立て続け大型連敗喫した。また一時最下位にまで転落した最終的にチーム防御率1点上の改善があったものの野手陣不調で4位に終わり球団史上初の4年連続完全V逸と2年連続Bクラスとなった。この結果重く見た球団さらなる改革着手した首脳陣ではまず、走塁面の強化西武黄金期三塁ベースコーチとして活躍した伊原春樹野手総合コーチとして招聘篠塚守備走塁コーチ打撃コーチ配置転換伊勢孝夫スコアラー打撃コーチ補佐として現場復帰させた。なお近藤ヘッドコーチ退任し総括ディレクター就任、それに伴って開幕直前伊原ヘッドコーチ配置転換することとなった選手では仁志敏久交換トレード横浜放出小久保FAソフトバンク移籍したが、ソフトバンク戦力外となったベテラン大道典嘉無償トレードで、オリックス谷佳知交換トレードで、日本ハム小笠原道大FAそれぞれ獲得したほか、残留前提としたFA交渉打ち切られ横浜門倉健加入する一方門倉加入伴って補償選手として工藤放出することとなり、逆にソフトバンクから小久保補償選手として吉武真太郎獲得した2007年 5月2日行われたナゴヤドーム中日5回戦プロ野球史上初となる球団通算5,000勝を達成したこれまで主にクリーンナップ打っていた高橋由を1番に、怪我出遅れていた上原浩治先発からクローザーとして起用するなどの大胆な配置転換行った。これが成功し前年のような大型連敗もなく安定した戦い続けた鬼門だった交流戦2位クリア。そして9月23日横浜戦に勝利しこの年から導入されクライマックスシリーズ出場セ・リーグ一番乗り獲得中日阪神との三つ巴デッドヒートの末、優勝マジックナンバーが1となってむかえた10月2日ヤクルト戦、9回裏二死満塁から、清水隆行遊撃内野安打と、宮本慎也一塁悪送球の間に二塁走者生還しサヨナラ勝ち5年ぶりのリーグ優勝達成した。しかし、同年より導入されクライマックスシリーズ第2ステージで、第1ステージ阪神を2連勝破った中日に0勝3敗でストレート負け日本シリーズ出場逃し史上初の「リーグ優勝しながら日本シリーズ出場できないチームとなっている。球団は、期待不足に終わったジェレミー・ゴンザレスジェレミー・パウエルデーモン・ホリンズ外国人3選手自由契約とすると、ロッテから自由契約となった藤田宗一横浜から自由契約となったマーク・クルーンヤクルトから自由契約となったセス・グライシンガーアレックス・ラミレス獲得した2008年 オープン戦から主力選手故障松井秀喜以来となる10代での開幕戦スタメン勝ち取りセ・リーグ史上初となる高卒2年目での全試合スタメン出場果たした坂本勇人除いた若手伸び悩み等でなかなか満足な試合運び出来ず黒星重ねていった。ペナントレース開幕直後チームオープン戦不調引きずり開幕戦となる3月28日ヤクルト戦神宮球場)から4月2日中日戦東京ドーム)まで、球団ワースト記録となる開幕5連敗喫した開幕戦4番打者務めた李承燁昨年クローザーから先発復帰した上原が共に不調二軍降格する戦力が揃わず開幕ダッシュ失敗した。だが、交流戦あたりから調子上げはじめ、若手積極的な起用策が功を奏したのに加え投手陣では2年一軍登板のなかった越智大祐リーグ2位の68試合登板し150キロ近い速球落差のあるフォーク101三振12球団唯一かつ40試合以上登板したリリーフ投手の中で最も多く三振奪ったのに加え山口鉄也リーグ3位67試合登板し、3.91の防御率だった昨年大幅に上回る2.32と結果残し球団史上初の全てリリーフ登板二桁勝利を挙げる11勝、6月1日ソフトバンク戦とのビジターゲーム当時日本球界最速162キロマークしたクルーン61試合登板球団新記録41セーブ挙げた。また7回から9回の3イニング喫した失点数は前年168失点だったのがリーグ最少132失点投手を5人以上起用した試合前年1027敗2分け勝率.270だったのが2920敗2分け勝率.592とリーグ断トツ成績残し強力中継ぎ陣が確立された事で抑えから復帰した上原含めた先発陣不調リリーフ陣がカバーした。また打撃陣ではオガラミ弾と呼ばれる3番小笠原4番ラミレスアベックホームラン15試合あってそのうち7月8日阪神敗れて以降最終戦までの66試合11試合記録し7月9日から最終戦までのホームラン100本と198本のホームランモノ言わせた強力打線パ・リーグ制した西武をも凌ぐ破壊力リーグ2位の78盗塁記録する機動力野球武器後半戦順調に勝ち星重ね、7連勝中の9月19日から首位阪神に3連勝しラミレス9月21日の5回裏にスコット・アッチソンから5-2リード広げるタイムリー放ち並んでいた与那嶺要抜いて1338安打セ・リーグ外国人最多安打記録更新した最終的に球団32年ぶりの12連勝記録する猛追し、同率迎えた10月8日最終直接対決勝利し単独首位に立ち、10日接戦の末にセ・リーグ記録となる最大13ゲーム差からの逆転優勝果たし1989年 - 1990年以来となるリーグ2連覇達成した。11.5ゲーム差逆転しメークドラマ」と呼ばれた1996年優勝時以上の大差逆転したので、マスコミ等は、「メークレジェンド」と呼んだクライマックスシリーズでは、第2ステージ昨年ストレート敗れた中日対戦アドバンテージの1勝を含む3勝1敗1分で勝ち抜けし、2002年以来6年ぶりの日本シリーズへの出場決めるが、リーグ連覇決めた10月10日ヤクルト戦で6回表にキャプテン阿部セカンド牽制球を手から帰塁した際に右肩負傷してしまい、診断結果右肩関節挫傷離脱阿部出場機会減った事が祟って先に日本一王手をかけながら東京ドーム戻って最後の2戦を落としてしまい、3勝4敗で西武敗れた日本シリーズ上原FA宣言してメジャーリーグ・ボルチモア・オリオールズへ移籍しトレード日本ハムからマイケル中村工藤隆人獲得したが、その2人との交換トレード坂本台頭や足の故障スキャンダル出番激減した二岡・不調シーズン大半二軍過ごした林昌範移籍した。また清水移籍志願し金銭トレード西武移籍し第2次長嶋体制時代から主力として支えてきた生え抜き選手が形は違え相次いでチームを去る形になった。なおヤクルト自由契約になったディッキー・ゴンザレス獲得した2009年 シーズンは、創設75周年迎えた原監督2009 ワールドベースボールクラシック日本代表監督就任した事もあり、オープン戦伊原春樹ヘッドコーチ監督代行務めたシーズンに入ると、坂本を1番打者松本哲也2番打者固定するなど選手起用が当たり、開幕8試合目で首位に立つとそのままシーズン乗り切り9月23日対中ドラゴンズ戦に5-3勝利し1965年から1973年V9時代以来となるリーグ3連覇33回目セントラル・リーグ優勝決める。クライマックスシリーズでは、第2ステージ中日対戦アドバンテージの1勝を含む3勝1敗で勝ち抜け日本選手権シリーズ出場決めた1981年後楽園シリーズ以来となった日本ハムとの日本シリーズは、4勝2敗で勝利し2002年以来7年ぶり21回目日本一獲得した11月14日には長崎行われた韓国シリーズ勝者起亜タイガースとの日韓クラブチャンピオンシップ勝利し日韓王者輝いたドラフト会議では巨人熱望してきた長野久義1位指名獲得した2010年 開幕直後前年限り現役引退しコーチとなっていた木村拓也試合前の練習中にクモ膜下出血倒れ急死野手では亀井義行投手ではゴンザレス不調グライシンガー故障長期離脱だったが、ルーキー長野久義加えた強力打線球団史4度目シーズン200ホームラン越え226本)と相変わらず開幕からしばらくの間先発投手陣も好調であり、首位立っている時期長かったが、7月以降相次いで好調だった先発投手陣が不調に陥り、野手陣でも坂本松本調子落としてしまう。また、この年クローザーマーク・クルーン不振に陥り、抑え投手がたびたび変わる等中継ぎ投手陣も安定しなかった。それでも最後まで首位争い絡み続けるが、前述投手陣低迷ナゴヤドーム中日戦で2勝10敗と大きく負け越したのが響き中日と1ゲーム差ながらリーグ4連覇逃しただけではなく引き分け上で2位クライマックスシリーズではホームアドバンテージを得る事が出来権利)が確定する10月8日ヤクルトとの最終戦では4-31点リードで9回に登板したクルーンが2アウト且つ2ストライクと後1球のストライク勝利確定する所まで追い込みながら畠山和洋同点タイムリー打たれると、木佐貫との交換トレード加入した高木康成が1死2塁3塁のピンチ川本良平にライトスタンドへ飛び込む勝ち越しの3ランホームランを浴びてしまい逆転負け3位転落したクライマックスシリーズでは甲子園での第1ステージ阪神に2連勝し勝ち上がるものの、続く第2ステージでは中日相手に1勝4敗で敗れ敗退している。この年南海ホークス経験した最後現役選手であった大道典嘉引退した。また不安定な投球目立ったクルーンが翌シーズン構想から外れ退団したドラフト会議では、中央大学澤村拓一ドラフト1位指名し獲得した2011年 この年3月11日発生した東日本大震災の影響開幕3月25日から4月11日延期開幕戦山口県宇部市野球場行われ1952年フランチャイズ制導入以後地方球場で初となる巨人主催試合開幕戦となった。また電力節電要請4月東京ドーム使用自粛延期になった分を含めて大幅に試合日程変更となっている。この年から導入され統一球影響12球団で一番と言って良い程もろに喰らってしまい、小笠原ラミレス不調に陥り、打撃全体長打力2010年まで比べる激減(特に本塁打)する等、打撃陣が不振陥った一方で投手陣ルーキー澤村拓一4月21日に初勝利を挙げるなど、先発投手陣が引っ張った。その反面前半抑え投手固定出来なかったこと、阿部慎之助開幕時にケガ離脱したこと、獲得した多く外国人選手活躍できなかった事もあり、オールスターまでの前半戦Bクラス低迷することとなった後半戦入り抑え投手久保裕也固定できたことなどで8月に7連勝するなど調子上げていく。終盤阪神との3位争いとなったが、10月阪神中日との6連戦を5勝1敗として、クライマックスシリーズ進出決め最終的に首位から3.5ゲーム差3位終えている。クライマックスシリーズヤクルト対戦するが、先発投手好投する継投つまづき1勝2敗で敗退している。打撃陣では長野首位打者藤村大介盗塁王タイトル獲得している。11月11日ヘッドコーチ人事巡って清武英利球団代表渡邉球団会長不当に介入したとして渡邉球団会長告発する問題起きた清武球団代表はこれを理由18日付で職を解任されている(詳細清武の乱参照)。このオフFA横浜DeNAベイスターズから村田修一を、ソフトバンクから杉内俊哉それぞれ獲得した。その一方で外国人移籍組で史上初の先発4番としての通算100号を達成したラミレスグライシンガー大村三郎鶴岡一成らが退団したラミレス鶴岡DeNAに、大村グライシンガーロッテそれぞれ移籍)。 2012年 3月15日球団1997年から2004年度に6選手結んだ契約このうち27億円が最高標準額(2007年まで上限ではなく超えて構わないというのがプロ野球全体理解であり、超過場合制裁措置定められたのは2007年以降)を超過していたのではないか朝日新聞記事報じられた。開幕序盤球団史上初の開幕戦完封負け喫するなど低迷し4月4日の対広島戦マツダ)に敗れ単独最下位となり、開幕8試合5度完封負け46イニング無得点記録するなど、4月2度の5連敗記録した。しかし、原監督は「必ず噛み合う様になる」と信じた通り5月6日阪神戦から25日ロッテ戦まで破竹10連勝(3分挟む)を記録5月14日勝率5割としている。交流戦入って好調続き6月6日リーグ首位に立ち、6月16日の対楽天戦(Kスタ宮城) に勝利して17勝7敗でセ・リーグ球団初の交流戦優勝達成その後中日との首位争いとなるが、東京ドーム行われた6月29日からの中日戦スウィープ同一カード3連勝)して7月1日首位に立つと、前半戦中日4.5ゲーム差貯金20首位折り返す後半戦入って7月14勝4敗3分け勝率.778)と一気駆け抜ける8月には6連勝と7連勝記録8月23日優勝へのマジックナンバー30点灯させ、9月8日の対ヤクルト戦新潟)に勝利してクライマックスシリーズ進出決め1度優勝へのマジックナンバー消滅させる事なく9月21日の対ヤクルト戦東京ドーム)で勝利して3年ぶり34度目のリーグ優勝達成最終的に864315分で、2位中日に10.5ゲーム差最終戦ではDeNA2-1サヨナラ勝ちDeNA相手東京ドーム無敗記録した打者では阿部慎之助首位打者打点王二冠長野坂本最多安打獲得投手では15勝の内海哲也最多勝杉内俊哉最多奪三振最高勝率二冠獲得したチームとしても防御率2.16は、1966年の西鉄ライオンズ(2.13)以来好成績となり、2年目澤村10勝、ソフトバンクから移籍した内とホールトンが12勝と1990年以来となる二桁勝利投手が4人誕生ルーキー高木京介球団記録29試合連続失点記録した。クライマックスシリーズファイナルステージでは2位中日対戦するが、3連敗中日王手かけられ土俵際まで追い込まれた後に怒涛の3連勝という、クライマックスシリーズ史上初の3連敗からの3連勝日本シリーズ進出決める。3年ぶりに実現した日本ハムとの日本シリーズ主将阿部負傷離脱するアクシデント見舞われながらその阿部が6戦目で決勝タイムリー放ち4勝2敗で3年ぶり22度目の日本一達成アジアシリーズ2012では決勝戦台湾Lamigoモンキーズに6対3勝利し、初のアジア王となった。これで交流戦セ・リーグクライマックスシリーズ日本シリーズアジアシリーズ全て優勝し日本プロ野球史上初の5冠を達成したドラフト会議では前年日本ハム1巡目指名拒否した東海大菅野智之単独指名獲得した。また東野峻オリックストレードし、交換阿南徹香月良太獲得した2013年 開幕から球団タイ記録の7連勝飾り5月5日東京ドームでの対広島戦試合前に終身名誉監督長嶋茂雄巨人OB松井秀喜国民栄誉賞授与式が行われている。交流戦1310敗の3位前半戦2位阪神2.5ゲーム首位折り返し8月9日優勝へのマジックナンバー39点灯9月7日7年連続クライマックスシリーズ進出決定9月22日の対広島戦東京ドーム)の試合開始直後2位阪神ヤクルトに6対7敗れたため、この時点巨人2年連続35度目のセ・リーグ優勝決定した開幕戦以降6月阪神一時首位立った以外は、首位を譲らなかった。広島とのクライマックスシリーズファイナルステージは3連勝日本シリーズ進出決めた迎えた楽天との日本シリーズでは第5戦までに2勝3敗で王手かけられたものの、第6戦でシーズンから無敗田中将大この年初の黒星をつけタイ持ち込むが、第7戦で敗れて3勝4敗で敗退したこの年オフFA西武片岡治大広島大竹寛中日自由契約となった井端弘和獲得した2014年 球団創設80周年迎えた4月19日キューバ国内リーグセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル」の中心選手であるフレデリク・セペダ契約同時に球団セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルとの友好関係を結ぶことを発表したシーズン序盤より投打ともに勢い乗りきれず、交流戦に入る段階では首位広島とは4.5ゲーム差3位だったが、交流戦ではソフトバンク優勝争い交流戦最終戦でのソフトバンクとの直接対決勝利し2年ぶりに優勝達成6月11勝5敗とし、6月8日首位に立つと以降首位から陥落することはなかった。8月には1313敗で一時2位阪神0.5ゲーム差となるが、9月入り4日にはこの年初め優勝へのマジックナンバー22点灯翌日消滅したものの、11日には16で再点灯20日の対ヤクルト戦勝利しクライマックスシリーズ進出決め優勝へのマジックナンバーを2とした9月26日の対DeNA戦に6対3勝利しマジック対象チーム広島阪神敗れたため、3年連続通算36度目のセ・リーグ優勝決定した。なお打線では規定打席到達しての3割打者がおらず、チーム打率リーグブービーの.257(厳密には.25668)と平成入ってリーグ優勝果たしたシーズンとしては1996年の.25269、2012年の.25643に次ぐ低い水準だった。2位阪神とのCSファイナルステージでは菅野大竹欠いた状態で臨んだ事が響いてCS史上初の4連敗敗退し日本シリーズ進出逃した同年オフ東京ヤクルトスワローズから相川亮二FA権を行使して入団、また横浜DeNAベイスターズから金城龍彦入団した。さらに、テキサス・レンジャーズからマイルズ・マイコラスアーロン・ポレダ獲得した同年木田優夫引退し後楽園球場本拠地だった時代在籍していた選手姿を消した2015年 序盤DeNA首位を争う展開となった4月15日監督の原がB型インフルエンザウイルス感染し当面自宅静養となり監督代行ヘッドコーチ川相務めることが発表された。約1週間休養経て4月21日広島戦復帰4月末、阿部坂本亀井故障離脱レイズから自由契約になっていたホアン・フランシスコ獲得した交流戦では4年ぶりに負け越し11位に終わった6月後半首位の座を阪神明け渡すも、7月にはすぐに首位復帰。しかし前半戦最後のカードの対DeNA戦に3連敗喫し首位から陥落前半戦2位通過した7月18日ニューヨーク・メッツ3Aからアレックス・カステヤーノス獲得した8月5日の対ヤクルト戦神宮)において、公式戦通算10,000試合達成した阪神オリックス中日次いでプロ野球4球団となった後半戦阪神ヤクルトとの優勝競ったが、カステヤーノスらを補強しても相変わらず打線不振で、首位に立つチャンス幾度となく逃し終盤ヤクルト阪神後塵を拝する事になる。9月27日東京ドームでのヤクルト戦1-2落としてヤクルト優勝マジック3を点灯させた事が決定打となり、10月2日ヤクルト優勝した事でリーグ4連覇への挑戦失敗終わりレギュラーシーズン2位終えたCS開幕前の10月5日所属選手野球賭博への関与告発したクライマックスシリーズファーストステージは、シーズン3位の阪神対戦、2勝1敗で勝利するシーズン1位のヤクルトとのファイナルステージでは、初戦こそキャプテン坂本の2ランホームランなどもあり勝利を挙げたものの、2戦目以降は勝ち頭のマイコラス菅野落とし打線も2戦目以降規定打席越えの3割打者1人もいなかった事を象徴する貧打26イニング連続無得点などもあり3連敗した最終的には1勝4敗(アドバンテージ1敗含む)で、2年連続日本シリーズ進出逃した。なお、巨人2年連続CSファイナルステージ敗退したのはこれが初めて。そしてCS終了後、原は辞任表明10月19日記者会見で原が監督退任正式表明し第2次体制10年第1次体制合わせて12年間の監督生活にピリオドを打った次期監督として球団OB野球評論家江川卓ヘッドコーチ川相昌弘打撃コーチ外野手高橋由伸などが候補報道された。10月22日2016年シーズンから、一軍二軍のほかに育成選手中心とした三軍編成することを発表10月23日高橋由伸の新監督就任および2015年限り現役引退発表された。同時に井端弘和と金城龍彦が引退しそれぞれ一軍内野守備・走塁コーチ三軍打撃コーチ就任した10月26日高橋監督就任会見が行われた。3年契約背番号現役時代と同じ「24」。また、監督原辰徳2016年1月1日付で、球団特別顧問就任することが決定11月23日行われたジャイアンツ・ファンフェスタ2015において高橋由伸現役引退および監督就任セレモニーが行われた。シーズンオフには埼玉西武ライオンズから脇谷亮太古巣復帰長打復活のためにニューヨーク・ヤンキースから4番候補ギャレット・ジョーンズ登録名ギャレット)、千葉ロッテマリーンズから自由契約となったルイス・クルーズ獲得し打線強化図った

※この「第2次原監督時代」の解説は、「読売ジャイアンツ」の解説の一部です。
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