第2次史跡整備と木製品の発見
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「甲斐銚子塚古墳」の記事における「第2次史跡整備と木製品の発見」の解説
その後は後円部周辺の公有地化が進み、2001年(平成13年)には史跡整備に伴う第2次調査が行われ、後円部西端の墳端が確認される。公有地化の完了した2004年(平成16年)には、後円部北側において周溝から半円形に張り出した「突出部」や埋設された木柱跡が確認され、古墳におけるマツリの場であると考えられている。さらに、後円部西端の墳端の周溝からは組合せ式の木製品が出土した。 円盤形木製品は直径50センチメートル、厚さ4センチメートルで、中央が厚いレンズ状になっている。周縁部に3つの孔があり、蕨手形木製品を刺し込み目釘で固定していたと見られている。中央の孔にはホゾ加工され、直径4メートルの棒状木製品を刺し込む構造になっている。木製品の多くは火を受けており、へら状木製品に火鑽(ひきり)板があることから、これらの木製品は古墳における葬送儀礼の道具と考えられている。風雨の影響で朽ち果てている笠形木製品に比べ、円盤・蕨手・棒状の各木製品は保存状態が良く、木製品は一定期間(数年)の間は葬送儀礼に用いられ、周溝へ投げ込まれて廃棄されたと考えられている。 その後、木製品の分析が行われた。立柱は直径20メートル前後で上半分が折れており、芯部を含まないスギ材で年輪から3世紀前半の伐採と考えられており、4世紀前半の築造年代とは時間差が存在することが判明した。 後円部墳頂の石室位置 後円部突出部(復元) 立柱(復元)
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