第2次合併とは? わかりやすく解説

第2次合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)

高松市の歴史」の記事における「第2次合併」の解説

第1次合併先立つ8年前、ちょうど日本日露戦争戦勝祝賀沸いていた1906年明治39年)、かねてから高松市将来構想練っていた当時香川県知事小野田元熈はこの時期にこそ隣接統合を図る絶好きっかけであると考え手始め香川郡栗林村東浜村内意を探るため諮問案を作り送った。それを受け取った栗林村東浜村は両とも合併対し時期尚早であるという意見強く諮問案に対し合併反対することを答申したそのようなことでこの時は合併される側である、栗林村東浜村反発でこの合併立ち消えすることとなった。 それから10年後の1915年大正4年)、当時香川県知事若林賚蔵東浜村高松市対し合併促進の再諮問行った。そして東浜村村会開き諮問案を審議した結果税金道路改修など6件の希望条件つき合併賛成することを決定し、この意向を県に答申した一方高松市東浜村答申踏まえたこの事案市会に諮ったところ、東浜村合併条件不当であるとしこの受け入れ強く拒んだ。このときも今度高松市反発東浜村高松市合併不成立終わった。 それからさらに5年後1920年大正9年3月4日当時香川県知事佐竹義文三度東浜村合併諮問案を提示した。これは幾分圧力的なものであった。それを受け、東浜村村会開き審議した結果合併希望条件として、松島-沖松島新しく道路造ること、合併区域高松市水道工事第一期施工地域に繰り入れること、などの意見書付け満場一致賛成し県知事答申した。これに対し高松市側も市会開いて審議した結果合併承認大勢占めた東浜村高松市とも合併準備のための県の議決経て構想から15年経った1921年大正10年1月1日以って東浜村高松市編入した。 合併に伴い旧東浜村区域には、新たに福岡町松嶋町、鹽上町花園町4つの町ができた。 第2次合併当時面積人口自治体名人(人)世帯数世帯面積(km2)人口密度(人/km2)首長香川郡東浜村7,085 1,679 2.27 3,121.1 久本八 高47,740 10,970 5.58 8,555.6 佐野久宣 新高54,825 12,649 7.85 6,984.1 佐野久宣

※この「第2次合併」の解説は、「高松市の歴史」の解説の一部です。
「第2次合併」を含む「高松市の歴史」の記事については、「高松市の歴史」の概要を参照ください。

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