第2次吉田監督時代とは? わかりやすく解説

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第2次吉田監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:02 UTC 版)

阪神タイガース」の記事における「第2次吉田監督時代」の解説

1985年 開幕投手2年目池田任せざるを得ないほどに、昨年から大きな弱点であった先発投手の手薄さという大きな弱点改善されず、開幕当初ファンの間でも優勝への期待薄かった。しかし主に1番・真弓3番バース4番掛布5番岡田らの強力打線(「ニューダイナマイト打線」)が先発投手の手薄さ補って余りある大活躍をし、4月17日の対巨人戦甲子園球場)ではバース掛布岡田巨人先発槙原寛己からバックスクリーン3連発放って開幕ダッシュ弾みをつけた。この年最終的に本塁打セリーグ記録更新する219本塁打記録し夏場まで首位快走していた。しかし、8月12日発生した日本航空123便墜落事故球団社長中埜肇犠牲となり、阪神タイガースナインたちもこの事故機(JA8119)に直前フライト福岡羽田日本航空366便)で搭乗していたため、選手たち大きな衝撃受けて一時大型連敗喫して首位陥落した。しかし、広島巨人との首位争いの中で強力打線加えて中西清起福間納山本和行らのリリーフ投手陣も1年通して大車輪の活躍をみせ、10月16日の対ヤクルトスワローズ戦(神宮)に引き分けて、21年ぶりのリーグ優勝決定バース球団初の三冠王獲得西武との日本シリーズは4勝2敗で勝利1リーグ時代から約38年ぶり、2リーグ制になってから初の日本一達成となる。 1986年 バースシーズン打率.389、シーズン長打率.777、7試合連続本塁打13試合連続打点日本新記録マーク2年連続三冠王獲得しルーキー遠山昭治が8勝を挙げ台頭したが、掛布池田親興負傷による長期戦離脱、更に岡田などの主力選手不振影響し、夏のロード広島巨人との優勝争いから脱落して3位終わったこの年川藤幸三引退1987年 投手陣新外国人マット・キーオ孤軍奮闘したものの、先発ローテーション池田仲田幸司らが不振大きく負け越し山本和行中西清起リリーフ失敗目立ったバース無冠ながら好調維持し打線支えたが、掛布負傷及び不振岡田不振などが響き9年ぶりの最下位となり、吉田監督解任され村山実監督就任勝率.331は球団史上最低勝率である。 この年から2001年まで15年10回も最下位へと陥る暗黒時代迎えることになる。

※この「第2次吉田監督時代」の解説は、「阪神タイガース」の解説の一部です。
「第2次吉田監督時代」を含む「阪神タイガース」の記事については、「阪神タイガース」の概要を参照ください。

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