第2次大平内閣行政管理庁長官
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「宇野宗佑」の記事における「第2次大平内閣行政管理庁長官」の解説
1979年(昭和54年)、第2次大平内閣で行政管理庁長官に就任。行政管理庁長官として特殊法人の一割削減を計画し、各大臣を大臣室に呼びつけるが、省庁幹部が大臣の代理で大臣室に来ても面談を拒否する徹底した政治主導を行い、計18法人を整理した。 1982年(昭和57年)の自由民主党総裁選で出馬した中曽根康弘の代表世話人となった。中曽根が総裁に当選すると、宇野も自民党幹事長代理に就任し1983年(昭和58年)1月の中曽根首相の訪韓に同伴する。6月に山中貞則が病気により通産大臣を辞任すると後任に就任した。通産大臣として貿易黒字、貿易摩擦の対策に取り組んだ。中曽根首相の退陣に伴い、竹下登を後継総裁に指名する中曽根の裁定文を幹事長代理として発表した。
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