第2次大陸会議に参加した植民地
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ニューハンプシャー Province of New Hampshire マサチューセッツ Province of Massachusetts ロードアイランド Colony of Rhode Island and Providence Plantations コネチカット Connecticut Colony ニューヨーク Province of New York ニュージャージー Province of New Jersey ペンシルベニア Province of Pennsylvania デラウェア Delaware Colony|Lower Colonies on Delaware メリーランド Province of Maryland バージニア Colony and Dominion of Virginia ノースカロライナ Province of North Carolina サウスカロライナ Province of South Carolina ジョージア Province of Georgia 第二次大陸会議が1775年5月10日に招集されたとき、実質的には第一次大陸会議を再集結という形になった。第一次大陸会議に出席した56人の代議委員の多くが第二次でも出席しており、議長には同じくペイトン・ランドルフ、書記官にはチャールズ・トムソンを指名した。初めて参加した者の中で著名な者はペンシルベニアのベンジャミン・フランクリンとマサチューセッツのジョン・ハンコックがいた。開会から2週間のうちに、ランドルフがバージニアで植民地議会を主宰するために呼び戻され、その後のバージニア代議員はトーマス・ジェファーソンとなり、数週間後に到着した。ヘンリー・ミドルトンがランドルフの後の議長に選出されたが、ミドルトンはこれを辞退し、5月24日にハンコックが議長に選出された。 ジョージア植民地は第一次大陸会議に出席せず、第二次大陸会議でも当初は代表団を送らなかった。1775年5月13日、ライマン・ホールがジョージア植民地セントジョンズ郡代表として受け入れられたが、植民地全体の代表としてではなかった。7月4日、革命派ジョージア人がアメリカ革命にどのように反応するべきかを決める為に植民地議会を開き、7月8日に大陸会議に代議員団を派遣することを決めた。その代議員団は7月20日に到着した。
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