第2次大戦後の法制史
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第2次世界大戦後、法制学においては文科派と法科派の研究方法に対する対立が深まった上に、法律学のみならず歴史学の立場からも存在意義に疑問を呈されるようになる。法律学側からは伝統的な法実証主義に固執して現行法の法体系との比較など、現在の法律学に対する客観的視点の付与といった基礎法学として果たすべき役目を果たしていないとの批判を受けた。一方、歴史学の立場からも歴史における社会的な諸現象を無視して現行法の概念で法体系の違う過去の法制を研究しており、当時の社会・経済的な背景と関連づけて更なる深化を図ろうとする歴史学の流れから乖離しているとして批判を受けた。こうした中で1949年には法制史学会が結成されて11月23日に中央大学で創立大会が開かれた。戦後は、社会史や経済史の立場から法制史研究に携わって国家や支配層以外の町村や寺院、商人団体など社会関係を規律してきたあらゆる規定に関心が向けられ、またこれまでは未開拓の部分が多かった中世法や近代法、更には日本国憲法の制定によって現行法としての地位を失った大日本帝国憲法の法体系を中心に明治維新以後の法体系を研究する近代法の研究も次第に盛んになってきた。特に近代法は日本の国家及び法の近代化の過程と深く関係しており、加えて「旧法」として現在の法体系との関連性を有している事から注目されている分野である。 こうした法制史を巡る変化に関する動きは世界的に強く、法制史と実定法の関係が強いとされるドイツでもローマ法とドイツ民法典との関係の希薄化やゲルマン法とナチズムとの関係に対する批判から法制史の衰退が見られたが、ハインリヒ・ミッタイス(de)やカール・クレッシェル(de)などによって法解釈における法制史の役割について再構築を行う動きが見られた。
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