矢野監督時代
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2019年 新人の近本光司、木浪聖也が開幕スタメンに抜擢。しかし、深刻な得点力不足は前年より解消されず、加えて守備面での不振も目立ったが、12球団中トップのチーム防御率3.46・救援防御率2.70を記録した投手陣がチームを牽引し、シーズン最終盤には最大6.5ゲーム差を逆転しての3位となった。チーム総得点538・チーム失策数102は共にリーグワーストを記録したが、リーグトップのチーム100盗塁数を記録。また、監督就任初年度でのAクラス入りは1985年の第2次吉田監督時代以来であり、新任に限ると1982年の安藤監督時代以来。2年ぶりのCSでは、2位DeNAとの1stステージを2勝1敗で勝利も5年ぶりのファイナルステージで首位・巨人に敗退。記録では、藤川がNPB史上初の「150セーブ・150ホールド」を達成。梅野隆太郎が捕手のシーズン補殺日本記録(123補殺)を樹立。また、近本がセ・リーグ新人安打記録(159安打)を樹立、新人では2001年の赤星以来史上2人目となる盗塁王を獲得。西が球団の投手では史上初のゴールデングラブ賞を受賞、梅野の捕手部門受賞と合わせて球団史上初のバッテリー受賞にもなった。メッセンジャーらが現役を引退した。オフに自由契約となった鳥谷敬が3月10日にロッテに移籍。 2020年 3月下旬、藤浪晋太郎が球界初の新型コロナウイルス感染者となった。開幕後は、新外国人のジャスティン・ボーア、主力の近本や糸原らが開幕から軒並み不調であり、開幕カードの巨人戦で3連敗を喫する。更に救援陣も総じて調子が悪く、特にクローザーの藤川がコンディション不良による救援失敗が相次ぐなど投打の歯車が噛み合わず、開幕後の12戦で2勝10敗と大きく負け越す。しかし、大山悠輔やジェリー・サンズのスタメン定着や、ロベルト・スアレスのクローザー抜擢などを契機にチームも7月中旬以降は復調した。しかし、9月下旬に再び選手のコロナウイルス感染が相次ぎ、濃厚接触者と合わせて10人もの選手の登録を抹消する事態に見舞われる。シーズン終盤は中日、DeNAとAクラス争いになるも、巨人以外の4球団に勝ち越し、最終的には首位から7.5ゲーム差の2位に終わった。大山は最多本塁打を争う活躍を見せ、スアレスが25セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得した。一方で、近年の課題である守備面が解消されず、失策数85を数え、3年連続となる12球団ワーストとなった。藤川、上本博紀が現役を引退。オフに自由契約となった福留が中日、同じく自由契約となった能見がオリックスに移籍。ドラフト会議で佐藤輝明を4球団競合の末に獲得した。 2021年 オープン戦では糸井嘉男の好調や、ドラフト1位ルーキーの佐藤輝明が5本塁打を放つなど、2016年以来5年ぶりに優勝。ヤクルトとの開幕3連戦では球団初となる開幕からの3戦連続2本塁打を放つなど3連勝し、2年ぶりに単独首位に立った。4月9日〜11日のDeNAとの3連戦でも全勝し、矢野政権最多となる勝ち越し7を記録するなど好調で、交流戦を28勝12敗2分の貯金16で首位で迎えた。交流戦では5月28日の埼玉西武ライオンズ戦で、佐藤が新人では長嶋茂雄以来63年ぶりとなる1試合3本塁打を記録。チームは6連勝で交流戦を締めるなど11勝7敗、2008年以来の勝ち越し20を記録し、13年ぶりに前半戦を首位で折り返した。しかし、後半戦になると前半好調だった佐藤、梅野、サンズらが調子を落とし、特に佐藤はNPB野手記録となる59打席連続無安打を記録するほどの不振に陥ったこともあって、徐々に成績が下降。8月末に首位陥落すると、10月8日に首位ヤクルトに敗れ自力優勝が消滅。優勝争いは最終盤までもつれたが、阪神がシーズン最終戦となった10月26日の中日戦に敗れたことで同日のDeNA戦に勝利したヤクルトが優勝を決めた。最終的に両リーグ最多の77勝を挙げるも首位と0ゲーム差の2位に終わる。優勝チームを勝数で上回りながらシーズン年間勝率1位を逸した例は史上初。甲子園で行われた3位巨人とのCS1stステージでは2連敗で敗退。新人の活躍が顕著であり、佐藤に加え、中野拓夢、伊藤将司の計3名が新人特別賞を受賞した。
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