第1次合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)
高松市が市制を施行して以降、最初に市域を広げるべく合併を模索したのは市と隣接する香川郡宮脇村であった。宮脇村には江戸時代から高松の産土神として歴代藩主や、市民から篤く信仰されてきた石清尾八幡宮のほか、有名な寺院・学校などがあり、高松市とは縁深い関係にあった。そのため本来高松市が市制を施行すると同時に合併されるはずであったが、当時の事情によってそれは実現せず、20年以上も放置されていた。それは当時の高松市がまだ発展途上にあり、市も山積する課題の中、市域を広げるという事案にまで立ち至っていなかったからと言われている。 しかし明治時代末期、高松市側はようやく市域の狭さを感じ、市域を広げるべく地理的に最も都合の良かった香川郡宮脇村を合併する案が浮上してきた。宮脇村側でも過去から日常生活で繋がりの深い高松市との合併を望む声が大勢を占めた。1914年(大正3年)4月、当時の香川県知事、川村竹治が合併の斡旋に乗り出したため、高松市と宮脇村の協議は急進展することになった。そして1914年4月30日宮脇村を香川郡から分離し閉村、5月1日を以ってその地域を高松市に編入(合併)する事となった。 高松市に編入された旧宮脇村地区には新たに宮脇町と西浜新町の2つの町名が割り振られたが、1930年(昭和5年)4月1日には宮脇町の東部の一部を九番丁と十番丁に、西浜新町の東北部の一部を幸町と昭和町にそれぞれ分割した。 第1次合併当時の面積と人口自治体名人口(人)世帯数(世帯)面積(km2)人口密度(人/km2)首長香川郡宮脇村3,750 616 2.72 1,373.6 不明 高松市42,883 9,040 2.85 15,046.7 鈴木幾次郎 新高松市46,633 9,656 5.58 8,357.2 鈴木幾次郎
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