第1次原監督時代
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「読売ジャイアンツ」の記事における「第1次原監督時代」の解説
2002年 原ヘッドコーチが監督に就任、原監督と鹿取義隆ヘッドコーチは投手陣を立て直し不振で苦しんでいた上原、桑田が復活。故障がちで一軍に常時いられなかった河原を抑えに抜擢し年間通して活躍。松井が50本塁打を放ち打線を牽引。1年目でセ・リーグの全球団から勝ち越してのリーグ優勝を果たす。また、日本シリーズでも西武を相手に球団史上初でシリーズとして12年ぶりの4連勝のストレート勝ちで日本一に輝いた。シーズンオフに松井がFA権を行使してメジャーリーグ・ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。 2003年 松井に代わる大砲としてヤクルトからロベルト・ペタジーニを獲得。しかし、原監督は守備位置の問題を解決できず、鹿取コーチは一任されていた投手陣が崩壊し整備できずチームは3位に終わった。6月27日には球団史上初めて6月での自力優勝消滅を記録、シーズン終盤には9連敗を喫するなど、優勝した阪神に15.5ゲーム差をつけられた。さらに、この頃から巨人戦視聴率の大幅な低下が起こり始めた。そして9月26日、原監督は責任を取り監督を辞任した。辞任をするにあたってのセレモニーも行われなかった。辞任に関して、原監督と渡邉恒雄オーナーとの確執がマスメディアに報じられた。この混乱が原因で川相昌弘がコーチ就任要請を辞退して現役引退も撤回、中日に移籍した。後任監督に堀内恒夫が就任した。
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