アジア王
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アジア王(アジアおう、ギリシア語: Κῡ́ριος της Ᾰ̓σῐ́ᾱς Kū́rios tēs Ăsĭ́ās 「アジアの主」)は、マケドニア王アレクサンドロス3世(大王)が紀元前331年にガウガメラの戦いで勝利した後に与えられた称号[1]。紀元前323年にアレクサンドロス大王がバビロンで崩御した後、その称号は後継者である異母兄ピリッポス3世と崩御後に生まれた息子アレクサンドロス4世に継承されたが、いずれもアジアを含むアレクサンドロス帝国全体において実権を持たず、その実権は摂政や反乱を起こしたペルシアの太守たちにあった。アルゲアス朝の断絶とディアドコイの台頭によりアレクサンドロス帝国が分裂すると、アジア王の称号は消滅した。
アジア王一覧
- アレクサンドロス3世(大王、兼コリントス同盟の盟主・最高司令官)(前331年 - 前323年)
- ピリッポス3世(前323年 - 前317年)
- アレクサンドロス4世(前323年 - 前309年)
脚注
- ^ “Britannica reference on Lord of Asia”. 2010年1月8日閲覧。
関連項目
「アジア王」の例文・使い方・用例・文例
- 浦(うら)和(わ)レッズがアジア王者に
- アジア王のページへのリンク
