代表的な企画
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「BLT (テレビ番組)」の記事における「代表的な企画」の解説
テレビスタッフ山崩し 記念すべき第1回目の企画。紳助と大竹が交互にスタッフを1人ずつ帰らせて、放送できない状態にした方が負けというもの。 指名された役職のスタッフは、自らの道具や用意した物を撤収させてから帰る。例えば、メイク担当を帰らせたら、出演者のメイクを落としてから帰ることになる。カメラマンやマイク担当など複数いる役職は、それぞれ大竹担当紳助担当のように別役職扱いであった。 最終的にミキサー(音声担当)を帰らせたため(帰る際に音声機材の電源を切ったため)音声が聞こえなくなり、「このままだと放送事故になります」というテロップとブザーが鳴る異常事態に慌ててミキサーが戻ってくる場面があった。結局、スタッフで残ったのは、カメラマン、ミキサー、ピンマイク担当の3人が限界だった。 大募集 ここで「恋人のいないこだわりさん」などの企画に出演したい人を募集した。 この企画では募集要項を背景に表すため、毎回大がかりなセットが組まれるものの、予算の都合により派手なセットとはならずスタッフの人力に頼るなどチープさの見える部分あった。ある時は巨大なパネルを倒し、その風圧によってあらかじめ撒かれていた紙吹雪を舞わせる演出をした際には、紳助は「すごい!仮装大賞みたい!!」とその演出をCMをまたいで絶賛した。 クイズ!あわせて100% 番組の用意した著名人リストの中から1人をスロットで抽選し、もう1人を解答者が各自選択する。2人の著名人の知名度の合計が80%~99%になれば1%につき+1ポイント、ピッタリ100%になると+200ポイント(番組中期は+500ポイント)。それ以外は『ドボン』となり1%につき-1ポイントとなる。最終的に持ち点×1000円が賞金・罰金となる(という事になっている)。 番組末期には罰金総額の5%を司会者が貰える制度や、スロットで『当たり』(確率 1/10)を引くと『LUCKY GAME』としてその問題のポイントがマイナス含め2倍となる(スロットを止めた人は缶コーヒーが貰える)システムが導入された。 この企画は島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!でも実施されている。 思い入れ放送大賞 7人のタレントが自分の思い入れのあるものについて、決められた時間内でどれだけ伝えられるのかを競う。政見放送風の演出になっており、0%から100%の思い入れ伝達度で評価する。渡辺裕之、YOU、天本英世、大泉滉が出演。トーク番組の前衛化を目指したもの。 小相撲大会 大相撲の入門基準(体重や身長)に満たないが、それでも相撲に情熱を傾ける愛好家によるトーナメント大会。 同じ話ショー 土建屋よしゆきの話を自分なりにアレンジして観客を最も笑わせた方が勝ち。公平性を守るため、出場者ごとに観客が入れ替わる。蛭子能収、浜村淳、きたろう、野々村真、山崎邦正の5人が参加。山崎、野々村は大ブーイングを受けるほどの散々な結果に終わった。優勝争いは浜村と蛭子に絞られたが、「浜村さんはプロやから」という紳助の独断で蛭子に決まった。 BLT作詞大賞 円広志が作曲したオリジナル曲に歌詞を付けるコンテストで、審査員は森雪之丞が担当した。きたろう、デーブ・スペクター、間寛平、山田花子などが参加。女性歌手が歌うカラオケビデオ形式のVTRで公開されるが、山田のみスタジオで自ら歌った。なお、寛平の出番が回ってきたときのみ緊急報道特番に差し替えられたため、結局、寛平の歌詞は公開されずにお蔵入りになってしまった。ちなみに、この放送から紳助は降板しているため、大竹だけで司会をしていた。 ダメ人間決定!人間リトマスゲーム 「民主主義の社会である以上、少数派はダメ人間とみなされる」という前提で行う。参加者5人に2択の質問を出題し、答えが少数派になると減点される。2人ならマイナス5点ずつ、1人ならマイナス10点。マイナスが累積すると「ちょっとダメ人間」「相当ダメ人間」などの称号が後ろに表示される。(アブノーマルチェックの原型といえる) じゃんけんで100万円 大阪市内のホールを会場にし、集まった視聴者1000人によるじゃんけんトーナメントを開催。優勝者への賞金は100万円。勝者が敗者が持っていた入場チケットを貰うルールで公正さを保った。結局参加したのは750人。 芸能人の彼女大募集 街頭で女性に紳助、大竹、そのまんま東(現・東国原英夫)、蛭子能収の4人のなかで誰が好みのタイプかをインタビュー。4人が自分だと思ったら早押し形式でボタンを押し、正解すると本人の連絡先を獲得できるという企画があった。これが発展して紳助、大竹がスタジオで二人の彼女になりたい一般女性を募って公開お見合いを行った。この時は事前に何人登場するか2人には教えられず、1人ずつ面会してその場でイエスかノーかを回答。最後の人まで廻ってきたら自動的にその人が彼女に決定するという仕組みになっていた。 恋人のいないこだわりさん 芸能人の彼女大募集から発展。まず、恋人のいない男女が1人ずつ登場し、自らのプロフィール、自己PR、理想のタイプなどを発表し、恋人を視聴者から募集する。その後、数週の放送を経て応募者があったときのみ出演し、恋人を決定するというもの。応募者が1人のみという場合もあれば、50人近く集まったケースもあった。安上がりなためか、一時期はこの企画が続いた。この後、紳助が司会を降板する。 ザ・命名ショー 今後商品化される予定のグッズやペット、イベントのタイトルなどを芸能人が知恵を振り絞って考えて命名しようという企画。これで雑誌『B.L.T.』の1コーナー「天真漫欄」が命名された(命名者は木村祐一)。また、この「天真漫欄」の命名時に書かれていた同コーナーの記事で、進行役の大竹まことは番組『BLT』が打ち切りになることを初めて知った。 これはもはやボウリングではない! アンケートの回答を予想するクイズとボウリングを組み合わせたゲーム。芸能人10人に事前アンケートを行って得られた回答10個をピンに見立て、挑戦者は回答の予想を宣言しながらボールを投球。的中した回答に対応したピンが倒れるというルールでボウリングを行う。 派生企画として『これはもはやテニスではない!』という企画も存在した。また、この企画も後に島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!で実施された(ボウリング版のみ)。 クイズロシアンルーレット'95 EXテレビで行われていた同名企画の復活版。 シリトリー 4人でしりとりをしていき、語尾の文字を使って麻雀の様に役を作っていく。文字を8個集めた時点で「同じ2個×4組・同じ3個×2組+2個・5個+3個・8個とも同じ」のいずれかになると、その役に応じた点数を獲得。 ちゃんとわきまえているのか マニア相撲 なんでお前がオレやねん グルグルぐるーぴー よみうりテレビ秘蔵映像大公開スペシャル よみうりテレビにあるVTRライブラリーから「秘蔵映像」を公開するという企画。スタジオバックにモニターを大量に並べ、一大企画のように演出をしていたが、実際に公開された内容は言うと、見ごたえがあったのは当時ヒッチハイクで一躍人気者になった、猿岩石有吉弘行が、EXテレビのオール巨人の弟子入りオーディションのに参加していた様子ぐらいで、その後はMC3人のよみうりテレビの過去のレギュラーをつまんできたような内容で、後半はあきらかにだれていた。
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代表的な企画
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「YOU (テレビ番組)」の記事における「代表的な企画」の解説
青春プレイバック 原則として毎回、番組の最後に放送された、さまざまな著名人が人生の分岐点となった場所を女性司会者と一緒に訪ねるコーナー。1983年9月24日放送分では、吉永小百合が17歳のときに主演した映画『キューポラのある街』のロケ地の埼玉県川口市にある荒川土手を訪ねて思い出を語った。めったに見られない貴重なインタビューで、後にNHKアーカイブスで放送されるほどリクエストが大きかった。1985年4月に司会が変わった際に「青春プレーバック」のタイトルで独立した。 誰でもミュージシャン 坂本龍一の音楽講座 番組の中で最も人気を集めたコーナーで、坂本が音楽に関しての疑問・質問に答えたり音楽に関する実験的な講座が行われた。音の出るものをスタジオに用意して好きな音を出してと指示を与え各自がいろいろな音を出していくうちにいつしかセッションが始まり、そこに音楽が生まれるという実験も行われた。また、坂本自身が曲を演奏するライブもあり、非常に貴重なシーンになった。「YMOの音楽講座」もあり、メンバーの3人がトークや演奏で番組を盛り上げたこともあった。 投書で作ったYOU文化祭 事前に視聴者から文化祭で何がやりたいかを募集し、それを実際にスタジオでやるという企画。お好み焼きや焼きそばなどの定番からきしめんやわらびもちといったものまでの屋台がスタジオに集結した。予算はNHKから出るということもあって人気を集めた[要出典]。ゲストに所ジョージなどが出演し番組を盛り上げた。 YOUアシスタントオーディション 番組のアシスタントを一般視聴者から公募した企画。当時15歳だった河合美智子がオーディションに参加。アニメソングを歌唱し、スタジオを大いに沸かせて選ばれた。そして、1984年からアシスタントを務めた。採用は2人の予定だったが、甲乙つけ難いということで3人選ばれた。 特集YOU 1983年の正月特番で、1月1日から3日まで総合テレビで放送された。1日の「わんさか!わんさか!ヒーローいっぱい」はこれまで番組に寄せられた投書の中で、「出演してほしいゲスト」を集めた番組史上最も豪華な企画。ビートたけし、坂本龍一、忌野清志郎、アントニオ猪木などが出演。特に忌野に関しては出演のリクエストが最も多く、スタジオではライブを行い観客を沸かせた。3日は「矢沢永吉からのメッセージ」と題し、日本武道館でのライブ映像を交えて放送された。
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代表的な企画
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巨泉・考えるシリーズ 巨泉時代の月曜イレブンはお色気企画が多かったが、硬派な社会問題も特集した。1971年に「戦後日本の大空白」というタイトルで徴用工問題や慰安婦問題を放送。沖縄返還直前の「沖縄で君は何を見たか」(1972年3月13日放送)、沖縄返還当日の「棄てられた沖縄の証言 〜返還後の沖縄の防衛を考える」(1972年5月15日放送)、1985年に起きた11歳の少年投身自殺事件(「マー先のばか」と書かれた遺書)など、政治・事件・事故など数々の社会問題を取り上げ、1972年5月9日に第9回ギャラクシー賞・放送批評家賞を受賞した。1982年の1月から3月にかけて計5回放送された「日韓シリーズ」は大きな反響を呼び、同年3月1日には韓国放送公社で総集編という形で韓国でも放送された。巨泉は、「このシリーズ一本のため、残り364日はバカを言ってもいい」と語っていたと言う。プロデューサーの都築忠彦は視聴率は取れるときに取ればいいという考えで、取れるものでベースを作った上で、あとからテーマ性のあるものを打ち出して制作したと語っているが、後に雑誌『中央公論』での対談で田原総一朗から「何で低視聴率になってしまう韓国問題や沖縄問題をやるのか」と聞かれたという。 日本テレビが毎年8月に開催する大型チャリティー番組『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』はこのシリーズの「世界の福祉特集」が元となっており、同番組スタッフが日本テレビ開局25周年記念番組の社内コンペで同特集を企画として出して採用されたとしている。なお、アメリカ合衆国で毎年開催されている『レイバー・デイ・テレソン』を参考にしたという指摘もあるが、24時間テレビの発案者でもある都築はこれを否定している。 久里洋二のミニミニアニメーション 1966年から1982年まで、月曜イレブンのコーナーとして800本近いショートテレビアニメが放送されていた。 裸の報告書シリーズ ポール・モーリアの「オリーブの首飾り」のテーマ曲で始まる月曜イレブンのお色気企画。主にいそのえいたろう(風俗ライター)やカルーセル麻紀がリポーターを務め、トルコ風呂(現・ソープランド)などの性風俗産業の取材を行い、裏文化の仕掛け人の紹介をした。 UFO・超能力特集 1970年代中盤以降、月曜イレブンにて年に数回、UFOや超能力に関する特集が組まれた。 TIME GANG(タイム・ギャング)(読売テレビ制作) 1980年代半ばの火曜イレブンでは、構成に東京同様のマガジン形式を採り入れ、特に「TIME GANG」のサブタイトルを付けて放送した。司会進行は羽川英樹(当時読売テレビアナウンサー)とタージンが務め、藤本義一はまとめ役(コメンテーターに準じたもの)に回った。ただし、バーテンダー役の野村頻紹との掛け合い生CMは引き続き放送した。後述する「秘湯の旅」はこの「TIME GANG」の一コーナーである。 裸のヨガ(読売テレビ制作) 火曜イレブンの企画。文字どおり、海岸で女性モデルが全裸(前が映る時はトップレス)でヨガのポーズを披露していた。 秘湯の旅(読売テレビ制作) 火曜イレブンの企画。「うさぎちゃん」と呼ばれた女性リポーターが全裸に近い状態で、数々の温泉を紹介した。「効能」という言葉もこのコーナーから広まった。 イレブンルーレット 1986年4月から9月まで、所ジョージが担当した水曜イレブンで放送。番組のセット自体が巨大なルーレットとなっており、電話による視聴者参加形式でルーレットゲームを行った。 イレブンフィッシング 金曜イレブン冒頭の趣味企画。釣り名人・服部善郎(読売映画社(当時)プロデューサー)が主に海釣りをレポートしていた。聞き手は横田岳夫ディレクターが担当した。また釣りが趣味の巨泉も率先してロケに参加していた。 麻雀実践教室 金曜イレブンの趣味企画の一環として放送され、麻雀番組の走りとなっていた。 イレブンクッキング ハウス食品とのタイアップによる料理コーナー。必ずハウス食品の調味料を使用して料理を行っていた。 CAR GUIDANCE 1966年に大橋巨泉が金曜イレブンのホストになり1985年に降板するまで続いた長寿コーナー。当初は巨泉が担当していたが、後に番組内で「悪役」と呼ばれたレギュラー出演者の小林昭男や女性リポーターが新型車をメーカーを問わず紹介し、週によっては輸入車も取り上げることもあった。 イレブンダービー 競馬に見立てた双六ゲーム。一般視聴者が電話で参加し1対1で競われた。いろは順のイ - ヌ×1 - 10の数字に構成されたパネル100枚の中から交互に1枚ずつ選び、書かれた数字分だけ進む。ただし、マイナスも隠れており、選んでしまった場合は数字分だけ戻らなくてはならない。また、「落馬」というものもあり、この場合はその時点で失格となる。先にゴールした視聴者が勝ちとなった。巨泉時代の金曜イレブンで放送された。『スーパークイズスペシャル』に巨泉がゲストで出演したとき、巨泉の司会で、番組出場者が参加する形にしてこの企画の復活版が行われたことがある。マス目を示すボードには「イレヴンダービー」と記載してあった。 このコーナーの箇所は、1968年1月1日に放送された『ある日わたしは』というテレビドラマでも再現されており、バニーガール役として城山ゆり子(松原智恵子)とその友人の夏子(梶芽衣子)、美枝(橘和子)が担当している。 海外ロケ 当初は小島や巨泉があまり知られていない海外(主にヨーロッパ)を旅して紹介するものだったが、かたせや秋川などの女性アシスタントのグラビアシーンも取り入れられた。また、ロケ地の夕陽の映像を必ず撮影していき、そのシーンを紹介したコーナーもあった。 異色対談 違う世界の大物著名人が、予備知識なしで対談するという企画。林家三平とオノ・ヨーコ、輪島功一と金子光晴、竹村健一と五味康祐など様々な対談があった。 紅白ストリップ合戦 全国から人気ストリップ嬢が集合し紅白形式に分かれ、"艶技"を披露する年末恒例企画。1974年12月30日には番組史上最高視聴率をマークした。 夜のレコード大賞(読売テレビ制作) 年末企画。有線放送のデータをもとに審査され、大賞等が決定される。後に独立して『全日本有線放送大賞』と改称され、現在は『ベストヒット歌謡祭』として放送されている(ただし賞レース形式は2010年をもって撤廃されている)。 各界名士のど自慢 年内最後の放送の年末企画。政治家、社長、文化人などが歌を披露した。終了後も独立した特番として1993年頃まで続いた。 上方お笑い芸人紅白歌合戦(読売テレビ制作) 大阪発の年内最後の放送の関西芸人たちによる年末企画。司会は羽川英樹で藤本は審査員だった。 生コマーシャル 番組中に提供クレジットやアナウンスは一切表示されなかったが、代わりに中盤でコマーシャルに入る前にサントリーや資生堂の生コマーシャルを司会者が務めていた。サントリーの場合、読売テレビ制作分では必ずバーテンダー役の野村頻紹が登場し、藤本義一に「今日のお酒はこれです」とサントリーのウイスキーを持ってきていた。藤本はこれを受けて一言コメント(蘊蓄が多かった)を発し、商品の紹介に繋げた。ちなみに、後期に村野武憲と吉田照美が司会を担当した日本テレビ制作の金曜イレブンでは、当時全日本プロレス引退して間も無い頃の大仁田厚が大阪の野村同様のバーテンダー役をやっていたことがある。 アイキャッチ カバーガールがポーズを取っていた。なお一部のアイキャッチで、カバーガールがトヨタ自動車の車に寄り添いポーズを決めていた(セットには車種名(「コロナ」、「カローラ/スプリンター」等)を明記していた)。また、末期は協賛スポンサーがトヨタから日産自動車に交代し、発売されたばかりの「エスカルゴ」や「セフィーロ」などが登場した。いずれもサントリー・資生堂の生コマーシャルにあたる要素である。
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