バルナック型ボディー
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「ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧」の記事における「バルナック型ボディー」の解説
ライカLマウントのレンジファインダーカメラ。ただし初期にはレンズ固定であり、レンジファインダーを搭載しなかった。レンジファインダーを装備しない機種も後々まで作られた。レンズに関してはライカマウントレンズの一覧を参照のこと。 わずかな例外を除き、135フィルムを使用し24×36mm(ライカ)判。裏蓋が開かず底板を外してフィルム装填を行なうため、装填前にフィルム下側の舌部分を長くするよう15cm程切っておくか、テレホンカードや名刺等を靴べらのように使って滑り込ませる必要がある。1970年頃までは切った状態で販売されていた。また現行当時はパトローネ入り自体が手に入らずまた手に入ったとしても高価につくため、缶に入った100ft長巻きを暗室で両手を拡げた長さで切りマガジンに装填して使用する人が多かった。 ウル・ライカ(Ur Leica 、1914年製作) - 試作機。暗室で35mm映画用フィルムを詰め、その2コマを1コマとして使用する。「Ur」とはドイツ語で「最初の」を意味する。フィルム巻上と同時にシャッターがセットされるセルフコッキング方式。巻上時にはキャップをしなければならない。レンズは二段に沈胴するマイクロズマール64mmF4.5固定。当時はまだパトローネ入りフィルムはなかったので、装填取り出しは暗室で行う。3台が製作され、1台は開発者であるオスカー・バルナックが自分用に使い、もう1台はエルンスト・ライツ1世が所有した。その内の2台が現存している。ウル・ライカレプリカ(1975年製作) - ライカ発売50周年を記念したレプリカで代理店などに配られた。外観だけを再現したダミーであったため撮影には使えない。 ライカ0(Null Leica 、1923年製作) - ウル・ライカの市場調査用として製造番号100から129までの30台が製作されたが市販はされなかった。形式名も後でつけたものである。金属剥き出しの黒塗りだったボディーに革が張られた。ファインダーは当初折畳式の枠ファインダーだったが後にガリレオ式に変更されている。レンズは沈胴式ライツ・アナスチグマート(Leitz-Anastigmat )50mmF3.5固定。シャッタ−はスリット幅可変となっている。シャッター切り替えレバーのポジションはZ、M、RがありZはT、Rは巻き戻し。Mにするとダイヤルによりシャッタースピード調節が可能になり、スリット幅2mmが1/500秒相当、5mmが1/200秒相当、10mmが1/100秒相当、20mmが1/50秒相当、50mmが1/20秒相当。マガジンを採用し日中のフィルム交換が可能になったが、シャッター幕の構造上フィルム巻き上げ時にはレンズキャップを付けなくてはならない。製造番号105はオスカー・バルナックが個人で使った個体で、その旨の刻印がある。製造番号118は巻き戻しノブに4mm強の胴がついた特殊型。ライカ0復刻版(2001年発売) - 折り畳み式のファインダーを装備したバージョンの復刻版。135フィルムが使用できるようになっている。 ライカI(A)(Leica I、Leica A 、1925年発売) - 春ライプツィヒの見本市(Leipzig Spring Fair )に「ライカカメラ」として出品された。レンズは沈胴式固定。ピント合わせはコードFODIS単独距離計を使用する。1936年まで製造された。ライカI(A)ライツ・アナスチグマート付き - 当初レンズには3群5枚のライツ・アナスチグマート(Anastigmat )50mmF3.5を装着していた。製造番号は130から285前後で、ライカI(A)エルマックス付きとの切り替え時期は明確でない。生産台数は150台程度である。最短撮影距離1m。 ライカI(A)エルマックス付き - 内容はそのままに、レンズ名をエルンスト・ライツの「エル」とマックス・ベレークのマックスを組み合わせてエルマックス(Elmax )と改名した。最短撮影距離1m。日本に最初に輸入されたライカは1925年夏に輸入されたこのモデルで、製造番号377であった。製造番号は280から1300前後で、生産台数は約1,000台。 ライカI(A)旧エルマー付き(1926年発売) - エルンスト・ライツの予想に反して1925年のうちに約1000台が売れ、優秀ながら後玉が3枚張り合わせで製造が面倒なエルマックスの製造が間に合わないため1926年にゲルツからガラスの供給を受けて製造された沈胴式3群4枚エルマー50mmF3.5を装備した。製造番号1300前後から12,000-13,000台が生産された。 ライカI(A)新エルマー付き(1928年発売) - ゲルツが1926年にツァイス・イコンになってガラスの供給が止まると1928年にはショットから供給されたガラスでエルマー50mmF3.5が設計され、製造番号13500辺りから切り替えられた。ゲルツから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「旧エルマー」、ショットから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「新エルマー」と俗称する。 ライカI(A)近接エルマー付き(1927年発売) - 1927年から1931年にかけ、イギリスのライカ代理店だったOgilvy &Co.の注文で0.45m(1.5ft)まで接写できるタイプが何ロットか製造された。旧エルマー付きと新エルマー付きがある。 ゴールデンライカ(1929年発売) - ライカの成功を記念しクリスマスに製造番号34803から34818の16台がワニ皮ケースに入れられ発売されたとする説と、製造番号28692から68834の間に合計95台が存在するとする説がある。金仕上げ、革張りである点以外一般のライカI(A)との違いはない。 デラックスライカ(1930年発売) - 本革張りで、製造番号36333から69009の間で184台が製造された。 ライカI(A)ヘクトール付き(1930年発売) - 後に交換レンズとしても供給された沈胴式3群6枚のヘクトール(Hector )50mmF2.5を装着したモデル。1932年まで販売された。製造番号は38622から71230の間で1,330台。 ライカI(B)(Leica I、Leica B 、1926年発売) - フォーカルプレーンシャッターではなくデッケル製レンズシャッターコンパーを装備したため「コンパーライカ」と俗称される。巻き上げとシャッターチャージが同時にでき二重写しを防げる特徴を捨ててしまいまたシャッターが回転ヘリコイドに取り付けられていたためピント合わせでシャッター位置が変更されてしまい操作性が悪かった。ライカI(A)では無限遠から1mまでの間にヘリコイドは1回転するが、このカメラではピッチを変えることで1/4回転とし、少しでもシャッターレリーズの位置が変わらないようにとの努力はしている。製造番号は5701から51715までの中にあることになっているが、この番号外の製品も多い。企画された理由として「普及版」「スローシャッターの要望に応えた」等という俗説があるが、1979年までの人生の大半をエルンスト・ライツで勤務したエミール・G・ケラー(Emil G. Keller )によればライカI(A)のシャッターに根本的欠陥があって寒冷地で動作しなくなった上に幕がべたついて交換が必要となり、その間客に渡す代替機が必要になったからである。このトラブルはラーン川から氷を採取して寒冷テストを行ないシャッターベアリング径を拡大するとともにアメリカのグラフレックスから幕を輸入して解消し、このカメラも製造中止された。企画された経緯と、1970年代末のエルンスト・ライツ崩壊の際に放出された資材の中にかなり多数のコンパー付きエルマーが入っていたことから、片山良平はライツでこのカメラを回収し破棄された可能性に言及している。レンズシャッターを装備したライカはこの機種だけである。ライカI(B)旧コンパー付き - 当初はダイヤルセット式のコンパーが装着されていた。公式には638台生産されたことになっている。 ライカI(B)新コンパー付き(1928年発売) - 後期型にはリムセット式のコンパーが装着された。公式には969台生産されたことになっている。 ライカI(B)近接エルマー付き - 1927年から1931年にかけ、イギリスのライカ代理店だったOgilvy &Co.の注文で1.5ftまで接写できるタイプが何ロットか製造された。旧エルマー付きと新エルマー付きがある。 ライカI(C)(Leica I、Leica C ) - レンズ交換が可能になった。50mmのファインダーのみ装備する。初期には135mmの回転式視野マスクを備える個体がある。製造番号46000の初め頃からライカI(A)やライカI(B)と並行して生産されている。交換レンズは当初エルマー35mmF3.5、エルマー50mmF3.5、ヘクトール50mmF2.5、エルマー135mmF4.5が用意され、後にエルマー90mmF4、ヘクトール73mmF1.9が追加された。ライカI(C)Oマークなし(1930年発売) - 機械的にはいわゆる「ライカマウント」と同じネジマウントによるレンズ交換が可能となったが、当初はフランジバックが統一されておらず、ボディーの製造番号下3桁とレンズに刻印された3桁の数字が合致する場合しか使えなかった。 ライカI(C)Oマーク付き(1931年発売) -製造番号60500以降フランジバックが28.8mmに統一され、いわゆる「ライカマウント」となってカメラごとにレンズを調整する必要がなくなった。フランジバックが統一されているモデルはマウント部12時位置に「0」マークが入っていることで区別できる。1933年製造番号99755を最後に製造が中止された。仕上げは全てニッケルメッキ。 ライカII(Leica II 、Leica D 、1932年2月発売。) - 1932年春ライプツィヒの見本市で発表された。レンズのピントリングと距離計が連動する連動距離計を装備し、いわゆる「バルナックライカ」の典型的な姿になった最初のモデル。距離計は等倍で、間にファインダーを挟む構造は基線長を長く取れる上にファインダーがレンズの真上近くに来るためパララックスが小さくなる利点があり、この特許でコンタックスIはファインダーの位置をI-5型から変更させられ、ハンザキヤノンはポップアップ式ファインダーで対応し、レオタックスカメラは基線長が短くなる上にパララックスが大きくなることを承知でファインダーを外側とさせられる等他社の追随を困難にした。製造番号は71200から。新型として発売されて間もない頃、当時カメラ技術指導者として高名だった吉川速男がシュミット商会の井上鍾に「今回のライカはD型と呼ぶのですか」と聞き井上が「ライカではII型と呼んでいるようです」と回答したことを受け、後日吉川が雑誌に執筆する際ライカDIIと表記したことからしばらくそのように表記された。この流れでライカIIIをライカDIII、ライカIIIaをライカDIIIa、ライカIIIbをライカDIIIbと表記している文献があるが、戦後しばらくして日本でもドイツ表記されることが多くなっている。1948年製造番号355650を最後に製造が中止された。現在のパトローネの原型であるマガジンが開発され、ライカ用パトローネ入りフィルムが各社から発売され始めた。ライカIIクローム(1933年9月発売) - 製造番号99132からクローム仕上げが発売された。金属製と言えばブラックペイントかニッケルメッキが常識であった中、燦然と輝く仕上げは大変好評で、1935年にはブラックペイント仕様を上回る生産数となった。 ライカ250(Leica 250 DD 、1933年試作) - 長尺用マガジンに長さ10mのフィルムを装填し250枚の撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻しの必要がない。ライカIIをベースに作られた試作品で製造番号114051と114052の2台のみ。エルンスト・ライツ内の正式名称はリポーター(Reporter )。 ライカスタンダード(Leica Standard、Leica E 、1932年発売) - ライカIIから距離計が省略され50mm用のファインダーのみ装備する。ライカI(C)とほとんど同じで、巻き戻しノブが細くなったことで識別する。1950年まで製造された。短基線長の横型距離計が併売された。仕上げは全てニッケルメッキだが1933年からクロームメッキが併売されている。製造番号101001から355607、製造台数はブラックペイントとクロームメッキ合わせて27,225台。ライカスタンダードニューヨーク型(1947年発売) - ドイツ本国での生産が機動に乗るまでの品不足に対応するためニューヨーク・ライツが補修用部品から1950年までに約500台を組み立て、ウォレンサックのレンズを付属して販売した。ボディーシェルはライカIII用を流用したためアイレット金具がつきスローシャッター部分は盲蓋がついている。その数の少なさから収集対象になっている。 ライカIII(Leica III、Leica F 、1933年発売) - ライカIIにスローシャッター、視度調整装置、ストラップを装着する金具が装着され(ライカIIの極一部にも装着)、距離計の倍率が1.5倍になり測距精度が向上した。製造番号は107601から360000まで。ライカIIが日本でしばらくライカDIIと表記されたのと同様の理由で日本ではしばらくライカDIIIと表記されていた。ライカ250(Leica 250 FF 、1934年発売) - ベースがライカIIIになり、市販された。長尺用マガジンに長さ10mのフィルムを装填し250枚の撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻しの必要がない。製造番号130001から生産され、1937年製造番号150124までに244台が生産された。エルンスト・ライツ内の正式名称はリポーター(Reporter )。 ライカIIIa(Leica IIIa、Leica G 、1935年発売) - 1932年に発売されたコンタックスIに対抗して1/500秒だった最高速が1/1000秒になった。シャッターブレーキが装着されシャッター幕のバウンドがなくなった。スローシャッターにクリックストップがついた。製造番号は156201から357200まで。1939年11月当時の価格はエルマー付き820円、ズマール付き1200円で、これは当時東京で土地付き一軒家が充分に購入できる価格であり「ライカ1台が土地付きの一軒家に相当する」と言われた。ほとんど全てがクローム仕上げ。最終期には旧型ライカ改造用と思われるIIIfタイプの軍艦部を持つシンクロ付きボディ−や、上面にフィルムインジケーターのついた巻き上げノブなどライカIIIfの部品を使っている個体がある。オスカー・バルナックが開発に関わった最後のライカとされる。ライカIIが日本でしばらくライカDIIと表記されたのと同様の理由で日本ではしばらくライカDIIIaと表記されていた。ライカIIIaブラック(1935年発売) - 黒塗り仕上げで、約800台と稀少。ほとんどイギリス、アメリカに輸出された。大竹省二が所有している。 ライカ250(Leica 250 GG 、1935年発売) - ベースがライカIIIaになった。長尺用マガジンに長さ10mのフィルムを装填し250枚の撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻しの必要がない。製造番号150125から353916まで709台が生産された。エルンスト・ライツ内の正式名称はリポーター(Reporter )。 ライカ250モーター(Leica 250 Motor 1943年発売) - ライカIIIaベースのライカ250にゼンマイ式巻き上げ装置ライカモーター(Leica-Motor )を装備したモデルで、1946年までに29台が生産された。ライカIIIcで採用されたシャッターベアリング機構が組み込まれている。 ライカIIIaドイツ海軍用 - ドイツ帝国のシンボルである鷲とナチスの鉤十字が刻印されている。海軍用ライカはドイツ海軍の損耗率が高かったため軍用ライカの中でも数が極めて少なく、価値が高いとされている。 ライカIIIaモンテザール(Leica IIIa Montè en sarre 、1949年発売) - フランスのカメラ輸入関税が高率であったことから、フランスのライカ代理店S.Tirantyの要請があり、関税の掛からない部品の状態でフランスへ輸出しフランスで組み立てることとなり、西ドイツながらフランス占領下にあったザール地方の小都市St. Ingbertにあったサロプチコ(Saroptico )という小さい光学器械工場にライツ本社からヴァルター・クルック(Walter Kluck )が監督官として派遣され、1949年から1951年にかけて約500台を組み立て、フランス国内と当時フランス植民地であったアルジェリアで販売された。ザール製である旨の「モンテザール」(Montè en Sarre )刻印があり、「モンテザールライカ」と呼ばれ珍品とされる。 ライカIIIb(Leica IIIb 、1938年発売) - 20mm離れていた距離計の窓とファインダーの窓が隣り合わせになり僅かに目を動かすだけで両方を見られるようになったが、これはプリズム1個により実現されている。ファインダー部分はダイキャストとなり、このため距離計対物窓が1mm大きくなり、カメラの全高も約1.5mm高くなった。ボディーの構造は従来通り板金であり、幅もここまで全く変化なく、バルナックライカのオリジナルサイズを保ったライカとしては最も進化したモデルとなった。アクセサリーシューも頑丈な構造になっている。距離計視度調整レバーが巻き戻しノブ基部に移された。製造番号は240001から355000まで。ほとんどは輸出または政府機関向けで、ドイツ国内民間用には発売されなかったともいう。ライカIIが日本でしばらくライカDIIと表記されたのと同様の理由で日本ではしばらくライカDIIIbと表記されていた。ライカIIIbブラック - 黒塗り仕上げ。ライカ・ヒストリカによれば5台が生産されたことになっているが実機は確認されていない。 ライカIIIc(Leica IIIc 、1940年発売) - 板金製だったボディーが堅牢で加工しやすく再組み立て時精度を出しやすいアルミ合金ダイキャスト製になり15g軽量化されたが幅が2.8mm、高さが2mm大きくなった。生産時期に第二次世界大戦末期を挟むため材質の問題か仕上げの悪い個体、仕様変更が多い。ライカI(A)以来グラフレックスから輸入して来たシャッター幕がアメリカとの関係悪化に伴い途絶え、以前サンプルとして送られていた赤幕を急遽使用したため、一部にシャッター幕が赤い個体があるのもその一例である。ライカIIIc戦中型 - 製造番号は360101から399999。初号機よりライカビットが使用できるようになっているが、当時はライカビットが発売されていない。軍用に生産されたうち製造番号末尾とシャッター幕に「K」の文字が入っている個体は、シャッター軸にボールベアリングが入っている。 ライカIIIcドイツ空軍用 - クローム仕上げ、革のみグレーでボディーに軍用を示す刻印はないが、装着されていたズミタール50mmF2に「Luftwaffen-Eigentum」の刻印がある。 ライカIIIcグレー - グレー仕上げ。製造番号は387501から388925の間に入っているとするが、387120の現物もこれである。片山良平によると日本にも少数輸入され陸軍軍医学校に配備されたという。 ライカIIIcグレードイツ空軍用 - グレー仕上げ。 ライカIIIcグレードイツ陸軍用 - グレー仕上げ。「Heer--Eigentum」または「Heer」または「W.H.」の刻印がある。フィルム面中央上下に△型の突起があり、これが写り込んで簡単に中心線を引けるようになっている。 ライカIIIcドイツ海軍用 - ドイツ帝国のシンボルである鷲とナチスの鉤十字と「MF629」の刻印がカメラ本体と、付属するズミター50mmF2に刻印されている。海軍用ライカはドイツ海軍の損耗率が高かったため軍用ライカの中でも数が極めて少なく、価値が高いとされている。 ライカIIIc戦後型(1945年発売) - 巻き戻し切り替えレバー機部の段差がなくなり、視度調整レバー先端の小ノブが廃止され、シャッターのZ表示がB表示に変更され、フィルムコマ計が1回転+1コマから1コマずつ進むように変更された。製造番号400000から1951年製造の525000。1947年頃に戦中からの張り革のストックが尽き、1950年あたりまで縦シボが強く硬い合成皮革が使用され、これを「シャークスキン」と俗称することがある。 ライカIIc(Leica IIc 、1948年発売) - ライカIIIcからスローシャッターを除いたモデル。シャッター最高速も1/500秒に留まる。製造番号440001から1951年の451000。アクセサリーシューがネジ2本で止めただけの簡易型になっている。一部生産分には縦シボが強く硬い合成皮革が使用され、これを「シャークスキン」と俗称することがある。 ライカIc(Leica Ic 、1949年発売) - ライカIIcからさらに距離計とファインダーを除いたモデル。アクセサリーシューが2個つく。製造番号455001から1952年の563100。 ライカIIId(Leica IIId 、1940年製造) - ライカIIIc戦中型にセルフタイマーを装備した珍品。427台が製造されたが発売はされなかったと言われており、市販されたバルナックライカではライカ72の次に少数。製造番号は360001から367500までの間に入っている。セルフタイマーレバーの頭部にある同心円が6重で、ライカIIIfやライカIIIgの4重と区別できる。 ライカ72(Leica 72 、1951年生産) - 24×18mm(ハーフ)判。ライカIIIaをベースにカナダのミッドランドとドイツのヴェッツラーで製造され主としてアメリカ合衆国で販売された。ごく少数の例外を除きライカIIIfと同じシンクロ装置を備えている。ヴェッツラーでは製造番号357171から357300までの150台、カナダで357301から357500までの200台分の番号が割り当てられたが、実際にはヴェッツラーで1951年から1963年までに散発的に35台、カナダで1954年から1957年までに180台が生産されたに過ぎず、市販されたバルナックライカとしては最少モデルである。フィルム枚数表示は2回転する。ハーフ判に対応するためのファインダーマスクはヴェッツラー生産の前期型が回転式、後期型とカナダ生産分が対物窓打ち抜き式。 ライカIIIf(Leica IIIf 、1950年発売) - フラッシュシンクロを装備したモデル。フォーカルプレーン用のシンクロ規格がなかったためフラッシュの種類とシャッタースピードでリストからコンタクトナンバーを選んで設定する煩雑な設計になっている。戦中型の軍用ライカIIIc同様のシャッター幕巻軸上下とクラッチギア軸にボールベアリングが使われた。使用フィルムの多様化に対応し巻上軸上面にフィルムインジケーターを装備、モノクロとカラーの区別、ASA、DIN、ウェストンで感度表示ができるようになった。製造番号は525001から。同時にライカビットが発売され、使用できる。最終は1957年生産の837720。ドイツ敗戦の痛手から立ち直り、エルンスト・ライツがあらゆる面で絶頂の状態にある時に製造されたため素晴らしい仕上げで製造数18万台という大ヒットモデルとなった。次モデルのライカIIIgが一線を画する雰囲気を持っていたこともあり、バルナック・ライカの最終型と見る愛好家も多い。ライカIIIfブラックシンクロ - 当初の製品のコンタクトナンバーは黒文字。セルフタイマーを装備しない。564201以降シャッター幕速が向上しシャッター速度がB、1/25、1/50、1/75、1/100、1/200、1/500、1/1000の国際系列に変更された。590681以後底蓋にフィルム安定装置が取り付けられ、フィルムがずれてパーフォレーションが写り込むトラブルがなくなり、装置の形状から「バチつき」と呼ばれている。現代のエレクトロニックフラッシュを使用する場合、コンタクトナンバーは2に合わせる。 ライカIIIfレッドシンクロ(1952年発売) - 製造番号615001から当時のシャッター速度系列がアメリカ規格のT、1、1/2、1/5、1/10、15、B、1/25、1/50、1/75、1/100、1/200、1/500、1/1000秒になりコンタクトナンバーが赤文字になったため「レッドシンクロ」と俗称する。これに対し従前のコンタクトナンバーが黒文字のモデルを「ブラックシンクロ」と俗称するようになった。現代のエレクトロニックフラッシュを使用する場合、コンタクトナンバーは20に合わせる。 ライカIIIfセルフタイマー付き(1954年発売) - ライカM3発売と同時に製造番号685001からセルフタイマーを装備した。ライカIIIdが極めて少ない、いわば特殊モデルであるため、事実上セルフタイマーを装備した初めてのモデル。 ライカIIIf Betriebsk - 社内使用用のライカIIIf。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカIIIfイギリス空軍用 - アイピース右側に「14A/CA38↑」の刻印がある。 ライカIIIfスウェーデン軍用(1956年生産) - セルフタイマーのないブラックペイント仕上げで、製造番号822901から23000の100台。 ライカIIf(Leica IIf 、1951年発売) - ライカIIIfからスローシャッターを除いたモデル。製造番号は451001からで、最終は1956年822000。ライカIIfブラックシンクロ - 当初の製品のコンタクトナンバーは黒文字。セルフタイマーを装備しない。シャッター最高速は1/500秒。 ライカIIfレッドシンクロ(1952年発売) - 製造番号574401からライカIIIfと同様「レッドシンクロ」となった。 ライカIIf1/1000秒付き(1954年発売) - 製造番号677501からシャッター最高速1/1000秒を装備した。セルフタイマーやスローシャッターを備えないので軽量であり、カメラを持つのに邪魔がなく、また中古で比較的安価に手に入る。 ライカIf(Leica If 、1952年発売) - ライカIIfからさらに距離計とファインダーを除いたモデル。アクセサリーシューが2個つく。製造番号562001から。最終は1957年の851000。ライカIfブラックシンクロ - 当初の製品のコンタクトナンバーは黒文字。すぐにレッドシンクロ型に切り替わり、生産台数が1188台と少ないため割高に取引されている。 ライカIfレッドシンクロ(1952年末発売) - 製造番号564201からライカIIIfと同様「レッドシンクロ」となった。 ライカIIIg(Leica IIIg 、1957年3月発売) - ライカM3と同様のパララックス自動補正ブライトフレームファインダーを装備したモデル。枠は50mmと90mmmの両方が常時表示される。ファインダーの大型化に伴いライカIIIfとの比較で高さ4mm、奥行1mmほど大きくなっている。シャッタースピードは倍数系列になっている。シンクロ機構はライカM3と同じく自動切り替え。製造番号は一般に825001からとされるが、中村孝によればライカミュージアムにはセルフタイマーのない、つまりライカIIgそのものと思われる製造番号825001の個体が展示されているという。最終は「型と番号の製造年度表」に基づき1960年生産の988350とされることが多いが、「ライカ・ヒストリカ」は1960年までに988025までが生産され、その後1970年988280まで少数が生産されたとする。ライカIIIg Betriebsk - 社内使用用のライカIIIg。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカIIIgスウェ−デン軍用(1960年生産) - 黒塗りで、王冠3つのマークが入っている。ライカIIIgの1960年最終ロットでもあり、987901から988025の125台。 ライカIIg(Leica IIg 、1957年製造) - ライカIIIgからスローシャッターとセルフタイマーを除いたモデル。正式に発売されたかは不明で、中川一夫などは「発売されていない」としている。ライカミュージアムにはスローシャッターとセルフタイマーのないライカIIIg、つまりライカIIgそのものと思われる製造番号825001の個体が展示されている。極短期間ながら一時ライカツリーにも展示されていたにも拘らずエルンスト・ライツ自身が存在を否定し、生産数は数台とも十数台とも15台とも言われる。珍品であるため、初期のライカIIIgとライカIgを組み合わせた偽物が多数あり、また判断基準もないので識別が困難である。James Lagerは本物のライカIIgとして製造番号825001、825015、845680、847687の4枚の写真を挙げている。中村孝は1989年9月に825917を入手しPaul-Henry van Hasbroeckに写真を送り「本物である」旨の回答を受けたが、その後Paul-Henry van Hasbroeckが出したライカ本の増補版にも掲載されなかったという。 ライカIg(Leica Ig ) - ライカIIIgから距離計とファインダーとセルフタイマーを除いたモデル。1963年まで生産され製造番号887001から987600、製造台数6,255台。ライカIgスローあり(1957年発売) - Iシリーズでは例外的にスローシャッターが装備される。アクセサリーシューが2個つく。 ライカIgスローなし(1959年頃製造) - ライカIgのスローシャッターが省略されたモデル。ライツのカタログにも掲載されず製造は数台とも100台前後とも言う。製造番号924590から924623、925021から925054の68台はシーメンスの電子顕微鏡システムに組み込まれ、アクセサリーシューの代わりに盲蓋が施されたり特殊形状巻上ノブが使われていることが知られている。 ライカIgポスト - 少数生産された。
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