バルナック型ボディーとは? わかりやすく解説

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バルナック型ボディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 15:22 UTC 版)

ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧」の記事における「バルナック型ボディー」の解説

ライカLマウントレンジファインダーカメラ。ただし初期にはレンズ固定であり、レンジファインダー搭載しなかった。レンジファインダー装備しない機種後々まで作られた。レンズに関してライカマウントレンズの一覧参照のこと。 わずかな例外除き135フィルム使用し24×36mm(ライカ)判。裏開かず底板外してフィルム装填行なうため、装填前にフィルム下側舌部分を長くするよう15cm程切っておくか、テレホンカード名刺等を靴べらのように使って滑り込ませる必要がある1970年頃までは切った状態で販売されていた。また現行当時パトローネ入り自体手に入らずまた手に入ったとしても高価につくため、缶に入った100ft長巻きを暗室両手を拡げた長さで切りマガジン装填し使用する人が多かった。 ウル・ライカ(Ur Leica1914年製作) - 試作機暗室35mm映画用フィルム詰めその2コマ1コマとして使用する。「Ur」とはドイツ語で「最初の」を意味するフィルム巻上と同時にシャッターセットされるセルフコッキング方式。巻上時にはキャップをしなければならないレンズ二段に沈胴するマイクロズマール64mmF4.5固定当時はまだパトローネ入りフィルムはなかったので、装填取り出し暗室で行う。3台が製作され、1台は開発者であるオスカー・バルナック自分用に使い、もう1台はエルンスト・ライツ1世所有したその内の2台が現存している。ウル・ライカレプリカ(1975年製作) - ライカ発売50周年記念したレプリカ代理店などに配られた。外観だけを再現したダミーであったため撮影には使えないライカ0(Null Leica1923年製作) - ウル・ライカの市場調査用として製造番号100から129までの30台が製作されたが市販はされなかった。形式名も後でけたものである。金属剥き出し黒塗りだったボディーに革が張られた。ファインダー当初折畳式ファインダーだったが後にガリレオ式変更されている。レンズ沈胴式ライツ・アナスチグマート(Leitz-Anastigmat )50mmF3.5固定。シャッタ−はスリット可変となっている。シャッター切り替えレバーポジションはZ、M、RがありZはT、Rは巻き戻し。Mにするとダイヤルによりシャッタースピード調節可能になり、スリット幅2mmが1/500秒相当、5mmが1/200秒相当、10mmが1/100秒相当、20mmが1/50秒相当、50mmが1/20秒相当。マガジン採用し日中フィルム交換可能になったが、シャッター幕の構造フィルム巻き上げ時にはレンズキャップを付けなくてはならない製造番号105オスカー・バルナック個人使った個体で、その旨刻印がある。製造番号118巻き戻しノブに4mm強の胴がついた特殊型ライカ0復刻版2001年発売) - 折り畳み式ファインダー装備したバージョン復刻版135フィルム使用できるようになっているライカI(A)Leica I、Leica A 、1925年発売) - 春ライプツィヒ見本市Leipzig Spring Fair )に「ライカカメラ」として出品された。レンズ沈胴式固定ピント合わせコードFODIS単独距離計使用する1936年まで製造された。ライカI(A)ライツ・アナスチグマート付き - 当初レンズには3群5のライツ・アナスチグマート(Anastigmat )50mmF3.5を装着していた。製造番号130から285前後で、ライカI(A)エルマックス付きとの切り替え時期明確でない生産台数150程度である。最短撮影距離1m。 ライカI(A)エルマックス付き - 内容そのままに、レンズ名をエルンスト・ライツの「エル」とマックス・ベレークマックス組み合わせてエルマックス(Elmax )と改名した最短撮影距離1m。日本最初に輸入されライカ1925年夏に輸入されたこのモデルで、製造番号377であった製造番号280から1300前後で、生産台数は約1,000台。 ライカI(A)エルマー付き1926年発売) - エルンスト・ライツ予想反して1925年のうちに約1000台が売れ優秀ながら後玉が3枚張り合わせ製造面倒なエルマックス製造間に合わないため1926年ゲルツからガラス供給受けて製造され沈胴式3群4エルマー50mmF3.5を装備した製造番号1300前後から12,000-13,000台が生産された。 ライカI(A)エルマー付き1928年発売) - ゲルツ1926年ツァイス・イコンになってガラス供給止まる1928年にはショットから供給されガラスエルマー50mmF3.5が設計され製造番号13500辺りから切り替えられた。ゲルツから供給されガラス材で製造されエルマーを「旧エルマー」、ショットから供給されガラス材で製造されエルマーを「新エルマー」と俗称する。 ライカI(A)近接エルマー付き1927年発売) - 1927年から1931年にかけ、イギリスライカ代理店だったOgilvy &Co.注文で0.45m(1.5ft)まで接写できるタイプが何ロット製造された。旧エルマー付きと新エルマー付きがある。 ゴールデンライカ(1929年発売) - ライカ成功記念しクリスマス製造番号34803から34818の16台がワニケース入れられ発売されたとする説と、製造番号28692から68834の間に合計95台が存在するとする説がある。金仕上げ革張りである点以外一般ライカI(A)との違いはない。 デラックスライカ(1930年発売) - 本革張りで、製造番号36333から69009の間で184台が製造された。 ライカI(A)ヘクトール付き1930年発売) - 後に交換レンズとしても供給され沈胴式3群6ヘクトールHector )50mmF2.5を装着したモデル1932年まで販売された。製造番号は38622から71230の間で1,330台。 ライカI(B)Leica I、Leica B 、1926年発売) - フォーカルプレーンシャッターではなくデッケル製レンズシャッターコンパーを装備したため「コンパーライカ」と俗称される。巻き上げとシャッターチャージが同時にでき二重写し防げ特徴捨ててしまいまシャッター回転ヘリコイド取り付けられていたためピント合わせシャッター位置変更されてしまい操作性悪かったライカI(A)では無限遠から1mまでの間にヘリコイド1回転するが、このカメラではピッチ変えることで1/4回転とし、少しでもシャッターレリーズの位置変わらないようにとの努力はしている。製造番号は5701から51715までの中にあることになっているが、この番号外の製品も多い。企画され理由として「普及版」「スローシャッター要望応えた」等という俗説があるが、1979年までの人生大半エルンスト・ライツ勤務したエミール・G・ケラーEmil G. KellerによればライカI(A)シャッター根本的欠陥があって寒冷地動作しなくなった上に幕がべたついて交換が必要となり、その間客に渡す代替機必要になったからである。このトラブルラーン川から氷を採取して寒冷テスト行ないシャッターベアリング径を拡大するとともにアメリカグラフレックスから幕を輸入して解消し、このカメラ製造中止された。企画され経緯と、1970年代末エルンスト・ライツ崩壊の際に放出され資材中にかなり多数コンパー付きエルマー入っていたことから、片山良平ライツでこのカメラ回収し破棄され可能性言及している。レンズシャッター装備したライカはこの機種だけである。ライカI(B)コンパー付き - 当初はダイヤルセット式のコンパー装着されていた。公式には638台生産されたことになっているライカI(B)コンパー付き1928年発売) - 後期型にはリムセット式のコンパー装着された。公式には969生産されたことになっているライカI(B)近接エルマー付き - 1927年から1931年にかけ、イギリスライカ代理店だったOgilvy &Co.注文で1.5ftまで接写できるタイプが何ロット製造された。旧エルマー付きと新エルマー付きがある。 ライカI(C)Leica I、Leica C ) - レンズ交換可能になった。50mmのファインダーのみ装備する初期には135mmの回転式視野マスク備え個体がある。製造番号46000の初め頃からライカI(A)ライカI(B)並行して生産されている。交換レンズ当初エルマー35mmF3.5、エルマー50mmF3.5、ヘクトール50mmF2.5、エルマー135mmF4.5が用意され、後にエルマー90mmF4、ヘクトール73mmF1.9が追加された。ライカI(C)Oマークなし(1930年発売) - 機械的にいわゆるライカマウント」と同じネジマウントによるレンズ交換が可能となったが、当初フランジバック統一されておらず、ボディー製造番号下3レンズ刻印された3桁の数字が合致する場合しか使えなかった。 ライカI(C)Oマーク付き1931年発売) -製造番号60500以降フランジバックが28.8mmに統一されいわゆるライカマウントとなってカメラごとにレンズ調整する必要がなくなったフランジバック統一されているモデルマウント12時位置「0」マーク入っていることで区別できる1933年製造番号99755を最後に製造中止された。仕上げ全てニッケルメッキライカIILeica IILeica D 、1932年2月発売。) - 1932年ライプツィヒ見本市発表された。レンズピントリング距離計連動する連動距離計装備しいわゆる「バルナックライカ」の典型的な姿になった最初のモデル距離計等倍で、間にファインダーを挟む構造基線長長く取れる上にファインダーレンズ真上近くに来るためパララックス小さくなる利点があり、この特許コンタックスIはファインダー位置I-5型から変更させられ、ハンザキヤノンはポップアップ式ファインダー対応しレオタックスカメラ基線長短くなる上にパララックス大きくなることを承知ファインダー外側させられる他社の追随困難にした。製造番号は71200から。新型として発売され間もない頃、当時カメラ技術指導者として高名だった吉川速男がシュミット商会井上鍾に「今回ライカD型と呼ぶのですか」と聞き井上が「ライカではII型呼んでいるようです」と回答したことを受け、後日吉川雑誌執筆するライカDII表記したことからしばらくそのように表記された。この流れライカIIIライカDIII、ライカIIIaをライカDIIIa、ライカIIIbをライカDIIIbと表記している文献があるが、戦後しばらくして日本でもドイツ表記されることが多くなっている。1948年製造番号355650を最後に製造中止された。現在のパトローネ原型であるマガジン開発されライカパトローネ入りフィルム各社から発売され始めたライカIIクローム1933年9月発売) - 製造番号99132からクローム仕上げ発売された。金属製と言えばブラックペイントかニッケルメッキ常識であった中、燦然と輝く仕上げは大変好評で、1935年にはブラックペイント仕様上回る生産数となったライカ250Leica 250 DD 、1933年試作) - 長尺マガジン長さ10mのフィルム装填し250撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻し必要がないライカIIベース作られ試作品製造番号114051と114052の2台のみ。エルンスト・ライツ内の正式名称リポーターReporter )。 ライカスタンダード(Leica StandardLeica E 、1932年発売) - ライカIIから距離計省略され50mm用のファインダーのみ装備するライカI(C)とほとんど同じで、巻き戻しノブ細くなったことで識別する1950年まで製造された。短基線長の横型距離計併売された。仕上げ全てニッケルメッキだが1933年からクロームメッキ併売されている。製造番号101001から355607、製造台数はブラックペイントとクロームメッキ合わせて27,225台。ライカスタンダードニューヨーク型(1947年発売) - ドイツ本国での生産機動乗るまでの品不足対応するためニューヨーク・ライツが補修用部品から1950年までに約500台を組み立てウォレンサックレンズ付属して販売した。ボディーシェルはライカIII用を流用したためアイレット金具がつきスローシャッター部分は盲ついている。その数の少なさから収集対象になっているライカIIILeica IIILeica F 、1933年発売) - ライカIIスローシャッター視度調整装置ストラップ装着する金具装着されライカII極一部にも装着)、距離計倍率1.5倍になり測距精度向上した製造番号は107601から360000まで。ライカII日本でしばらくライカDII表記されたのと同様の理由日本ではしばらくライカDIIIと表記されていた。ライカ250Leica 250 FF1934年発売) - ベースライカIIIになり、市販された。長尺マガジン長さ10mのフィルム装填し250撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻し必要がない製造番号130001から生産され1937年製造番号150124までに244台が生産された。エルンスト・ライツ内の正式名称リポーターReporter )。 ライカIIIa(Leica IIIa、Leica G 、1935年発売) - 1932年発売されコンタックスIに対抗して1/500秒だった最高速が1/1000秒になった。シャッターブレーキが装着されシャッター幕のバウンドなくなったスローシャッターにクリックストップがついた。製造番号は156201から357200まで。1939年11月当時価格エルマー付き820円、ズマール付き1200円で、これは当時東京土地付き一軒家充分に購入できる価格であり「ライカ1台が土地付き一軒家相当すると言われた。ほとんど全てクローム仕上げ最終期には旧型ライカ改造用と思われるIIIfタイプ軍艦部を持つシンクロ付きボディ−や、上面にフィルムインジケーターのついた巻き上げノブなどライカIIIf部品使っている個体がある。オスカー・バルナック開発に関わった最後ライカとされるライカII日本でしばらくライカDII表記されたのと同様の理由日本ではしばらくライカDIIIaと表記されていた。ライカIIIaブラック1935年発売) - 黒塗り仕上げで、約800台と稀少。ほとんどイギリスアメリカ輸出された。大竹省二所有している。 ライカ250Leica 250 GG1935年発売) - ベースライカIIIaになった長尺マガジン長さ10mのフィルム装填し250撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻し必要がない製造番号150125から353916まで709台が生産された。エルンスト・ライツ内の正式名称リポーターReporter )。 ライカ250モーターLeica 250 Motor 1943年発売) - ライカIIIaベースライカ250ゼンマイ巻き上げ装置ライカモーター(Leica-Motor )を装備したモデルで、1946年までに29台が生産された。ライカIIIcで採用されたシャッターベアリング機構組み込まれている。 ライカIIIaドイツ海軍用 - ドイツ帝国シンボルであるナチス鉤十字刻印されている。海軍用ライカドイツ海軍損耗率が高かったため軍用ライカ中でも数が極めて少なく価値が高いとされている。 ライカIIIaモンテザール(Leica IIIa Montè en sarre 、1949年発売) - フランスカメラ輸入関税高率であったことから、フランスライカ代理店S.Tirantyの要請があり、関税掛からない部品の状態でフランスへ輸出しフランスで組み立てることとなり、西ドイツながらフランス占領下にあったザール地方小都市St. Ingbertにあったサロプチコ(Saroptico )という小さ光学器械工場ライツ本社からヴァルター・クルック(Walter Kluck )が監督官として派遣され1949年から1951年にかけて約500台を組み立てフランス国内と当時フランス植民地であったアルジェリア販売された。ザール製である旨の「モンテザール」(Montè en Sarre )刻印があり、「モンテザールライカ」と呼ばれ珍品とされるライカIIIb(Leica IIIb 、1938年発売) - 20mm離れていた距離計の窓とファインダーの窓が隣り合わせになり僅かに目を動かすだけで両方見られるようになったが、これはプリズム1個により実現されている。ファインダー部分ダイキャストとなり、このため距離計対物窓が1mm大きくなり、カメラ全高も約1.5mm高くなった。ボディー構造従来通り板金であり、幅もここまで全く変化なく、バルナックライカのオリジナルサイズを保ったライカとしては最も進化したモデルとなったアクセサリーシュー頑丈な構造になっている距離計視度調整レバー巻き戻しノブ基部移された。製造番号は240001から355000まで。ほとんどは輸出または政府機関向けで、ドイツ国内民間用には発売されなかったともいう。ライカII日本でしばらくライカDII表記されたのと同様の理由日本ではしばらくライカDIIIbと表記されていた。ライカIIIbブラック - 黒塗り仕上げ。ライカ・ヒストリカによれば5台が生産されたことになっている実機確認されていないライカIIIc(Leica IIIc 、1940年発売) - 板金製だったボディー堅牢加工しやすく再組み立て精度出しやすいアルミ合金ダイキャスト製になり15g軽量化されたが幅が2.8mm、高さが2mm大きくなった。生産時期第二次世界大戦末期を挟むため材質問題仕上げの悪い個体仕様変更が多い。ライカI(A)以来グラフレックスから輸入して来たシャッター幕がアメリカとの関係悪化に伴い途絶え以前サンプルとして送られていた赤幕を急遽使用したため、一部シャッター幕が赤い個体があるのもその一例である。ライカIIIc戦中型 - 製造番号は360101から399999。初号機よりライカビットが使用できるようになっているが、当時はライカビットが発売されていない軍用生産されたうち製造番号末尾シャッター幕に「K」文字入っている個体は、シャッター軸にボールベアリング入っている。 ライカIIIcドイツ空軍用 - クローム仕上げ、革のみグレーボディー軍用を示す刻印はないが、装着されていたズミタール50mmF2に「Luftwaffen-Eigentum」の刻印がある。 ライカIIIcグレー - グレー仕上げ製造番号は387501から388925の間に入っているとするが、387120の現物もこれである。片山良平によると日本にも少数輸入され陸軍軍医学校配備されたという。 ライカIIIcグレードイツ空軍用 - グレー仕上げライカIIIcグレードイツ陸軍用 - グレー仕上げ。「Heer--Eigentum」または「Heer」または「W.H.」の刻印がある。フィルム中央上下に△型の突起があり、これが写り込んで簡単に中心線引けるようになっているライカIIIcドイツ海軍用 - ドイツ帝国シンボルであるナチス鉤十字と「MF629」の刻印カメラ本体と、付属するズミター50mmF2に刻印されている。海軍用ライカドイツ海軍損耗率が高かったため軍用ライカ中でも数が極めて少なく価値が高いとされている。 ライカIIIc戦後型1945年発売) - 巻き戻し切り替えレバー機部の段差なくなり視度調整レバー先端の小ノブ廃止されシャッターのZ表示がB表示変更され、フィルムコマ計が1回+1コマから1コマずつ進むように変更された。製造番号400000から1951年製造の525000。1947年頃に戦中からの張り革のストック尽き1950年あたりまで縦シボ強く硬い合成皮革使用され、これを「シャークスキン」と俗称することがあるライカIIcLeica IIc1948年発売) - ライカIIIcからスローシャッター除いたモデルシャッター最高速も1/500秒に留まる製造番号440001から1951年の451000。アクセサリーシューネジ2本で止めただけの簡易型になっている一部生産分には縦シボ強く硬い合成皮革使用され、これを「シャークスキン」と俗称することがあるライカIcLeica Ic1949年発売) - ライカIIcからさらに距離計ファインダー除いたモデルアクセサリーシューが2個つく。製造番号455001から1952年の563100。 ライカIIId(Leica IIId 、1940年製造) - ライカIIIc戦中型にセルフタイマー装備した珍品427台が製造されたが発売はされなかったと言われており、市販されたバルナックライカではライカ72次に少数製造番号は360001から367500までの間に入っている。セルフタイマーレバーの頭部にある同心円が6重で、ライカIIIfライカIIIgの4重と区別できるライカ72Leica 721951年生産) - 24×18mm(ハーフ)判。ライカIIIaをベースカナダミッドランドドイツヴェッツラー製造され主としてアメリカ合衆国販売された。ごく少数例外除きライカIIIfと同じシンクロ装置備えている。ヴェッツラーでは製造番号357171から357300までの150台、カナダで357301から357500までの200分の番号割り当てられたが、実際にヴェッツラー1951年から1963年までに散発的に35台、カナダ1954年から1957年までに180台が生産されたに過ぎず市販されたバルナックライカとしては最少モデルである。フィルム枚数表示は2回転するハーフ判対応するためのファインダーマスクはヴェッツラー生産前期型回転式後期型カナダ生産分が対物打ち抜き式。 ライカIIIfLeica IIIf1950年発売) - フラッシュシンクロを装備したモデル。フォーカルプレーン用のシンクロ規格がなかったためフラッシュ種類シャッタースピードリストからコンタクトナンバーを選んで設定する煩雑な設計になっている戦中型の軍用ライカIIIc同様のシャッター巻軸上下とクラッチギア軸にボールベアリング使われた。使用フィルム多様化対応し巻上軸上面にフィルムインジケーターを装備モノクロカラー区別ASADINウェストン感度表示ができるようになった製造番号は525001から。同時にライカビットが発売され使用できる最終1957年生産の837720。ドイツ敗戦痛手から立ち直りエルンスト・ライツあらゆる面で絶頂の状態にある時に製造されたため素晴らし仕上げ製造数18台という大ヒットモデルとなった。次モデルライカIIIgが一線を画する雰囲気持っていたこともあり、バルナック・ライカの最終型と見る愛好家も多い。ライカIIIfブラックシンクロ - 当初製品のコンタクトナンバーは黒文字セルフタイマー装備しない。564201以降シャッター幕速が向上しシャッター速度がB、1/25、1/50、1/75、1/100、1/200、1/500、1/1000の国際系列変更された。590681以後フィルム安定装置取り付けられフィルムがずれてパーフォレーション写り込むトラブルなくなり装置形状から「バチつき」と呼ばれている。現代エレクトロニックフラッシュ使用する場合、コンタクトナンバーは2に合わせるライカIIIfレッドシンクロ(1952年発売) - 製造番号615001から当時シャッター速度系列アメリカ規格のT、1、1/2、1/5、1/10、15、B、1/25、1/50、1/75、1/100、1/200、1/500、1/1000秒になりコンタクトナンバーが赤文字になったため「レッドシンクロ」と俗称する。これに対し従前のコンタクトナンバーが黒文字モデルを「ブラックシンクロ」と俗称するようになった現代エレクトロニックフラッシュ使用する場合、コンタクトナンバーは20合わせるライカIIIfセルフタイマー付き1954年発売) - ライカM3発売同時に製造番号685001からセルフタイマー装備したライカIIIdが極めて少ない、いわば特殊モデルであるため、事実上セルフタイマー装備した初めてのモデルライカIIIf Betriebsk - 社内使用用のライカIIIf。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカIIIfイギリス空軍用 - アイピース右側に「14A/CA38↑」の刻印がある。 ライカIIIfスウェーデン軍用(1956年生産) - セルフタイマーのないブラックペイント仕上げで、製造番号822901から23000の100台。 ライカIIfLeica IIf1951年発売) - ライカIIIfからスローシャッター除いたモデル製造番号は451001からで、最終1956年822000。ライカIIfブラックシンクロ - 当初製品のコンタクトナンバーは黒文字セルフタイマー装備しない。シャッター最高速は1/500秒。 ライカIIfレッドシンクロ(1952年発売) - 製造番号574401からライカIIIfと同様「レッドシンクロ」となったライカIIf1/1000秒付き1954年発売) - 製造番号677501からシャッター最高速1/1000秒を装備したセルフタイマースローシャッター備えないので軽量であり、カメラを持つのに邪魔がなく、また中古比較安価に手に入るライカIf(Leica If 、1952年発売) - ライカIIfからさらに距離計ファインダー除いたモデルアクセサリーシューが2個つく。製造番号562001から。最終1957年の851000。ライカIfブラックシンクロ - 当初製品のコンタクトナンバーは黒文字。すぐにレッドシンクロ型に切り替わり生産台数が1188台と少ないため割高に取引されている。 ライカIfレッドシンクロ(1952年発売) - 製造番号564201からライカIIIfと同様「レッドシンクロ」となったライカIIIg(Leica IIIg 、1957年3月発売) - ライカM3と同様のパララックス自動補正ブライトフレームファインダーを装備したモデルは50mmと90mmmの両方常時表示されるファインダー大型化に伴いライカIIIfとの比較で高さ4mm、奥行1mmほど大きくなっている。シャッタースピード倍数系列になっているシンクロ機構ライカM3と同じく自動切り替え製造番号一般に825001からとされるが、中村孝によればライカミュージアムにはセルフタイマーのない、つまりライカIIgそのもの思われる製造番号825001の個体展示されているという。最終は「型と番号製造年度表」に基づき1960年生産の988350とされることが多いが、「ライカ・ヒストリカ」は1960年までに988025までが生産されその後1970年988280まで少数生産されたとするライカIIIg Betriebsk - 社内使用用のライカIIIg。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカIIIgスウェデン軍用1960年生産) - 黒塗りで、王冠3つのマーク入っている。ライカIIIgの1960年最終ロットでもあり、987901から988025の125台。 ライカIIgLeica IIg1957年製造) - ライカIIIgからスローシャッターセルフタイマー除いたモデル正式に発売されたかは不明で、中川一夫などは「発売されていない」としている。ライカミュージアムにはスローシャッターセルフタイマーのないライカIIIg、つまりライカIIgそのもの思われる製造番号825001の個体展示されている。短期間ながら一時ライカツリーにも展示されていたにも拘らずエルンスト・ライツ自身存在否定し生産数は数台とも十数台とも15台とも言われる珍品であるため、初期ライカIIIgとライカIg組み合わせた偽物多数あり、また判断基準もないので識別が困難である。James Lager本物ライカIIgとして製造番号825001、825015、845680、847687の4写真挙げている。中村孝1989年9月に825917を入手しPaul-Henry van Hasbroeckに写真送り本物である」旨の回答受けたが、その後Paul-Henry van Hasbroeckが出したライカ本の増補版にも掲載されなかったという。 ライカIgLeica Ig ) - ライカIIIgから距離計ファインダーセルフタイマー除いたモデル1963年まで生産され製造番号887001から987600、製造台数6,255台。ライカIgスローあり(1957年発売) - Iシリーズでは例外的にスローシャッター装備されるアクセサリーシューが2個つく。 ライカIgスローなし(1959年製造) - ライカIgスローシャッター省略されモデルライツカタログにも掲載され製造は数台とも100台前後とも言う。製造番号924590から924623、925021から925054の68台はシーメンス電子顕微鏡システム組み込まれアクセサリーシュー代わりに施されたり特殊形状巻上ノブ使われていることが知られている。 ライカIgポスト - 少数生産された。

※この「バルナック型ボディー」の解説は、「ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧」の解説の一部です。
「バルナック型ボディー」を含む「ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧」の記事については、「ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧」の概要を参照ください。

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