各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 03:23 UTC 版)
静岡県富士郡芝富村長貫(現・富士宮市) その昔、どんどん焼きをしていると毎年のように、白鳥山から白坊主が「ほーい、ほーい」と呼ぶため、気味悪くなってこの行事をとりやめたという。白鳥山の南にある大鏡山からも白坊主が現れ、この白坊主を見た者には災難が訪れるともいわれる。 戦国時代のこの地には狼煙台があり、どんどん焼きは狼煙と見誤るために制限または禁止されたという説もあることから、白坊主とはこの狼煙台の守備兵を指しているとの解釈もある。 大阪府 南部では、夜道で人が出遭うといわれるのみで、それ以上の具体的な話は残されていない。タヌキが化けたものという説があるが、定かではない。 大阪の和泉では目・鼻・口・手足のはっきりしない、絣の着物を着た全身真っ白な坊主とも、風船のように大きくて丸い妖怪ともいい、いずれも人を脅かすだけで危害を与えることはない。キツネが化けたものともいうが、土地の古老によれば、この地方のキツネは藍染めの縞模様の着物を着て現れるため、キツネではないという。見越入道に類するものとする説もあるが、見越入道のように出遭った人間の前で背が伸びてゆくといった特徴は見られない。のっぺらぼうの一種とする説もある。 和歌山県伊都郡九度山町 九度山町の山の中に阿弥陀滝と呼ばれる滝で死んだ人の亡霊か、化け物の仕業という。 広島県安芸郡倉橋町(現・呉市) カワウソが脚に継ぎ木をして2メートルもの大きさに化けて人を脅かすといい、これに出遭ったときは地上1メートルあたりを殴ると良いという。 熊本県天草郡本渡町(現・天草市) 本渡町の中央にあるクスノキの中に住み着いている白髪の老婆が白坊主の母親だといい、そのクスノキのそばを夜に通ると、老婆が白坊主の着物のための糸を紡ぐギーギーという音が聞こえたという。この木を切ったところ、真っ赤な血があふれ出したといわれる。
※この「各地の伝承」の解説は、「白坊主」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「白坊主」の記事については、「白坊主」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:06 UTC 版)
三重県 三重県では牛鬼はひどく祟るとされた。かつて南伊勢町・五ヶ所浦の洞穴に牛鬼がいるといわれ、五ヶ所城の城主・愛洲重明が弓で射たところ、その祟りで正室が不治の病となってしまった。これがもとで重明は正室を疎んじ、京から来た白拍子を溺愛するようになった。これにより正室の親元である北畠氏は愛洲氏と不仲となり、愛洲氏を滅ぼしてしまったという。 和歌山県 西牟婁郡の牛鬼淵は、底が海にまで通じており、淵の水が濁ると「牛鬼がいる」といわれた。ここの牛鬼は出会っただけで人を病気に至らしめるという。このようなときは「石は流れる、木の葉は沈む、牛は嘶く、馬は吼える」などと逆の言葉を言うと、命が助かるという。またこの地の牛鬼は、猫のような体と1丈(約3.3メートル)もの尾を持ち、体が鞠のように柔らかいので歩いても足音がしないという。 上戸川では滝壺に牛鬼がいるといい、これに影を嘗められた人間は高熱を発して数日のうちに死ぬといわれ、それを避けるため毎年正月に、牛鬼の好物である酒を住処に供えたという。 三尾川の淵の妖怪譚では、牛鬼が人間に化け、さらに人間を助けるというたいへん珍しい話がある。青年が空腹の女性に弁当を分けたところ、その女性は淵の主の牛鬼の化身で、2ヶ月後に青年が大水で流されたときに、牛鬼に姿を変えたその女性に命を救われた。だが牛鬼は人を助けると身代りとしてこの世を去るという掟があり、その牛鬼は青年を救った途端、真っ赤な血を流しながら体が溶けて、消滅してしまったという。 岡山県 牛窓町(現・瀬戸内市)に伝わる話では、神功皇后が三韓征伐の途中、同地にて塵輪鬼(じんりんき)という頭が八つの大牛姿の怪物に襲われて弓で射殺し、塵輪鬼は頭、胴、尾に分かれてそれぞれ牛窓の黄島、前島、青島となった。皇后の新羅からの帰途、成仏できなかった塵輪鬼が牛鬼に化けて再度襲い掛かり、住吉明神が角をつかんで投げ飛ばし、牛鬼が滅んだ後、体の部分がバラバラになって黒島、中ノ小島、端ノ小島に変化したという。牛窓の地名は、この伝説の地を牛転(うしまろび)と呼んだものが訛ったことが由来とされる。また、鎌倉時代に成立した八幡神の神威を紹介する神道書・『八幡愚童訓』にも塵輪(じんりん)という鬼が仲哀天皇と戦ったことが記されており、先述の伝承の由来とされる。 『作陽志』には、美作苫田郡越畑(現・苫田郡)の大平山に牛鬼(ぎゅうき)と名付けられた怪異が記されている。寛永年間に20歳ばかりの村民の娘が、鋳(カネ)山の役人と自称する男子との間に子供をもうけたが、その子は両牙が長く生え、尾と角を備えて牛鬼のようだったので、父母が怒ってこれを殺し、鋳の串に刺して路傍に曝した。民俗学者・柳田國男はこれを、山で祀られた金属の神が零落し、妖怪変化とみなされたものと述べている。 山陰地方 山陰地方から北九州にかけての沿岸では、牛鬼では濡女や磯女と共に海中から現れるといい、女が赤ん坊を抱いていて欲しいなどと言って人を呼びとめ、相手が赤ん坊を抱くと石のように重くなって身動きがとれなくなり、その隙に牛鬼に食い殺されるという。牛鬼自身が女に化けて人に近づくともいうが、姿を変えても水辺に写った姿は牛鬼のままであり、これによって牛鬼の正体を見破ることができるという。石見(現・島根県)でも同様に、釣り人のもとに赤ん坊を抱えた怪しげな女が現れ「この子を少しの間、抱いていて下さい」というので抱き取ったところ、女が消えたかと思うと海から牛鬼が現れ、しかも腕の中の赤ん坊が石に変わり、あまりの重さに逃げることができないでいたところ、彼の家にあった代々伝わる銘刀が飛来して牛鬼の首に突き刺さり、九死に一生を得たという。牛鬼はほかにも地名由来に関わっている場合もあり、山口県光市の牛島などは牛鬼が出たことに由来する。 高知県 明和3年(1776年)の大旱魃の年に岡内村(現・香美市)の次郎吉という男が、峯ノ川で牛鬼を目撃したという。また同県の民話では、ある村で家畜の牛が牛鬼に食い殺され、退治しようとした村人もまた食い殺されていたところへ、話を耳にした近森左近という武士が弓矢の一撃で退治した。村人たちは大喜びで、弓を引く真似をしながら左近の牛鬼退治の様子を話したといい、これが同県に伝わる百手祭の由来とされる。 物部村市宇字程野(現・香美市)に伝わる話では、2-3間の深さのすり鉢状の穴に落ち抜け出せずに泣いている牛鬼を、屋地に住んでいる老婆が助け、それ以来牛鬼はその土地の者には祟りをしなかったという。 土佐山村にある鏡川の支流である重倉川に牛鬼淵があり、昔、こけ淵と呼ばれていた頃に牛鬼が住んでいて、ある時、長谷集落の猟師が夜間にぬた撃ちに出かけた際、身の丈7尺、身体は牛で顔は鬼のような姿の牛鬼と遭遇して、これを射殺。牛鬼は淵に沈んで7日7夜血を流し、後に7尺ほどの骨が浮かんできたので、小さなお宮を立てて祭り、お宮を「川内さま」、こけ淵を牛鬼淵と呼ぶようになった。 愛媛県 宇和島地方の牛鬼伝説は、牛鬼の伝承の中でも特に知られている。かつて牛鬼が人や家畜を襲っており、喜多郡河辺村(現・大洲市)の山伏が退治を依頼された。村で牛鬼と対決した山伏は、ホラガイを吹いて真言を唱えたところ、牛鬼がひるんだので、山伏が眉間を剣で貫き、体をバラバラに斬り裂いた。牛鬼の血は7日7晩流れ続け、淵となった。これは高知県土佐山、徳島県白木山、香川県根来寺にそれぞれ牛鬼淵の名で、後に伝えられている。 別説では、愛媛県に出没した牛鬼は顔が龍で体が鯨だったという。同じ「牛鬼」の名の伝承でも地域によって著しく姿形が異なることから、妖怪研究家・山口敏太郎は、水から上がってくる大型怪獣はすべて「牛鬼」の名で呼ばれていたのではないかと述べている。 宇和島藩のお家騒動である和霊騒動を機に建立された和霊神社では、例祭として7月23日と24日に「牛鬼まつり」が行われている。 ツバキの根説 牛鬼の正体は老いたツバキの根という説もある。日本ではツバキには神霊が宿るという伝承があることから、牛鬼を神の化身とみなす解釈もあり、悪霊をはらう者として敬う風習も存在する。またツバキは岬や海辺にたどり着いて聖域に生える特別な花として神聖視されていたことや、ツバキの花は境界に咲くことから、牛鬼出現の場所を表現するとの説もある。共に現れる濡女も牛鬼も渚を出現場所としており、他の場所から出てくることはない。
※この「各地の伝承」の解説は、「牛鬼」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「牛鬼」の記事については、「牛鬼」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 08:46 UTC 版)
長野県松本市では、木を切り倒す音や赤ん坊の泣き声をたてたという。群馬県邑楽郡邑楽町や島根県では、人をさらうものといわれる。 『白河風土記』巻四によれば、鶴生(つりう・福島県西白河郡西郷村大字)の奥地の高助という所の山中では、炭窯に宿泊する者は時として鬼魅(きみ)の怪を聞くことがあり、その怪を小豆磨(あずきとぎ)と呼ぶ。炭焼き小屋に近づいて夜中に小豆を磨ぐ音を出し、其の声をサクサクという。外に出て見てもそこには何者も無いと伝えられている。 茨城県や佐渡島でいう小豆洗いは、背が低く目の大きい法師姿で、笑いながら小豆を洗っているという。これは縁起の良い妖怪といわれ、娘を持つ女性が小豆へ持って谷川へ出かけてこれを目にすると、娘は早く縁づくという。 大分県では、川のほとりで「小豆洗おか、人取って喰おか」と歌いながら小豆を洗う。その音に気をとられてしまうと、知らないうちに川べりに誘導され落とされてしまうともいう。音が聞こえるだけで、姿を見た者はいないともいわれる。
※この「各地の伝承」の解説は、「小豆洗い」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「小豆洗い」の記事については、「小豆洗い」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 18:11 UTC 版)
鳥取県鳥取市では、山中に住む呼子(よぶこ)または呼子鳥(よぶこどり)という者が、山彦の声を発すると考えられていた。高知県幡多郡橋上村(現・宿毛市)楠山では、昼夜問わず深山で突然恐ろしい声が聞こえる怪異をヤマヒコという。 西日本に伝わる妖怪の山童や、『和漢三才図会』にある妖怪の玃(やまこ)と同一視されることもあり、木の霊が山彦を起こすと考えられたことから、木の中に住んでいるという妖怪の彭侯とも同一視された。『百怪図巻』『画図百鬼夜行』などの妖怪画集にあるイヌのような姿の山彦は、玃または彭侯をモデルにしたものと考えられている。 前述の鳥取の呼子鳥は鳥の姿といわれるほか、長野県北安曇郡の小岩岳では人の言葉を返す「山彦岩」という岩があるなど、妖怪としての山彦の起源や種類は一様ではない。
※この「各地の伝承」の解説は、「山彦」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「山彦」の記事については、「山彦」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 05:16 UTC 版)
インドから中国にかけてのアジア一帯に似たような伝説があり、虎が生息しない日本でも中国の影響によってその存在が信じられたという。 中国・宋朝から清朝にかけて執筆された志異・志怪などを記した説話集、『太平広記』・『古今説海』・『唐人説薈』などに「人虎伝」として虎に変身する男の説話が収録されている。日本の作家・中島敦は、『唐人説薈』中の「人虎伝」に取材して小説『山月記』を執筆して郷里の秀才の悲哀を描出している。 インドネシア・ジャワ島ではマガン・ガドゥンガン (magan gadungan) という虎人の伝説がある。諸説あるものの、「ンゲルム・ガドゥンガン」の魔法の儀式によって眠っている人の魂が体から抜け出して実体化されるとするものや持っている人間の親指ほどの大きさも無い腰布を夜に腰に巻くことで魔法が発動されるとも言われている。その魔法が発動されると、体が巨大化して全身が黄色と黒の虎縞で覆われてやがて虎の姿になり、夜中に人を襲って食する。だが、これによって虎になった者の呪いは解かれて、替わって襲われた者が呪いを受けて生き延びて虎に変身して次の犠牲者を探すことになるという。マガン・ガドゥンガンの上唇にはくぼみが無く、それによって探すことが出来るという。 マレー半島では、虎憑きは家畜を襲い、特に鶏を好む。このため、古来虎憑きの疑いをかけられた人は吐薬を飲まされて、羽毛を吐き出せば虎憑きであるとして隣人・村人の手によって処刑されたという。 インドでは、川で水浴する男達を襲う虎女の伝説があり、絵画などの題材に用いられている。 またヨーロッパでも、虎人間 (man tiger) と呼ばれる胴体は虎で額から角を突き出した人間の頭部を持つという架空の動物がおり、紋章などに用いられた。また、インドに住むと信じられていた怪物マンティコラの原型も虎憑きの伝承に求める考えもある(2世紀のパウサニアスの説)。
※この「各地の伝承」の解説は、「人虎」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「人虎」の記事については、「人虎」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:07 UTC 版)
地域により細部の違いがあるが、茨城県同様、愛媛県西予市の若宮神社や岐阜県飛騨地方でも、「悪さをした河童を許したり河童の腕や手を拾って返したりしたら、人助けしてくれた」といった河童の恩返し伝説が伝わる。
※この「各地の伝承」の解説は、「河童」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「河童」の記事については、「河童」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 23:10 UTC 版)
東北地方では漁で最初に採れた魚を海の神に捧げるという風習があり、これを破ると海坊主が船を壊し、船主をさらって行くといわれる。 備讃灘に多いヌラリヒョンは、頭大の玉状のもので、船を寄せて浮かんでいるところを取ろうとすると、ヌラリと外れて底に沈み、ヒョンと浮いてくる。これを何度も繰り返して人をからかうという。 青森県下北郡東通村尻屋崎では、フカに喰われた人間が「モウジャブネ」になるという。味噌を水に溶かして海に流すと除けられる。 静岡県賀茂郡で語られる「ウミコゾウ」は、目の際まで毛をかぶった小僧で、釣り糸を辿って来て、にっこり笑ったという。また蒙古高句麗と当てる紀州神子浜の鼬に似た「モクリコクリ」という小獣は、3月3日は山に、5月5日は海に出、人の形だが伸縮自在、現れては消え、麦畑で夜くる人の尻を抜くという。クラゲのような形で、海上を群れて漂うともいう。蒙古襲来の時、水死した霊魂と言われており、蒙古高句麗の当て字がある。愛媛県北宇和郡では、夜、海が白くなって泳いでくるものを「シラミ」、または「シラミユウレン」と呼び、漁師はこれをバカと言う。しかし、バカというのが聞こえると、怒って櫓にすがり、散々な目にあわされると伝えられている。 佐渡島の「タテエボシ」は、海から立ち上る高さ20メートルもの怪物で、船目掛けて倒れ来るという。 海坊主は姿を変えるともいい、宮城県の気仙沼大島では美女に化けて人間と泳ぎを競ったという話がある。岩手でも同様にいわれるが、誘いに乗って泳ぐとすぐに飲み込まれてしまうという。愛媛県宇和島市では座頭に化けて人間の女を殺したという話がある。また人を襲うという伝承が多い中、宇和島では海坊主を見ると長寿になるという伝承がある。 変わった姿の海坊主もいる。和歌山県では「毛見浦の海坊主」なるものが出没したという。明治21年(1888年)12月26日の『都新聞』によると、和歌山県三井寺に大猿のような体長7〜8尺(約2.1〜2.4メートル)、体重60〜70貫(約225〜263キログラム)の海坊主があがったという。茶色い髪、橙色の目をもち口はワニ、腹は魚、尾はエビ、鳴き声は牛のようであったという。 長野県には、川に住む海坊主がおり、全国的にも珍しいとされる。伝説によれば中野の替佐付近の川に済み、体は巨大で、黒く大仏のような頭をしている。上半身だけを水上に出すと言う。 なお、西洋には名称が類似するSea monk(海の修道僧)やsea bishop(海の司祭)と呼ばれる半魚人の伝説がある。
※この「各地の伝承」の解説は、「海坊主」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「海坊主」の記事については、「海坊主」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:36 UTC 版)
越中国(現・富山県) 作者不詳の怪奇譚『ばけもの絵巻』に記述がある。 倶利伽羅峠の猿ヶ馬場という場所で昼寝していた木こりが、枕元で何者かの声を聞いて目を覚ましたところ、そこには身長約1丈(約3メートル)の大坊主が立っていた。木こりは恐怖のあまり必死に命乞いをしたが、大坊主は自分は人の命を奪うものではない、天に連れて行って世界の果てを見せてやると言って手招きをした。木こりが震え上がって逃げ出したところ、大坊主は怒って彼をつかまえ、放り投げた。木こりがやがて落下したのは加賀国金沢の町はずれの大樋(現・石川県金沢市大樋町)で、元の場所からは6里も離れた場所だったという。 原典での名は大坊主だが、妖怪研究家・湯本豪一はこれを見越し入道の話と見なしている。 長野県別所 木挽きを仕事とする長太郎という者の仕事場に、毎晩のように大坊主が現れて「相撲をとろう」とせがんでいた。長太郎が相撲をとるふりをして、坊主の腰に斧を叩きつけたところ、大坊主は逃げていった。その話を聞いた仕事仲間が次の日に大坊主の血痕を辿って行くと、その先は大明神岳の頂上の石宝倉に続いていたという。 静岡県榛原郡上川根村(現・川根本町) ある墓地近くに暗い杉林に大坊主が現れたといわれる。通りかかった人の背中に負ぶさってくるが、日の光の届くところまで来て、太陽に必死に祈ると、大坊主は離れたという。 因幡国(現・鳥取県)徳尾 鳥取県の口承資料『因伯昔話』に記述がある。昼でも木が茂って暗い森があり、ここを夜12時から2時頃に3回通ると、必ず大坊主の怪物が現れるという噂が立った。 これを聞いた羽田半弥太という荒武者が、正体を見破ろう森へ赴いた。夕方に近くの茶屋で夕食をとり、店の主人に怪物の正体を見破りに来たことを話し、半弥太の身を案じつつ愛想良く送り出す主人を後に、半弥太は森へ向かった。 森の奥に辿り着いた頃はすっかり夜が更けていた。怪しい風とともに天を突くほどの大坊主が現れ、目を光らせて半弥太を睨みつけた。彼が動じずにいると、大坊主は姿を消した。 帰り道に半弥太は夕食時の茶屋へ寄り、主人に大坊主が現れたことを話した。 「怪物の大きさは、このくらいでしたか?」 「いや、もっと大きかった」 「では、このくらいですか?」 主人が怖ろしい声と共に、森の中の怪物よりさらに巨大な大坊主へと姿を変え、半弥太は気を失ってしまった。気がつくと、そこはただの野原であり、主人の姿も茶屋も消え失せていたという。 薩州(現・鹿児島県西部) 江戸時代の随筆集『新著聞集』に記述がある。 竹内市助という者が酒宴に出席し、宴の終わった座敷にいたところ、座敷の戸から坊主が顔を出し、その顔だけで3尺(約90センチメートル)もの大きさがあった。坊主に肩をつかまれた市助は、刀を抜いて斬りつけたが、まるで綿のように手応えがなかった。大声で人を呼ぶと、坊主は姿を消したという。 妖怪絵巻 江戸時代の妖怪絵巻『化物づくし』に、「大坊主」と題した妖怪が、その弟子とされる「白ちご」(しらちご)とともに描かれている。鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』では「白児」(しらちご)は犬神とともに描かれており、『化物づくし』の大坊主も犬に似た姿のため、この大坊主を犬神と関連しているものとする説もある。
※この「各地の伝承」の解説は、「大坊主」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「大坊主」の記事については、「大坊主」の概要を参照ください。
各地の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 20:25 UTC 版)
沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉(きじょか)が伝承の発祥の地と言われ、喜如嘉では「ぶながやー」と呼ばれている。ここでは毎年旧暦8月8日に決まったある家の豚小屋に現れ、首を絞めて殺して火で全身を焼いていた。また、魚を貰ったある男が面白半分で放屁すると突き放されて深みにはまって溺れた。 国頭郡今帰仁村の羽地内海ヤガンナ島は死者を葬る島として一般人の立ち入りがタブー視されているが、この島ではキジムナーをセーマ(精魔)といって、島に立ち入った人間に対し、雄セーマは性器を、雌セーマは乳房をその者の口に突っ込んで窒息死させるといわれる。 羽地村源河(現在の名護市字源河)で、ある老婆が川の近くを通ると川のそばの木の上に睾丸の大きな子供が枝を枕にして寝ており、老婆は竹竿でその睾丸を突くと子供は飛び上がってすぐにどこかへ行ったのか見当たらなくなった。驚きつつ帰宅すると夜に寝たそばからあの消えた子供に襲われて動くこともできずに一晩中苦しめられた。 なお、民俗学上、八重山諸島にはキジムナーの伝承は確認されないが、現在では沖縄県の妖怪・精霊として、全県的に定着している。
※この「各地の伝承」の解説は、「キジムナー」の解説の一部です。
「各地の伝承」を含む「キジムナー」の記事については、「キジムナー」の概要を参照ください。
- 各地の伝承のページへのリンク