各地の八郎太郎伝説
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十和田湖を追われた八郎太郎が新しいすみかを求めてあちこちを探し回った伝説は沢山ある。来万山を越え移動し、三戸岳の下滝川をせき止めて三戸郡を大潟にしようとしたが、長谷の観音や諏訪明神など沢山の神仏が攻撃してきたのであきらめた。故郷の鹿角の米代川の岩の脇をせきとめようとしたが、花輪の48の神仏が集宮神社で相談して、八郎太郎を攻撃した。八郎は男鹿半島まで逃げそこで小さな潟に住み、次第に大きくしたのが八郎潟である。八郎太郎は秋田で八竜大明神として祀られ、冬は田沢湖に春分まで住み、春になると八郎潟に戻ってきて氷が溶け漁ができるようになり、沿岸の人々は八郎太郎を祀るようになったという。秋田城下に御用商人の潟屋伊左衛門という者がいたが、八郎太郎が秋田に逃げてきたとき、八郎は八郎潟の近くに住んでいた潟屋邸に泊まった。夜更けになると八郎は自分の正体を証言し、「この辺を大潟にしようと思っています。近所の人にも教えて早く立ち退いて下さい。その後はみなさんをお守りしましょう」と言う。炉の中に火箸を立てて引き抜くと、水がこんこんと湧き出して来る。主人らは慌てて翌日から高い所に移った。その後、主人は潟屋を屋号にして秋田に住むと秋田の分限者として栄えた。潟屋は春秋の彼岸に八郎大明神の神霊が来ると言って注連縄を張って祭りをする。城下に再三の火災があっても潟屋だけは罹災しないという。 他に渡辺村男の『八戸見聞録』(昭和17年、1942年)には、八戸の蛍が崎を八郎潟崎と呼び、ここにある沼を八太郎沼(この沼は現在埋め立てられている)と言ったという伝説が記載されている。工藤白竜の『津軽俗説集』(寛政年間)では(北津軽郡)相内村には八の太郎という杣子(木こり)がいて、岩魚を一人でたべ異形となり、十三湖に入ろうとしたがカッパに追われ平川の淵に入ろうとしたが、またもカッパに追われ、最後には八郎潟で安住したという伝説が記載されている。『新撰陸奥国説』では、目屋沢に八郎と呼ばれる杣人がいて、あるとき一匹の魚を食い、川の水を飲み干すと、全身に鱗が生えた。十和田こそが我が住処とそこに行くと、南蔵坊が住んでいて入ることができない。そのため剣が鼻(大鰐)に来て、大堤を築こうとすると、温泉に野丑と山丑という兄弟がいて、彼らが大日如来に祈願すると両人角を得て丑となり、八郎に突進し秋田に追い出し、八郎がせき止めようとした木材はそのまま石になったという伝説が記載されている。 八郎太郎が新天地を求めようとした場所はこの他にも北上川の高水寺付近(岩手県紫波町)で権現に止められて花輪に移った話もある。また、新井田川の上流の島守盆地で、地主神や虚空蔵や諸神仏に追われたが、八郎太郎がモッコで土を運んだところが、一モッコ、二モッコとして地名に残っているとされる。また、階上岳をひっぱって住処を作ろうとしてひっくり返った所が浜名だという伝説もある。馬渕川を赤石沢と竜の口の間に三戸の城山を担いで来たが、諏訪の神に止められた話もあり、轟木のトンネル付近のくぼみは八郎の足跡だという。また三戸郡倉石村のはなれ森は、八郎太郎が十和田湖に行く途中に五戸川の水をせき止めて沼にしようとしてモッコで担いだ跡で、山上に薬師堂があるという。中津軽郡相馬村の鉢呑沢の炭焼の八郎が、作沢川を止めて住もうとしたが、不動明王に止められて秋田に移ったという話も残されている。秋田県大館市比内町扇田中野籾内沢口にある岩山はまるはげの岩の面を年中乾くことなく涙を流したように水が少しずつ流れていて泣面山と言われている。八郎太郎が南祖坊に敗れ最後の一策として八面沢から達子森を背負って七座山に向かった時、神たちが一計をめぐらしたので八郎太郎は達子森を現在の所に捨てて逃げたという。この時、中野の薬師神は高い所にあったので神たちの相談の時に欠席したので、神たちは怒り薬師森から薬師神を引きずりおろし、その時薬師神は倒れウドで目を突いて涙が流れ現在の泣面山になったという。 魚を食べて蛇になった伝説も各地に残されている。山形県西田川郡温海町では、八郎太郎は越沢の生まれてあったが、岩魚を食べた結果、大蛇となって大雨を降らせ八郎潟に行き、その主になったとも言われている。戸部正直の『奥羽永慶軍記』(元禄11年、1698年)では、八郎潟がまだ山林であったころ、八郎というキコリが沢辺で魚を捕って大蛇になりここを潟となして、主になったとされている。岡見知愛の『柞山峯之嵐』(延享元年、1744年)ではそれと同じく八郎潟単独で語られている。工藤白龍の『津軽風俗選』後拾遺(寛政7年、1795年)では八郎は十三潟に入ろうとして河伯(河の神)に追われ、八郎潟で安住したとされる。内田邦彦の『津軽口碑集』(昭和4年、1929年)に引く話も、十和田湖や南祖坊の話は出てこない。
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