各地の反抗勢力と戦う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:10 UTC 版)
1385年(洪武18年)8月、馮勝、藍玉と共に北平の守りについた。 1386年(洪武19年)2月、耿炳文を従えて、雲南、曲靖の蛮族を討った。 1387年(洪武20年)1月、左副将軍として馮勝に従い、ナガチュ討伐に参加した。趙庸を従えて、6月にナガチュを金山で破った。 1388年(洪武21年)6月、東川の蛮族が叛き、征南将軍として、征南左副将軍・沐英、征南右副将軍・陳桓を率いて、これを平定した。9月、越州で阿資が叛き、沐英と共に、翌年1月、普安でこれを破った。 1389年(洪武22年)3月、諸将を率いて、四川、湖広に分屯し、西南の蛮族を防いだ。7月、応天府に帰還した。 1390年(洪武23年)1月、趙庸、曹興、王弼、孫恪らと北平に赴き、軍馬の訓練を行った。晋王、燕王に従い、征虜前将軍として沙漠遠征に向かい、乃児不花を捕らえた。開平の守りにつき、再び寧夏を攻めた。 1391年(洪武24年)、征虜将軍として、王弼と郭英を副将として北平を守った。4月、再び燕王に従い、郭英らと共に哈者舎利を討ち、元の遼王を追った。先行しすぎたため、軍を戻せとの命令を受けた。しかし、敵の不備をつき、密かに黒嶺へと至り、敵軍を大破してから帰還した。山西、陝西総練兵、屯田を行った。太子太師を加えられ、故郷へ戻った。
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