「人虎伝」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:47 UTC 版)
『宣室志』の「李徴」は脚色された上で、唐の李景亮の作「人虎伝」として人口に流布した。元代以降に「人虎伝」の名は確認でき、明末清初には現在に残る形が出来上がっている。 現在の日本で読まれる「人虎伝」には2種類の系統がある。以下の改変がまだなされていない作品としては、『太平広記』中の「李徴」系統の明治書院『新釈漢文大系』中の「人虎伝」がある。『太平広記』中の「李徴」は、『宣室志』の「李徴」を受け継いだものである。対して『國譯漢文大成』には、「山月記」の素材となった李景亮の「人虎伝」が収められている。 「李徴」からの主な改変箇所として、 李徴が虎に変わってからも、はじめは生き物を食べることをためらったが、飢えに迫られて、獣を食べ始め、獣に避けられてから、飢えのため、人間の女性を食べたことが李徴から語られる。 袁傪が李徴が飢えているならと、馬を一頭贈ろうと話し、李徴が断る。袁傪が羊の肉を贈ると提案し、李徴が立ち去る時に置いて欲しい、と語る。 李徴の唄った詩が追加される。これは、そのまま「山月記」で採用される。 李徴が後家とつきあい、家人に気づかれ、家に火をつけて、家人を焼き殺して逃亡したことが李徴の口から語られる(「私一孀婦」、「尽焚殺之」の筋)。 ことが挙げられる。
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