中国古典からの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:59 UTC 版)
中島敦は漢文古典に対する素養が深く、漢文的な硬質な文体を特徴とするとともに、中国古典を下敷きとして自らの小説を創作した作家であるというのが第一の側面としてある。そのため、同じように古典を素材にして小説を書いた森鷗外・芥川龍之介の流れを汲んでいる知識人・文人的な作家と一般的にはとらえられている面がある。 しかしながら、中島と芥川の違いとしては、中島には芥川のようなシニシズムで脚色する傾向はなく、たとえば『弟子』では子路の人物や性行を愛して描き出している点にある。なお、この子路の純粋な没利害性や、己の信念に準じた性格のモデルは、伯父の中島斗南だということがしばしば指摘されている。 中国古典を下敷きにした『山月記』『弟子』『李陵』などは中島敦の作品の代表的なものとして認知度が高く、その中でも、『李陵』が中島文学の中のもっとも優れた作品であると評価される傾向がある。こうした素直に漢文の教養を活かした創作にいたるまでは、反発や試行錯誤があり、古典を踏まえて作品を作るという手法が取り入れられ、またその文体が成立したのは『古譚』4篇からとみられる。 それ以前の未完の長編『北方行』は当時の現代中国を描こうとしたものであり、自己検証をテーマにした私小説としての性格を持ったものだった。『北方行』の執筆を断念し、その草稿をほかの作品に転用した後、中島は直接的な私小説の手法ではなく、遠い過去の時代を舞台にした『古譚』4篇などや、『弟子』『李陵』のような、歴史上の人物を通して人間を描く方法をとるようになっていった。そして、それらの運命的な人物たちに自身の内面性や死を投影させた。 東洋の古典だけでなく、中島はD・H・ロレンスやフランツ・カフカ、オルダス・ハクスリー、ニーチェなどのさまざまな西欧文学や哲学書も愛読し、それらから人間の実存的解釈や審美的感覚の基礎を得ている。カフカやデイヴィッド・ガーネットの作品にみられる変身譚は、『山月記』の題材「人虎伝」選びの過程に影響を与えたと見られる。また、原作「人虎伝」の因果応報とは異なる、芸術家の純粋な内因性を虎への変身の原因とし、芸術家としての自己の心情を投影させた独自の小説として肉付けしている。 同じく中国古典に材をとった『古俗』の1篇である『牛人』では、牛のように醜く、得体の知れない不気味な笑みを浮かべるわが子・豎牛に見つめられながら餓死していく政治家・叔孫豹の運命を描き、その牛男の豎牛を「世界のきびしい悪意」として象徴させた作品となっている。武田泰淳は、この「世界のきびしい悪意」に対する叔孫豹のへりくだった「懼れ(おそれ)」が、中島文学の全作品に底流している暗い色調をなすものとし、『光と風と夢』や『弟子』『李陵』にまで引きずられているとしている。またこの悪意への「懼れ」が私小説的な『過去帳』2篇(『狼疾記』『かめれおん日記』)での見事な自己告白を可能にし、さらに中島が中国古代史実に吸い寄せられたのもこの「懼れ」だとしている。
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