中国史における南洋概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/27 14:04 UTC 版)
宮崎市定によれば、当初、南方の海を指す語として用いられた「南海」は単に海そのものを指すに過ぎなかったが、やがて「南海の浜」、つまり(中原から見た大陸南端に相当する)南シナ海に面した海岸部を指す語となった。秦が設置した南海郡はこの語法の典型である。 その後、宋代の嶺外代答(中国語版)の記述などによれば、海洋進出によって「広大無辺なる大海を発見して之に大洋海なる名称を附」すようになり、「之と共に航海可能なる大海を呼ぶに洋を以てすることが流行し」ていく。元代の島夷誌略(中国語版)では南海を(フィリピンなどを指す)「東洋」と(インドなどを指す)「西洋」に区分している。 明代に入ると、ヨーロッパ人の来航によって地理知識は更新され、マテオ・リッチの坤輿万国全図では、「大西洋」「小西洋(西インド洋)」「小東洋(北西太平洋)」「大東洋(東太平洋)」「西南海(南インド洋)」「東南海(南太平洋)」「南海(アラフラ海?)」などが記載されている。 さらに時代が下り、清代の陳倫炯(中国語版)の海国見聞録では先述の「小東洋」は「東洋」と改称され、新たに設けられた「東南洋」で台湾・フィリピン・ボルネオ方面を、同じく新設された「南洋」でインドシナ・ジャワ・スマトラ方面を指すようになった。
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