中国史上の重瞳だったと言われる人物
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「重瞳」の記事における「中国史上の重瞳だったと言われる人物」の解説
中国史上に記載された重瞳を持つ人物(時間の前後に従って並べた): 蒼頡 - 伝説中の黄帝の史官、漢字の創造者で重瞳四目とも言われる。 虞舜 - 伝説中の五帝の一、姓は姚、名は重華。 顔回 - 『劉子』 巻五に見える。 項羽(紀元前232年 - 紀元前202年) - 秦末に一度、中国の統治権力を握った“西楚の霸王”、後人の詩文中には常に「楚の重瞳」と称する。。『資治通鑑』にも記述が見られる。 王莽 - 『論衡』巻十六に、「虞舜は重瞳、王莽も亦(ま)た重瞳」と載せる。 黄初平(328年-386年) - 浙江の著名な道士。一説に、重瞳によって罪を犯した霊魂を捜索することができ、ついに仙道を得たという。香港人は「黄大仙」と呼ぶ。 呂光(338年-399年) - 後涼の君主。前秦の王猛が呂光に会った際、その両目が重瞳だという異相を認めた。 沈約 - 左眼が重瞳だった。 智顗 - 隋代の高僧。 魚倶羅 - 隋の名将。 劉崇 - 五代十国の時の北漢の世祖。 朱友孜 - 後梁の太祖朱温の第八子。 李煜(937年 - 978年) - 南唐末代の君王、著名な詞人、字は重光、一方の眼が重瞳だったと記載されていることによる。 明玉珍 - 元末の軍事人物。 明の成祖朱棣 - 小説『続英烈伝』中に記載されていたことがある。 顧炎武(1613年-1682年) - 明末清初の著名な思想家・歴史家・言語学者。明末清初三大儒の一人。
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