中国史書の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 02:53 UTC 版)
『漢書』巻99・王莽伝には高句麗侯騶(中国語版)(すう)という人物が登場する。 始建国4年(後12年)、新の王莽が匈奴征伐のため高句麗に援軍を要請した。騶はこれを拒み続けたが、王莽は脅迫して高句麗に援軍を出させた。いざ決戦となった時、高句麗兵は逃亡し法を犯した。王莽は高句麗兵の罪を騶の責任だとして追及し、騶は処刑され、高句麗は下句麗(中国語版)と改名させられた。高句麗侯騶と瑠璃明王の関係は不明である。年代的には瑠璃明王に相当するが、名からはむしろ始祖の東明聖王(別名の鄒牟)に通じるものとも考えられている。
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