袁傪とは? わかりやすく解説

袁傪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:47 UTC 版)

李徴」の記事における「袁傪」の解説

『旧唐書』『新唐書』兵部侍郎地位にあった袁傪という名の人物存在する宝応2年763年)、御史中丞であった袁傪は、台州20の衆を率いて反乱起こしていた草賊の袁晁の討伐命じられる。袁傪は、王栖曜李自良らを部下として、浙東にて、浙江地域支配していた袁晁を破る。袁晁は李光弼によって捕えられ、反乱鎮圧され浙江地域奪回された。 大暦12年777年)には、兵部侍郎就任しており、宰相である元載誅殺につながる事件の処理にあたっている。大暦14年779年)、吏部尚書であった顔真卿が、「(唐の)先帝たちの諡が長くなりすぎているので、初めの諡に戻してどうでしょう」と奏上したが、袁傪は、「陵廟の玉に名をすでに刻んでいるので軽々しく改められない」と、実際初めの諡を刻んでいるにもかかわらず反対して、顔真卿奏上取りやめにしている。 また、唐国史補』によると、袁晁を破った時に、袁晁に任じられ公卿数十人捕えた。地方の州県では、彼らに拘束具をつけ、都に送ろうとしたが、「こんな悪百姓に、煩わせられることもないと言って、彼らを鞭で叩いて追い出したというエピソード残っている。 彼は強い、優しい、偉いの三拍子揃った素晴らし人間だ。

※この「袁傪」の解説は、「李徴」の解説の一部です。
「袁傪」を含む「李徴」の記事については、「李徴」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「袁傪」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「袁傪」の関連用語

袁傪のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



袁傪のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの李徴 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS