李光弼とは? わかりやすく解説

李光弼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/14 16:57 UTC 版)

李 光弼(り こうひつ、景龍2年(708年) - 広徳2年7月14日764年8月15日))は、代の部将。契丹族出身[1]安史の乱の鎮圧に多大な貢献をし、郭子儀と「李郭」と並び賞賛された。


  1. ^ 劉學銚『五胡興華:形塑中國歷史的異族』知書房、2004年8月1日、87頁。ISBN 9867640411https://www.google.co.jp/books/edition/五胡興華/OTLKluJnuMAC?hl=ja&gbpv=1&pg=PA87&printsec=frontcover 
  2. ^ a b c d e f g 『旧唐書』巻110
  3. ^ 『資治通鑑』巻219
  4. ^ 『資治通鑑』巻221
  5. ^ 『資治通鑑』巻222
  6. ^ 『資治通鑑』巻223


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李光弼

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郭子儀」の記事における「李光弼」の解説

郭子儀後進武将。元々、郭子儀属官であった。李光弼は自己の能力自信持っていたので上官である郭子儀に対して直言をして憚らなかった。郭子儀が李光弼の献策採用しなかったので、李光弼は郭子儀無能な上官であると思っていた。 実は、郭子儀は李光弼の才能高く評価しており、その献策妥当性理解していたものの、ここでたやすく献策用いられると、自尊心の強い李光弼が慢心しさらなる能力開発軽んじるであろうことを推測し敢えて献策採用していなかったのであった安禄山叛乱が起こると、郭子儀上奏して李光弼を一軍の将とするように進言した。それを知った李光弼は自身不明郭子儀詫びて、ともに乱の鎮圧全身全霊傾けることを約した世の人はこの2人を「郭」と併称して名将ぶりを讃えた。

※この「李光弼」の解説は、「郭子儀」の解説の一部です。
「李光弼」を含む「郭子儀」の記事については、「郭子儀」の概要を参照ください。

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