袁世凱腹心として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 09:23 UTC 版)
辛亥革命勃発後、劉冠雄は上海へ向かい、上海都督陳其美により、上海都督府海軍高等顧問として招聘された。1912年(民国元年)1月、南京臨時政府が成立すると、劉は海軍部顧問として招聘された。しかし、まもなく湯薌銘、杜錫珪と共に煙台へ向かい、そのまま袁世凱に帰属してしまう。 同年3月、唐紹儀内閣が成立すると、劉冠雄は海軍総長に任命される。以後、劉は近代海軍制度の整備に尽力した。同年12月に海軍上将の位を授与される。また、陸徴祥・趙秉鈞・熊希齢・徐世昌の各内閣で海軍総長をつとめた。 1913年(民国2年)7月の二次革命(第二革命)では、劉冠雄が自ら艦隊を率いて南下し、呉淞砲台の戦いに参加した。さらに袁世凱から南洋巡閲使に任命され、江蘇省の反袁軍を撃破した。この時の軍功により、一等文虎章、一等嘉禾章などを授与されている。 同年12月、福建都督孫道仁が北京に召還されたことを受け、劉が福建都督を兼任した(同年12月、福建都督の位自体は廃止されている)。劉は、省内の国民党に弾圧を加え、その勢力をほぼ壊滅させた。1914年(民国3年)2月、北京に召還されている。
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