袁世凱臨時大総統時期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 袁世凱臨時大総統時期の意味・解説 

袁世凱臨時大総統時期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 09:37 UTC 版)

臨時参議院」の記事における「袁世凱臨時大総統時期」の解説

3月10日袁世凱北京臨時大総統就任し誓詞臨時参議院に致電した。11日、袁により「中華民国臨時約法」が公布され組織大綱廃止された。これにより、臨時参議院根拠法臨時約法となる。同日、袁は国務総理唐紹儀任命し30日に唐は内閣組織した。唐は臨時参議院北京への遷移促し臨時参議院結局これに応じることになる。4月29日北京改め開院式催され5月1日議長呉景濂副議長湯化竜選出された。 北京遷移後の臨時参議院では、孫文派の中国同盟会袁世凱派の共和党それぞれ40議席余り維持して拮抗していた。また、同盟会系の別働隊目され統一共和党25議席擁して第3位勢力となっていた。同盟会と共和党政争対立激しく、それは国務員(内閣閣僚)の任命内閣組織問題にまで及んだ。そのため、国務総理唐紹儀後任陸徴祥は、両党派政争加えて袁の横槍なども受け、短期間辞職追い込まれている。また8月25日には、宋教仁指導の下で同盟会や統一共和党などが結集し国民党成立した9月22日陸徴祥辞任後参議院政党内閣組織することを条件に、趙秉鈞国務総理就任同意与えた。趙もこれに応じ陸海軍両総長を除く閣僚国民党所属とした。こうして曲がりなりにもの上では政党内閣初め出現したこととなる。 政争の間にも臨時参議院は、国会組織法と参衆両院議員選挙法議決しており、8月10日臨時大総統袁世凱により公布された。12月28日臨時参議院閉会し新たな国会組織向けた衆参両院選挙開始される。翌1913年民国2年4月8日国会成立とともに臨時参議院正式に廃止された。

※この「袁世凱臨時大総統時期」の解説は、「臨時参議院」の解説の一部です。
「袁世凱臨時大総統時期」を含む「臨時参議院」の記事については、「臨時参議院」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「袁世凱臨時大総統時期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「袁世凱臨時大総統時期」の関連用語

袁世凱臨時大総統時期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



袁世凱臨時大総統時期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの臨時参議院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS