袁世凱臨時大総統時期
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3月10日、袁世凱は北京で臨時大総統に就任し、誓詞を臨時参議院に致電した。11日、袁により「中華民国臨時約法」が公布され、組織大綱は廃止された。これにより、臨時参議院の根拠法は臨時約法となる。同日、袁は国務総理に唐紹儀を任命し、30日に唐は内閣を組織した。唐は臨時参議院に北京への遷移を促し、臨時参議院も結局これに応じることになる。4月29日、北京で改めて開院式が催され、5月1日、議長に呉景濂、副議長に湯化竜が選出された。 北京遷移後の臨時参議院では、孫文派の中国同盟会と袁世凱派の共和党がそれぞれ40議席余りを維持して拮抗していた。また、同盟会系の別働隊と目された統一共和党も25議席を擁して第3位の勢力となっていた。同盟会と共和党の政争・対立は激しく、それは国務員(内閣閣僚)の任命や内閣組織の問題にまで及んだ。そのため、国務総理唐紹儀や後任の陸徴祥は、両党派の政争に加えて袁の横槍なども受け、短期間で辞職に追い込まれている。また8月25日には、宋教仁の指導の下で同盟会や統一共和党などが結集し、国民党が成立した。9月22日の陸徴祥辞任後、参議院は政党内閣を組織することを条件に、趙秉鈞の国務総理就任に同意を与えた。趙もこれに応じ、陸海軍の両総長を除く閣僚を国民党所属とした。こうして曲がりなりにも形の上では政党内閣が初めて出現したこととなる。 政争の間にも臨時参議院は、国会組織法と参衆両院議員選挙法を議決しており、8月10日に臨時大総統袁世凱により公布された。12月28日、臨時参議院は閉会し、新たな国会の組織に向けた衆参両院選挙が開始される。翌1913年(民国2年)4月8日、国会の成立とともに、臨時参議院は正式に廃止された。
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