伝説・フィクションのできごと
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「8世紀」の記事における「伝説・フィクションのできごと」の解説
712年以降 - 唐の玄宗皇帝が瘧の高熱に浮かされていると、夢の中に鍾馗が現れ、玄宗への恩義に報いるべく、瘧の原因となっている子鬼どもを退治していく(「鍾馗」伝説)。 716年 - 735年 - 唐に留学中の吉備真備が唐人により楼閣に幽閉されるが、鬼となった阿倍仲麻呂の霊の助力により、難解な「野馬台詩」の解読や囲碁の勝負などを解決していく(『江談抄』『吉備大臣入唐絵巻』)。 717年 - 美濃国に貧しい父子が住んでいた。息子は老いた父に孝行を尽くしていたが、ある時山中で酒が流れている滝を発見し、酒好きの父を大いに喜ばせた。この噂が元正天皇の耳に届き、天皇自らこの地を行幸し、奇瑞に感じ入って元号を「養老」と変更した(『古今著聞集』など「養老伝説」)。 729年 - 749年 - 聖武天皇の天平年間に大和国吉野郡にいた久米仙人が飛行術で空を飛んでいたが、久米川で洗濯する若い女性の白い脛に見惚れて、神通力を失って墜落し、その女性を妻として俗人となる道を選んだ(『七大寺巡礼私記』『久米寺流記』『元亨釈書』『扶桑略記』他)。 730年頃 - フランク王国がイスラム教徒との戦いを続ける中で、アイフェル地方の領主であり宮中伯であるジークフリートも、妻ゲノフェーファと別れ戦地に赴く。家臣のゴローは領主不在の折、ゲノフェーファに横恋慕したが、夫人から拒絶された。恨みに思ったゴローは夫人の不倫の噂を流し、破滅させようと陰謀を企てる(フリードリヒ・ヘッベルの戯曲『ゲノフェーファ』、ロベルト・シューマンのオペラ『ゲノフェーファ』)。 750年頃 - 唐の玄宗皇帝の天宝末年、隴西の李徴が進士に及第した。にもかかわらず官吏の生活を良しとせず河南に出張中に発狂し行方知れずとなる。後年、旧友の袁傪は図らずも虎となった李徴と再会する(唐の張読 (唐)(中国語版)の伝奇小説『宣室志(中国語版)』の「李徴」が原典。中島敦『山月記』などに発展)。 756年以降 - 唐の玄宗皇帝は馬嵬で殺された楊貴妃を想い、方士に命じその魂魄の行方を探させる。各地を遍歴して蓬萊宮に至った方士は楊貴妃に巡り会い、玄宗への形見と誓いの言葉を託される(白居易「長恨歌」)。 773年 - 藤原豊成の娘中将姫が長谷観音の導きにより一夜で蓮糸を用いて曼荼羅を織り上げる(「當麻曼荼羅」伝説・折口信夫『死者の書』ほか)。 791年 - 東平の遊侠淳于棼はこの年の九月に、槐樹の下で泥酔し前後不覚に酔いつぶれた。そこへ使者が現れ、彼は夢うつつのまま槐安国に連れていかれ、国王の寵を受けて南柯郡の郡守にとりたてられる。更には王女も娶り栄耀栄華を恣にするが、帰国を決意して、目が覚めるとそこはもとの槐樹の生えている場所で、何もかも元通りだった(李公佐の伝奇小説『南柯太守伝(中国語版)』)。
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