舛添要一 舛添要一の概要

舛添要一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/24 12:24 UTC 版)

日本の旗 日本の政治家
舛添 要一
ますぞえ よういち
Yōichi Masuzoe, Governor of Tokyo (cropped).jpg
2014年10月
生年月日 1948年11月29日(67歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県八幡市
(現:北九州市
出身校 東京大学法学部第3類卒業
前職 国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員教授
所属政党 自由民主党→)
改革クラブ→)
新党改革→)
無所属[1]
称号 法学士(東京大学・1971年
配偶者 フランス人女性(1978年 - 1981年)[2][3]
片山さつき(1986年 - 1989年)
日本人女性(1996年 - )[4]
公式サイト ますぞえ要一 公式サイト

東京都の旗 第19代 東京都知事
当選回数 1回
在任期間 2014年2月11日 - 2016年6月21日

日本の旗 第8-10代 厚生労働大臣
内閣 第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
福田康夫改造内閣
麻生内閣
在任期間 2007年8月27日 - 2009年9月16日

選挙区 比例区
当選回数 2回
在任期間 2001年7月29日 - 2013年7月28日
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参議院議員(2期)、参議院自由民主党政策審議会長厚生労働大臣(第8910代)、新党改革代表(第2代)、東京都知事[5](第19代)などを歴任した。

略歴

来歴

生い立ち

福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)の長男として生まれた。4人の姉がいる。公式サイトによれば、舛添家は江戸時代から続く庄屋の家系である[8]

父は戦前の昭和5年の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった(次点で落選[9])。

若松で石炭商(現在のガソリンスタンドのような存在)を営んでいた父は、行き詰まって八幡東区で八百屋に転じたものの商いは厳しく、要一が小学2年の時に近くの材木店の火災で類焼して以降は酒に溺れ、一家は長女らの働きで糊口を凌いだ[10]

八幡市立祝町小学校(現:北九州市立祝町小学校)、同大蔵中学校を経て[11]福岡県立八幡高等学校では陸上部の短距離選手としてインターハイにも出場した[12]東京大学へ進学し、教養課程では佐藤誠三郎のゼミに所属。法学部では政治学科に進学し、1971年6月に卒業した。

政治学者

1971年7月、東京大学法学部助手に採用されヨーロッパ政治史を専攻した。東大では篠原一岡義達らの指導を受けたが、間もなく渡仏。蔵書資料や指導教官など東大の研究環境の悪さに辟易しての決断だったが、当時、助手の身分での留学は異例で始末書まで書かされた[13]日仏学院、グルノーブル大学にてフランス語研修を受けた後、パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員、ジュネーブ国際研究大学院(HEI)研究員としてフランス外交史の研究を行った(主に戦間期フランスの安全保障政策の研究)。1979年に東京大学教養学部助教授に就任(政治学)。フランスを初めとする欧州の政治・外交安全保障に関する研究を専門とし、国際関係論などを講じていた。

1980年代末から『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』『ビートたけしのTVタックル』などの討論番組に頻繁に出演した。1989年6月に東京大学の体質を批判して退官、舛添政治経済研究所を設立し独立する。独立後はバラエティ番組などにも活動の場を広げた。

1991年北海道知事選挙では自民党からの立候補が盛んに報じられ、舛添も別荘を所有する白老町に住民票を移すなど出馬準備を進めたが[注 1]、事前調査で革新系現職横路孝弘との圧倒的な差を見て、出馬を辞退した[要出典]

以後も度々政界進出が噂されたが、後述の介護体験も一つのきっかけとなり[要出典]1999年東京都知事選挙に無所属で出馬。当初、出馬表明していた野末陳平は出馬を断念し、舛添を支援した[14]。3位で落選したが84万票を獲得した。

参議院議員

2001年7月、第19回参議院議員通常選挙比例区から自民党候補として立候補し、158万8862票を獲得してトップ当選。参議院議員として政策部会に多く出席し、委員会でも多く質問に立った[要出典]2005年、自民党が結党50年に発表した憲法草案においては、党新憲法起草委員会の事務局次長として草案作成の取りまとめに大きな役割を果たした[要出典]こうしたことが青木幹雄片山虎之助といった参院自民党幹部に評価され[要出典]2006年10月、安倍内閣発足に伴い当選1回ながら参院自民党の政策責任者である政策審議会長に就任した。

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、再選を目指し自民党公認で比例区より立候補、与党への逆風の中で票を減らしたが、467,735票を獲得して自民党トップで当選した。選挙前後を通じて、党参院執行部の1人でありながら安倍内閣の政権運営を厳しく批判してきたが、2007年8月27日の第1次安倍改造内閣において年金問題を始めとする多くの問題を抱える厚生労働大臣に任命され、安倍晋三が首相を辞任した後の2007年9月26日に発足した福田康夫内閣、さらに2008年9月24日に発足した麻生内閣においても続投した。

2009年第45回衆議院総選挙で自民党が歴史的な大惨敗を喫し、麻生内閣が総辞職したため、舛添は厚生労働大臣を退任した。その後、辞任した麻生に代わり谷垣禎一が新総裁に就任したが、舛添は総裁選の直後から執行部への批判を口にするようになり、たびたび離党・新党結成が取り沙汰された。舛添の動きは、自民党内で批判の的となり[15][16]、2010年4月には、舛添を党から排除すべきとの意見も出た[15][16]

2010年4月22日、自民党に離党届を提出。矢野哲朗と共に改革クラブへの合流を表明し、入党する[17]。同年4月23日、改革クラブの党名を新党改革に変更し、同党の代表に就任した。自民党党紀委員会は、政党票で当選した比例選出議員であることや新党結党首謀者として他の自民党国会議員(矢野哲朗小池正勝)に対して新党結党のために自民党離党を促したことを反党行為として、賛成9票・反対3票で舛添に対して除名処分を下した[18]

2013年6月7日、同年7月の第23回参議院議員通常選挙に立候補せず、議員の任期満了とともに党代表も辞任する意向を表明した[19]。同年7月22日、新党改革代表を辞任[20]

東京都知事

立候補・当選

自由民主党東京都支部連合会・公明党東京都本部推薦新党改革支援により東京都知事選挙に当選後、自由民主党総裁安倍晋三(右)に挨拶する舛添(左)
選挙ポスター

2014年1月8日2014年東京都知事選挙に無所属で出馬することを表明する。同年1月10日には自民党東京都連が支援することを発表し[21]、同月15日には自民党本部で自民党幹事長石破茂と会談した[22]。自民党東京都連が舛添の推薦を決めたことを踏まえて、石破は「本部としてもしっかり支援していく」と述べた[23]。しかし、同年1月15日小泉進次郎が「一番苦しい時に『自民党の歴史的使命は終わった』と言って出て行った人だ。応援する大義はない」と述べたほか[24]、舛添の前妻である片山さつきも「舛添氏は障害を持つ婚外子に対する慰謝料扶養が不十分だ。解決されていない」と主張するなど[25]、一部の党所属議員からは支援に対して反発の声が上がった。

その後、連合東京公明党東京都本部[26][27]新党改革[1]も支持を決める。一時、公明党幹事長の井上義久は「都本部から支援の要請があれば党本部としても支援したい」と政党を挙げての支援を示唆していた[28]民主党も当初は支援を検討していたが[29]細川護煕の支援に転じた[30]

東京新聞中日新聞)が同年1月10日から12日にかけて実施し、13日に発表した世論調査によると、次期都知事にふさわしい候補予定者として舛添を挙げる意見が最も多かった[31]

同年1月14日東京都庁舎で記者会見を開き、立候補を正式に表明。「私も(福島第一原子力発電所事故以来)脱原発を言い続けている」と述べ[32]細川護熙宇都宮健児鈴木達夫らと同様に脱原発を主張した。政策の3本柱として、「2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功」「首都直下地震などに向けた災害対策」「社会保障対策」を訴えた[33]。同年1月31日の記者会見では、「現在6%の再生エネルギーを20%にする」「東京を『特別経済特区』と位置付ける」「8000人の待機児童を4年間でゼロにする」と宣言した[34]。街頭演説では、「都政の課題はエネルギー政策だけでなく、待機児童、多摩の格差是正、教育、高齢者福祉など、やらなきゃならないことがたくさんある」「『原発なしでも電気はある』と言うが、廃炉予定だった火力発電所を慌てて稼働してなんとか凌いでいる。燃料の98%は輸入で、昨年は3.6兆円もかかった。1日100億円かけて国民の暮らしをなんとか守ってきたが、これでは続かない。依存度を下げていくことは政治家であればみんな考えているが、それは都政ではなく、国政で腰を据えてやることだ」と話したほか、若者への雇用対策、東京を国家戦略特区とする構想などを訴えた[35]

同年2月9日に選挙が執行された[36]結果、211万2979票を獲得し東京都知事に当選[5][37]。同年2月11日に当選証書授与式が行われ[38]、翌12日には東京都庁舎へ初登庁して第19代東京都知事としての職務を開始した[39]

就任から1ヶ月後の2014年3月、都道の歩道上のオープンカフェなどの営業開設手続きが簡略化されたが、舛添の「パリのシャンゼリゼのような通りを造りたい」との表明をくみ、「東京シャンゼリゼプロジェクト」と命名された[40]

建て替え予定の新国立競技場新宿区)について2015年7月、自身が一員でもあった有識者会議のあり方に疑問を呈した[41]。また、都民の便益となるよう、一例として防災拠点としての活用も提案した[42]。同9月には自身が企画した「東京防災」(防災ハンドブック)を電通が作成した(都内の全世帯に配布された)[43]

また、石原都知事がつくり赤字も発生した新銀行東京からの撤退を実現した(2016年4月1日付)[44][45]

都市外交

東京を訪問したウィリアム王子を案内する舛添(2015年)

同年4月24日に都知事就任後の初外遊として中華人民共和国北京を訪問して王安順市長から評価を受けた[46]

同年7月23日、訪問先の韓国ソウル市長朴元淳と会談し、東京とソウルの協力促進などを盛り込んだ合意書を締結した[47]25日には、大統領朴槿恵に招かれてソウルの韓国大統領府で会談。この会談で舛添と朴は韓国人へのヘイトスピーチは許されないとの認識で一致した[48]。また、翌26日ソウル大学での講演でも、在日韓国人らに対するヘイトスピーチに厳しく対応する考えを強調し、その際に「90%以上の東京都民は韓国が好き」とも発言した[49][50]

訪韓の成果について、舛添は「外交や安全保障は政府の専管事項だが、結果的に外交を補完、補強することができると感じた。一定の成果が挙がった」と都市外交の意義を強調し、朴から託された「歴史認識をしっかりすることが親善の第一歩」とのメッセージを内閣官房長官菅義偉に報告すると述べた[51]が、菅は「(朴のメッセージは)従来と同じ発言」と反応するに留まった[52]

また、姉妹都市である北京とソウルの訪問に関して「姉妹、兄弟がいて、お隣に住んでいて、18年間会っていませんということは異常」であるとした[53]

また都条例の規定では、知事が出張の際の宿泊料はソウルで2万6900円が上限となっているが、この時に舛添が利用したロッテホテルの宿泊費が67万7600ウォン≒約7万1000円)[54]とされており、規定を大幅に超過している。さらに同年11月にオーストラリアブリスベンで開催されたG20へ参加した安倍内閣総理大臣の宿泊費(200豪ドル≒約2万円)[55]の3倍以上だったこともあり、金額判明後に批判された。

この訪韓をめぐっては、インターネット上で抗議のリコール運動なども発生した[56][57]

朴に要請されて舛添が快諾した韓国学校の増設については、東京都は保育所や介護施設など福祉目的施設に優先的に用地を振り向ける方針であるため「いきなり『韓国のためだけに』と便宜を図るのは難しい」と難色を示しており[58]、聯合ニュースによる10月24日のインタビューに対し、舛添は「どういう土地が空いているかなど、今検討している」と説明している[59]

政治資金使途の公私混同と不信任案提出

2016年5月13日に、国会議員のときに家族と宿泊したホテルの部屋の料金を、政治資金で支払ったこと等について会見を開き、「旅行先ホテルで事務所関係者らと会議をした。家族で宿泊する部屋を利用し誤解を招いたので(支出分を)返金する」と弁明し、謝罪している[60][61]

舛添は、政治資金を含む自身の支出についての調査を元検事の弁護士2人に依頼し[62]、6月6日に公表した調査結果では、支出の一部が私的流用の疑いがあり不適切としながらも、「違法性はない」とされた[63]。舛添は知事続投を表明した[63]が、都議会では「せこい」「知事失格」などの批判がやまず[64]、6月13日までに自民党除く7会派が不信任案提出し、6月14日には自民党も不信任案を提出する方針を固める事態となった[65]

舛添は知事辞職を拒否し、不信任決議案の提出については9月までの延期を要望した[66][67]が、翌6月15日には「これ以上都政の停滞を長引かせることは私にとっても耐え難く、私が身を引くことが一番だと考えた。」[68]として辞職願を提出[67][69]し、同月21日付で都知事を辞職した[70][71]。舛添の都知事辞職は、ニューヨーク・タイムズも論評付きで報じた[72]




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注釈

  1. ^ 白老町を含む旧北海道4区(現在の北海道9区に該当)選出だった友人鳩山由紀夫から自民党道連を紹介された。
  2. ^ ただし、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(俗称:公安条例)に基づき、集会、集団行進及び集団示威運動をする場合には、各公安委員会に届出をする必要がある。これらの活動が届出を経て東京都内で行われているということは、これらの活動自体については、都知事、東京都公安委員会が許可していることを意味する。
  3. ^ 『母に襁褓をあてるとき――介護・闘いの日々』として後に中央公論社より刊行。

出典

  1. ^ a b 舛添氏の離党了承=新党改革 時事通信[リンク切れ]
  2. ^ 舛添 1997, p. 65.
  3. ^ 類い稀な男性的魅力を持つ舛添要一氏 結婚3回で子供は5人”. NEWSポストセブン. 小学館 (2014年1月15日). 2016年6月16日閲覧。
  4. ^ 舛添 1998, p. 95.
  5. ^ a b c 2014年(平成26年)2月11日東京都選挙管理委員会告示第9号「東京都知事選挙における当選人」
  6. ^ 2014年(平成26年)1月24日東京都選挙管理委員会告示第2号「東京都知事選挙における候補者の届出」
  7. ^ 舛添要一都知事がレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを受章
  8. ^ a b 舛添要一(ますぞえよういち)の公式サイト。 | プロフィール
  9. ^ 玉井史太郎『河伯洞往来』(創言社、2004年)32頁
  10. ^ 「舛添要一が恥ずかしい/自宅長屋が全焼で赤貧だったケチと虚言と異常の原点」(週刊新潮 2016年6月16日号)
  11. ^ 会誌/ つながり瓦版 関東誠鏡会 2014年
  12. ^ 元妻・片山さつき氏との恩讐も 周囲が明かす舛添新都知事の裏と表 週刊朝日 2014年2月28日号
  13. ^ 栗本慎一郎との共著『闘論 政治はこう動く』講談社、1994年。/ 現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』講談社、1992年。
  14. ^ 野末陳平、かつて応援した舛添都知事をメッタ斬り「茶番」「人望がない」「次の選挙はダメ」”. スポーツ報知 (2016年5月14日). 2016年6月13日閲覧。
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