舛添要一 舛添要一の概要

舛添要一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/25 13:51 UTC 版)

日本の旗 日本の政治家
舛添 要一
ますぞえ よういち
Masuzoe 210 Herman.jpg
舛添要一
生年月日 1948年11月29日(65歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県八幡市
(現:北九州市
出身校 東京大学
前職 国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員教授
現職 東京都知事
所属政党 自由民主党→)
改革クラブ→)
新党改革→)
無所属[1]
称号 法学士(東京大学・1971年
公式サイト ますぞえ要一 公式サイト

東京都の旗 第19代 東京都知事
当選回数 1回
任期 2014年2月11日 - 現職

日本の旗 第8-10代 厚生労働大臣
内閣 第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
福田康夫改造内閣
麻生内閣
任期 2007年8月27日 - 2009年9月16日

選挙区 比例区
当選回数 2回
任期 2001年7月29日 - 2013年7月28日
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参議院議員(2期)、参議院自由民主党政策審議会長厚生労働大臣(第8910代)、新党改革代表(第2代)などを歴任した。

略歴

来歴

生い立ち

福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)の長男として生まれた。4人の姉がいる。

父は戦前、鞍手で炭鉱を経営するなど様々な事業を手がけ、昭和5年の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった。戦争で零落したものの、要一の幼少時は青果店を経営し、比較的裕福な家庭に育ったが、小学2年の時の火災をきっかけに父が病臥(要一が中2の時に死去)、家業も傾き、以後は貧困の中で苦学した[3]

八幡市立祝町小学校(現 北九州市立祝町小学校)、同大蔵中学校福岡県立八幡高等学校を経て、東京大学へ入学。1971年6月に東京大学法学部第3類を卒業した。

政治学者

1971年7月、東京大学法学部助手に採用されヨーロッパ政治史を専攻した。東大では篠原一岡義達らの指導を受けたが、間もなく渡仏。蔵書資料や指導教官など東大の研究環境の悪さに辟易しての決断だったが、当時、助手の身分での留学は異例で始末書まで書かされた[4]日仏学院、グルノーブル大学にてフランス語研修を受けた後、パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員、国際研究大学院(HEI)研究員としてフランス外交史の研究を行った(主に戦間期フランスの安全保障政策の研究)。1979年に東京大学教養学部助教授に就任(政治学)。フランスを初めとする欧州の政治・外交安全保障に関する研究を専門とし、国際関係論などを講じていた。

1980年代末から『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』などの討論番組に頻繁に出演した。1989年6月に東京大学の体質を批判して退官し、舛添政治経済研究所を設立し独立する。独立後はバラエティ番組などにも活動の場を広げた。当時は冷戦終結や湾岸戦争などで流動化する国際情勢が注目され、また国内ではリクルート事件消費税導入などを経て55年体制が揺らぎ、やがて政界再編に突入、オウム真理教事件など社会を揺るがす事件も増える中で、内外の政治経済から始まって広く文化・社会問題に至るまで縦横に論じた。

1991年北海道知事選挙における自民党からの立候補が盛んに報じられ、本人も別荘を所有する白老町に住民票を移すなど出馬準備を進めたが(白老町を含む旧北海道4区<現在の北海道9区に該当>選出だった自身の友人・鳩山由紀夫から自民党道連を紹介された)、事前調査で革新系現職・横路孝弘との圧倒的な差を見て、出馬を辞退した。

以後も度々政界進出が噂されたが、後述の介護体験も一つのきっかけとなり、1999年東京都知事選挙に無所属で出馬。当初、出馬表明していた野末陳平は出馬を断念し、舛添を支援した。石原慎太郎の圧勝の前に3位で落選したが84万票を獲得した。

参議院議員

2001年7月、第19回参議院議員通常選挙比例区から自民党候補として立候補し、158万8862票を獲得しトップ当選を果たす。参議院議員として政策部会に多く出席し、委員会でも多く質問に立った。2005年、自民党が結党50年に発表した憲法草案においては、党新憲法起草委員会の事務局次長として草案作成の取りまとめに大きな役割を果たした。こうしたことが青木幹雄片山虎之助といった参院自民党幹部に評価され、2006年10月、安倍内閣発足に伴い当選1回ながら参院自民党の政策責任者である政策審議会長に就任した。議員の立場から垣間見た自民党の政策立案の現場、政と官の関わりなどを記した著書『永田町vs霞が関』を2007年に出版している。

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では、再選を目指し自民党公認で比例区より立候補、与党への逆風の中で票を減らしたが、467,735票を獲得して自民党トップで当選した。選挙前後を通じて、党参院執行部の1人でありながら安倍内閣の政権運営を厳しく批判してきたが、2007年8月27日の第1次安倍改造内閣において年金問題を始めとする多くの問題を抱える厚生労働大臣に任命され、安倍晋三が首相を辞任した後の2007年9月26日に発足した福田康夫内閣、さらに2008年9月24日に発足した麻生内閣においても続投した。

2009年第45回衆議院総選挙で自民党が歴史的な大惨敗を喫し、麻生内閣が総辞職したため、舛添は厚生労働大臣を退任した。その後、辞任した麻生に代わり谷垣禎一が新総裁に就任したが、舛添は総裁選の直後から執行部への批判を口にするようになり、たびたび離党・新党結成が取り沙汰された。舛添は自身の自民党離党をちらつかせたり、大阪府知事橋下徹宮崎県知事東国原英夫らとの連携を示唆するなど独断専行が目立ち、石破茂後藤田正純などから、党内の議論に加わらず、党執行部に物申す舛添を批判する声が上がった(後藤田は舛添を「オオカミ中年」と痛烈に批判している)[要出典]舛添に元々、参院政審会長の立場にありながら総裁である安倍を公然と批判するなど、テレビカメラの前で立場をかえりみないスタンドプレーが目立つ面があったのも事実である[独自研究?]

2010年4月22日、自民党に離党届を提出。矢野哲朗と共に改革クラブへの合流を表明し、入党する[5]。同年4月23日、改革クラブの党名を新党改革に変更し、同党の代表に就任した。就任会見においては、卓上の国旗を「邪魔なんでしょ、これ」と発言し撤去した。同年4月27日、自民党党紀委員会は、政党票で当選した比例選出議員であることや新党結党首謀者として他の自民党国会議員(矢野哲朗小池正勝)に対して新党結党のために自民党離党を促したことを反党行為として、賛成9票・反対3票で舛添に対して除名処分を下した[6]

2013年6月7日、同年7月の第23回参議院議員通常選挙に立候補せず、議員の任期満了とともに党代表も辞任する意向を表明した[7]。同年7月22日、新党改革代表を辞任[8]

東京都知事

2014年1月8日2014年東京都知事選挙に無所属で出馬することを表明する。同年1月10日には自民党東京都連が支援することを発表し[9]、同月15日には自民党本部で自民党幹事長石破茂と会談した[10]。自民党東京都連が舛添の推薦を決めたことを踏まえて、石破は「本部としてもしっかり支援していく」と述べた[11]。しかし、同年1月15日小泉進次郎が「一番苦しい時に『自民党の歴史的使命は終わった』と言って出て行った人だ。応援する大義はない」と述べたほか[12]、舛添の前妻である片山さつきも「舛添氏は障害を持つ婚外子に対する慰謝料扶養が不十分だ。解決されていない」と主張するなど[13]、一部の党所属議員からは支援に対して反発の声が上がった。

その後、連合東京、公明党東京都本部[14][15]新党改革[1]も支持を決める。一時、公明党幹事長の井上義久は「都本部から支援の要請があれば党本部としても支援したい」と政党を挙げての支援を示唆していた[16]民主党も当初は支援を検討していたが[17]細川護煕の支援に転じた[18]。 

東京新聞中日新聞)が同年1月10日から12日にかけて実施し、13日に発表した世論調査によると、次期都知事にふさわしい候補予定者として舛添を挙げる意見が最も多かった[19]

同年1月14日東京都庁舎で記者会見を開き、立候補を正式に表明。「私も(福島第一原子力発電所事故以来)脱原発を言い続けている」と述べ[20]細川護熙宇都宮健児鈴木達夫らと同様に脱原発を主張した。政策の3本柱として、「2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功」「首都直下地震などに向けた防災対策」「社会保障対策」を訴えた[21]。同年1月31日の記者会見では、「現在6%の再生エネルギーを20%にする」「東京を『特別経済特区』と位置付ける」「8000人の待機児童を4年間でゼロにする」と宣言した[22]。街頭演説では、「都政の課題はエネルギー政策だけでなく、待機児童、多摩の格差是正、教育、高齢者福祉など、やらなきゃならないことがたくさんある」「『原発なしでも電気はある』と言うが、廃炉予定だった火力発電所を慌てて稼働してなんとか凌いでいる。燃料の98%は輸入で、昨年は3.6兆円もかかった。1日100億円かけて国民の暮らしをなんとか守ってきたが、これでは続かない。依存度を下げていくことは政治家であればみんな考えているが、それは都政ではなく、国政で腰を据えてやることだ」と話したほか、若者への雇用対策、東京を国家戦略特区とする構想などを訴えた[23]

同年2月9日に選挙が執行された結果、211万2979票を獲得し東京都知事に当選[24]。同年2月11日に当選証書授与式が行われ[25]、翌12日には東京都庁舎へ初登庁して第19代東京都知事としての職務を開始した[26]

都市外交

2014年7月23日、韓国を訪問し、朴元淳ソウル市長と会談。東京とソウルの協力促進などを盛り込んだ合意書を締結した[27]。2014年7月25日、韓国の朴槿恵大統領にソウルの韓国大統領府に招かれて会談を行なった。この会談で舛添と朴は韓国人へのヘイトスピーチは許さないとの認識で一致した。[28]。また、翌日のソウル大学の講演でも、在日韓国人らに対する「ヘイトスピーチ」に厳しく対応していく考えを強調し、その際に「90%以上の東京都民は韓国が好き」といった発言も行った(読売新聞の調査で「韓国を信頼できない」は73%[29]週刊文春のアンケートでは「韓国が嫌い」は87.3%[30]となっている)[31][32]。ただし、韓国による日本人へのヘイトスピーチは「韓国は韓国のやることですから、われわれがどうこう言う話ではありません。」と容認している。[33]舛添は訪韓の成果について、「外交や安全保障は政府の専管事項だが、結果的に外交を補完、補強することができると感じた。一定の成果が挙がった」と都市外交の意義を強調し、朴槿恵大統領から託された「歴史認識をしっかりすることが親善の第一歩」のメッセージを菅義偉官房長官に報告すると述べた[34]が、菅官房長官は「(朴槿恵大統領のメッセージは)従来と同じ発言」として、特に関心を示さなかった[35]。また、この訪韓に対してはリコール運動などの抗議も発生した[36][37][疑問点 ]また、朴に要請され快諾した韓国学校の増設については、東京都は保育所や介護施設など福祉目的施設に優先的に用地を振り向ける方針であるため、「いきなり『韓国のためだけに』と便宜を図るのは難しい」と難色を示している[38]




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注釈

  1. ^ なお、フランス人女性の前にパリで知り合った日本人女性と結婚していたと報じられ、「結婚は3回ではなく、フランス人と結婚する前に、ヨーロッパで日本人の女性と結婚式をあげるというので(舛添は)案内を出していた、他の妹たちにも手紙がいっている」という長姉の証言が出たことがあるが、舛添自身は「入籍していない」と否定した[70]
  2. ^ 『母に襁褓をあてるとき――介護・闘いの日々』として後に中央公論社より刊行。
  3. ^ 長年母の面倒を見てきた長姉と舛添には介護で深い溝が生じ、現在は絶縁状態になっているという[77]

出典

  1. ^ a b 時事ドットコム:舛添氏の離党了承=新党改革
  2. ^ a b 舛添要一(ますぞえよういち)の公式サイト。 | プロフィール
  3. ^ 自身の来歴については『私の原点 そして誓い』第六章に詳しい
  4. ^ 栗本慎一郎との共著『闘論 政治はこう動く』(講談社、1994年)、現代新書編集部編『外国語をどう学んだか』(講談社、1992年)
  5. ^ 「『新党改革』旗揚げ――『必ず政界再編』」『讀賣新聞』48194号、14版、読売新聞東京本社2010年4月24日、1面。
  6. ^ “自民党が与謝野、舛添両氏を除名処分”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2010年4月27日). オリジナル2010年11月19日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20101119123418/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100427/stt1004271059004-n1.htm 2010年4月27日閲覧。 
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  8. ^ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130722/stt13072219250004-n1.htm
  9. ^ 自民都連、舛添氏支援を10日決定 日本経済新聞 2014年1月10日(2014年1月10日閲覧)
  10. ^ 東京新聞:舛添氏、石破氏に支援要請 自民若手「大義ない」:東京都知事選2014:特集・連載(TOKYO Web)
  11. ^ 時事ドットコム:都知事選「しっかり支援」=出馬の舛添氏と会談-石破自民幹事長
  12. ^ “進次郎氏、小泉元首相の細川氏支援に理解「そうだろうなと」”. 産経新聞. (2014年1月15日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140115/stt14011513430005-n1.htm 2014年1月15日閲覧。 
  13. ^ “【都知事選】片山氏、舛添氏支持依頼に難色「婚外子への慰謝料扶養が不十分」”. 産経新聞. (2014年1月19日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140119/plc14011917580011-n1.htm 2014年1月21日閲覧。 
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  15. ^ 【社会】「脱原発」争点に - 細川・舛添氏 出馬正式表明(主な立候補予定者の原発への考え方)”. 中日新聞東京新聞) (2014年1月14日). 2014年1月15日閲覧。
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  18. ^ 細川氏支援の都連方針了承=民主時事通信 2014年1月21日
  19. ^ 【社会】都民調査「投票行く」93% 都知事選 舛添氏、細川氏、宇都宮氏に支持 東京新聞中日新聞 2014年1月13日(2014年1月15日閲覧)
  20. ^ 舛添氏、都知事選出馬を正式表明「五輪成功させる」 朝日新聞 2014年1月14日15時33分(2014年1月14日閲覧)
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  81. ^ 日刊スポーツ』2007年7月23日


「舛添要一」の続きの解説一覧





固有名詞の分類

自由民主党の国会議員 長屋茂  土屋正忠  舛添要一  伊東良孝  斎藤十朗
知事選挙立候補経験者 松岡満寿男  松尾徹人  舛添要一  屋良朝助  秦野章
福岡県の政治家 古賀正浩  多賀谷真稔  舛添要一  鬼木勝利  遠藤宣彦
日本のタレント 青山真由子  時東ぁみ  舛添要一  ぬこ耳団  平本淳也
東京大学の教員 柴崎正勝  小島三郎  舛添要一  武邑光裕  飽戸弘
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政治学者 宮城大蔵  廣岡正久  舛添要一  青山弘之  牧原出
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