永守 重信
永守重信とは、日本電産株式会社の創業者である。わずか数十年で、日本電産をコンピュータのHDDを駆動させるスピンドルモーターの製造にかけては世界シェア70%を誇る巨大企業にのし上げた立役者として有名である。また常に前向きで積極的な考え方を説く、突出した独自の経営哲学の持ち主として有名である。1944年京都府生まれ。
職業訓練大学校を卒業した永守重信は、28歳のときに日本電産株式会社を設立した。しかし時代はオイルショックが世界を震撼させている最中で、まだ実績のない企業に受注は来ない。永守重信は海外に活路を開いた。単身アメリカに渡り、大口の契約を取ってみせる。海外での販路は拡大し、アメリカに続いてアジア、ヨーロッパでも販路を開拓した。1976年には米国日本電産の設立に至っている。
1980年代、ワープロやパソコンが急速に普及していく中、日本電産はHDD用モーターの生産拡大に専念した。国内外の大手HDDメーカーからの要求に迅速に対応して受注を獲得し。国内の工場設置で生産体制を拡充するとともに、シンガポール日本電産をはじめとしてタイ、台湾、 中国(大連)、ドイツに事業拠点を設けた。1988年、製造業としては未曾有の早さである創業15年目にして株式を公開、京都証券取引所に上場した。
さらに日本電産は、加速して行くPC関連機器の小型化への流れに迅速に対応するため、研究体制の強化を怠らず、市場における実力をいよいよ不動のものにしていった。同時にM Aによるグループの拡大にも本格的に着手し事業を拡大するとともに、精密加工技術や検査・計測技術といったモーター製造にかかわる技術を取り込み、シナジー効果を得ていった。1998年には東京証券取引所第1部への上場を果たしている。その3年後2001年にはニューヨーク証券取引所へ上場を果たし、名実ともに世界企業となった。Appleの「iPod」にも日本電産製のモーターが用いられている。
永守重信は、また経営再建の名手としてもその名を馳せる。この30年余りに、不振にあえぐ企業20社以上の再建を手掛け、それらすべてを見事再生させてみせるという不敗の実績を誇っている。その奥義は「情熱、熱意、執念」「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」という三大精神に集約される独自の経営哲学による、社内の徹底した内部治療にある。再生を手掛ける会社については自ら筆頭株主になり、足しげく現場の様子を調査に訪れては、ゲキを飛ばすという。
日本経済新聞が2004年1月に実施した「平成の名経営者ランキング」では、永守重信は市場関係者の投票結果で第1位の座を獲得している。永守重信は、現在最も勢いのある企業の経営者として、同じく現在最も勢いのある経営者として、各方面から注目されている。
(更新:2006年1月)
参照リンク
Webマガジン 永守重信(日本電産株式会社)
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