マッカートニー【Paul McCartney】
ポール・マッカートニー
(PAUL_McCARTNEY から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 11:44 UTC 版)
ジェイムズ・ポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney CH MBE、1942年6月18日 - )は、イギリス出身のミュージシャン、シンガーソングライター。ファーストネームはジェイムズであるが、父のファーストネームも同じくジェイムズであることからミドルネームであるポールを用いている[注釈 1]。
注釈
- ^ 労働者階級では自分のファースト・ネームを長男に付けることが慣習のため。身内に同じ名前の人がいる場合、識別するためにミドル・ネームを主に用いるのはよくあることである。因みにポールの長男であるジェイムズ・ルイーズ・マッカートニーもファーストネームは祖父・父と同じジェイムズであるが、父・ポールのようにミドルネームではなくファーストネームの(ジェイムズ)で呼ばれることが多い。
- ^ 他に「ゴールドディスクの最多保持者」「最多レコード売り上げミュージシャン」としても認定されている。
- ^ 後年『リヴァプール・オラトリオ』のような大作も手掛けたが、実際の譜面作りやオーケストレーションはマーティンに依存していたとされている。
- ^ シュープリームスの「恋はあせらず」ほか多数の名演で知られている。
- ^ 1968年に行われたイノック・パウエルの「血の川」演説に反発していた。
- ^ ソロ・アルバム『マッカートニー』の発売前に配付された、マッカートニー自身が用意した「ポールとの一問一答」というプレス用資料の中に「ソロキャリアのスタート」「今後ビートルズのメンバーと作曲することはない」というマッカートニーの発言があったことに基づいた記事である。
- ^ レノンは1969年9月に行われたアップル本社での会議でグループ脱退を宣言していたが、レコード会社との契約更新に悪影響があることを恐れたアラン・クレインの説得で秘密にされていた。
- ^ 元々ヴァルトハイムはビートルズに再結成公演を行うよう要請していた。レノンを除く3人は「再結成ということでなければ」という条件で出演を承諾していたが、メディアの注目を集めたため白紙に戻ってしまい、代わりにウイングスが参加することになった[10] 。
- ^ ウイングスは、翌1981年4月のデニー・レインの脱退により事実上の解散を迎えた。
- ^ 一方で1987年には元ビートルズのメンバー、ジョージ・ハリスンが「セット・オン・ユー」で久々にビルボード1位を獲得していた。
- ^ 同社の最初のアーティスト契約はマッカートニーであった[12]。
- ^ 日本での発売元も東芝EMIからユニバーサル・ミュージックに変わった。
- ^ 「ONE ON ONE JAPAN TOUR 2017」と題し、2017年4月25日(火)の日本武道館と、4月27日・29日・30日の東京ドーム公演を行った[31]
- ^ MPLコミュニケイションズが1978年に取得した「ラヴ・ミー・ドゥ」「P.S.アイ・ラヴ・ユー」の2曲と、ユニバーサル・ミュージックが所有する「プリーズ・プリーズ・ミー」と「アスク・ミー・ホワイ」の2曲を除く。
- ^ アメリカで1976年に制定された著作権法には、楽曲の原作者が一度手放した著作権を35年後に取り戻せるという規定があり、1978年以前に制作された楽曲の著作権が原作者に返還されるのは56年後と定められている。マッカートニーは「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューした1962年から2018年で56年になることを受けてこの訴訟を起こした[32]。
- ^ なお後年、この事件については不起訴処分(起訴猶予)で入国許可取り消しとなったため「入国歴なし」との扱いだった事が明らかになった。
- ^ 札幌、仙台、新潟、名古屋、大阪、高松、松山、広島、福岡、熊本の全10都市[47]。
- ^ ビートルズの元メンバーではリンゴ・スターが1989年と1995年に武道館公演を行っている。
- ^ 「ヤング・ボーイ」「ザ・ワールド・トゥナイト」「ビューティフル・ナイト」のCDシングル各2種、合計6種に「Part 1」〜「Part 6」と題されたダイジェスト版が収録された。
- ^ ホースシュー・ピックアップのコバルト磁石が磁力を失っていたため、ストックのピックアップのコイルを増し巻きしたものに交換。オリジナルのブリッジが変形してきしみ音を出すようになっていたため交換。さらにフレットとナットも(ナットは牛骨製に)交換。マッカートニーが実際にリッケンバッカー社に依頼した修理内容は音の出なくなったホースシュー・ピックアップの修理のみだったが、担当修理スタッフの「たくさんのラヴとケア」によりその他の修理もなされたと、当時の修理スタッフは語っている。
- ^ 家庭を重視するマッカートニーと、地雷撲滅運動で世界を飛び回り家を空けることの多かったミルズとの関係にはすれ違いが生じた。その上、夫である彼の仕事に口を出して周囲のスタッフとトラブルを引き起こすミルズとの間には、次第に口論が頻発するようになったともいう。
- ^ ミルズはマッカートニーの子供たちとの関係もうまくいかず、マッカートニーは再婚に反対する子供たちと衝突して一時期は疎遠になったという。
- ^ ロンドンの裁判所は2008年3月17日における判決で総額2430万ポンド(約47億円)をミルズに支払うよう命じたと発表した。
- ^ 「ミルズは慰謝料5450万ドル(約50億円)で不動産の購入・豪勢な海外旅行・寄付活動を行ない、2年足らずで全て遣い切った」と報道される。
- ^ 同年5月、ニューヨークポスト紙の報道により、婚約者であるナンシーにカルティエの5カラットダイヤモンドの指輪を贈ったことがわかった。この指輪は1925年のビンテージもので値段は65万ドル(日本円で約5,200万円)だという。婚約者であるナンシーはインタビューで「プロポーズの場所はカリフォルニア州。突然でした。彼が贈ってくれた5カラットの指輪にぞくぞくしました」と述べている。
- ^ 個人からの懸賞は受け付けていないため、名義としてはイベント興行会社のキョードー東京のものである。
出典
- ^ “Fim dos Beatles foi anunciado por Paul McCartney há 50 anos”. Correio do Povo (Grupo Record). (2020年4月10日) 2020年12月17日閲覧。
- ^ Spizer, Bruce (2005). The Beatles Solo on Apple Records. New Orleans, LA: 498 Productions. p. 116. ISBN 0-9662649-5-9
- ^ Doyle, Patrick (2020年11月13日). “Musicians on Musicians: Taylor Swift & Paul McCartney” (英語). Rolling Stone. 2020年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Erlewine, Stephen Thomas. “Paul McCartney | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2020年12月17日閲覧。
- ^ フィリップ・ノーマン、石垣憲一、竹田純子、中川泉(翻訳)『ポール・マッカートニー ザ・ライフ』カドカワ、2017年2月、95頁。ISBN 978-4041043196。
- ^ a b 【スペシャルインタビュー】ポール・マッカートニー『ビッグイシュー日本版』第372号(2019年12月1日)4-6頁、2020年1月3日閲覧
- ^ “The Beatles Racist Version of “Get Back” aka “No Pakistanis””. FeelNumb.com (2009年7月26日). 2020年7月14日閲覧。
- ^ 「ポール・マッカートニー ザ・ライフ」フィリップ・ノーマン著
- ^ “Yesterday: When the ‘Beatles typhoon’ hit Japan”. The Japan Times 2019年6月29日閲覧。
- ^ “ブリティッシュ・ロックが一堂に会したカンボジア難民救済” (スペイン語). TAP the POP. (2015年8月4日) 2022年4月25日閲覧。
- ^ “今から38年前の今日1980年1月16日、ウイングス初の日本公演ツアーのため成田に到着したポール・マッカートニーが税関で逮捕される”. ニッポン放送 NEWS ONLINE (2018年1月16日). 2019年2月25日閲覧。
- ^ “米スターバックスの音楽レーベル、P・マッカートニーと契約”. REUTERS (2007年4月27日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “Hear Music”. Concord Music Group. 2022年5月22日閲覧。
- ^ “McCartney joins Starbucks label”. BBC News. (2007年3月22日) 2022年5月22日閲覧。
- ^ 『ポール・マッカートニー、「ヒア・ミュージック」レーベル移籍第一弾! 『追憶の彼方に ~ メモリー・オールモスト・フル』 いよいよ6月6日(水)待望の国内盤発売 ~ 6月5日、世界中のスターバックス コーヒー店舗でBGMとして使用 ~』(プレスリリース)UNIVERSAL MUSIC JAPAN、2007年6月5日 。2022年5月22日閲覧。
- ^ “Paul McCartney cuts ties with EMI”. The Guardian (2010年4月22日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “P・マッカートニー氏に第3回ガーシュイン賞、ホワイトハウスで大歓迎”. AFPBB News (2010年6月3日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “P・マッカートニー作品をクラウドでライブラリー化、HPとコラボ”. MODE PRESS (2010年9月23日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “Paul McCartney: Ocean's Kingdom”. paulmcartney.com (2011年10月2日). 2014年5月13日時点のcom/albums/oceans-kingdom オリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
- ^ uk/news/uk-15230730 “Sir Paul McCartney marrying for the third time”. BBC News. (2011年10月9日). uk/news/uk-15230730 オリジナルの2012年4月1日時点におけるアーカイブ。 2022年5月22日閲覧。
- ^ “And The GRAMMY Went To ... Paul McCartney”. GRAMMY.com (2013年3月4日). 2014年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月14日閲覧。
- ^ Paul McCartney - Hollywood Walk of Fame
- ^ “英エリザベス女王即位60周年祝賀コンサートにポール・マッカートニー、エルトン・ジョンにスティーヴィー・ワンダーら豪華スター競演、今年最高の全英最高瞬間視聴者数記録”. Voice 洋楽 (2012年6月5日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “ロンドン・オリンピック開会式、英国流のシニカルな選曲も”. Billboard Japan (2012年7月30日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、ロンドン・オリンピック開幕式典の"ヘイ・ジュード"での致命的なミスを認める”. rockinon.com (2012年12月10日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “Update: Paul McCartney to Front Nirvana Reunion at 12-12-12 Concert” (2012年12月12日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、「アウト・ゼアーツアー」を再開”. rockinon.com (2014年7月7日). 2014年7月10日閲覧。
- ^ “ポール・マッカーニー、キャピトル・レコードと再契約”. BARKS. (2016年8月18日) 2016年8月24日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニーがキャピトル・レコードとレコーディング契約を締結”. amass (2016年8月18日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、紅白歌合戦へのサプライズ出演で「2017年、日本に行く」と発言”. NME Japan (2016年12月31日). 2022年5月22日閲覧。
- ^ ワン・オン・ワン ジャパン・ツアー2017
- ^ a b "P・マッカートニー、ビートルズ著作権訴訟でソニーATVと和解". AFPBB News. クリエイティヴ・リンク. 4 July 2017. 2022年4月9日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、ビートルズの楽曲の権利をめぐってソニーと和解”. NME Japan. (2017年7月3日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニーの“海賊姿”初披露!「パイレーツ・オブ・カリビアン」最新作に参戦”. 映画.com (株式会社エイガ・ドット・コム). (2017年6月27日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “Paul McCartney at the Cavern Club”. 2022年5月22日閲覧。
- ^ “Paul McCartney Setlist at Cavern Club, Liverpool”. setlist.fm. 2022年5月22日閲覧。
- ^ “全米アルバム・チャート、ポール・マッカートニーが36年ぶりの1位”. BARKS. (2018年9月17日) 2022年5月22日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、羽田空港に到着”. BARKS. (2018年10月29日) 2022年5月22日閲覧。
- ^ “全英アルバム・チャート、ポール・マッカートニーが新作で31年ぶりの1位”. BARKS (2020年12月26日). 2020年12月28日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、新ツアー<GOT BACK>の開催を告知”. BARKS (2022年2月19日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “【グラストンベリー2022】ポール・マッカートニー/ケンドリック・ラマーがヘッドライナーに決定”. billboard JAPAN (2022年3月7日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “ポール、キツネ狩りに代わる新たな方法を提案”. BEA-MAIL ビートリー・ライフを送るための電子メールマガジン 2000年4月21日号(創刊準備5号). 2012年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月14日閲覧。
- ^ “イギリス:マッカートニー中国に激怒@BBC”. 今日の覚書、集めてみました (2005年11月28日). 2006年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月14日閲覧。
- ^ “マッカートニー夫妻、アザラシを抱いて侵害罪?”. BARKS. (2006年3月8日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ a b ビートルズ・シネ・クラブ会報誌1990年4月・5月合併号「ポール・マッカートニー日本公演全記録」P20-24
- ^ CROSSBEAT Special Edition ポール・マッカートニー (シンコー・ミュージックMOOK)
- ^ ビートルズ・シネ・クラブ会報誌1990年4月・5月合併号「ポール・マッカートニー日本公演全記録」P24,25
- ^ Out There! japan tour キョードー東京新聞
- ^ “ポール 71歳東京ドーム公演最年長 福島に捧げる「YESTERDAY」”. 中日スポーツ. (2013年11月19日). オリジナルの2013年11月22日時点におけるアーカイブ。 2020年7月14日閲覧。
- ^ a b コンサート公式サイト
- ^ “A Statement From Japan”. PaulMcCartney.com (2014年5月22日). 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポールは日本で“緊急手術”を受けていた!…病名は腸閉塞”. 日刊ゲンダイDIGITAL (株式会社日刊現代). (2014年5月27日). オリジナルの2014年5月31日時点におけるアーカイブ。 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール“極秘離日” 腸捻転の手術していた 再来日公演は実現に向け協議中”. MSN産経ニュース. (2014年5月28日). オリジナルの2014年5月28日時点におけるアーカイブ。 2020年7月14日閲覧。
- ^ 湯川れい子 [@yukawareiko] (2014年5月28日). "一部のスポーツ紙や週刊誌に、ポールの病名などが出たために、私にもお問い合わせが増えていますが、ポール・サイドからの正式発表ではありません。色々と守秘義務があり、今の段階では私もお話出来ません。いずれにしても、ポールは元気を取り戻して、次のライブに備えているそうですからでご安心を!". X(旧Twitter)より2020年7月14日閲覧。
- ^ “Macca gives thumbs up after being hit with mystery virus”. The Sun. オリジナルの2014年5月28日時点におけるアーカイブ。 2020年7月14日閲覧。
- ^ アウト・ゼアー ジャパン・ツアー2015
- ^ “ポール、49年ぶり武道館に興奮「ヒサシブリ!」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2015年4月29日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、韓国公演終了…観客の熱狂的な反応に「ファンタスティック!」と感激”. Kstyle. (2015年5月3日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール来日、羽田にファン700人 2年ぶり単独公演”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2017年4月23日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “「コンバンハ ブドウカン!」ポール、来日ツアー始まる”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2017年4月25日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、羽田空港に到着”. BARKS. (2018年10月29日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ Miles, Barry (1998). Many Years From Now. Vintage/Random House. ISBN 0-7493-8658-4
- ^ “Oobu Joobu - Ecology”. jpgr.co.uk. 2020年12月26日閲覧。
- ^ Paul McCartney – Oobu Joobu – Widescreen Radio – Ecology (CD) at Discogs
- ^ “51年ぶりの再会。1972年に盗まれたポール・マッカートニーのベースが本人の元へ戻る”. huffpost (2024年2月16日). 2024年2月17日閲覧。
- ^ 淡路和子「リンダ・マッカートニー」『ポール・マッカートニー 世紀を超えた音楽家』河出書房新社、2001年6月30日。74-75頁。
- ^ “50億円を2年足らずで使い切った豪傑美女”. ゆかしメディア (2010年2月23日). 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、婚約指輪は約5,200万円、カルティエの5カラットダイヤモンド 結婚式も行う予定”. シネマトゥデイ. (2011年5月10日) 2020年1月3日閲覧。
- ^ “ポール懸賞 九州場所きょう結び日馬取組”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年11月21日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “懸賞金は特例…国技をも動かしたポール旋風”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2013年11月21日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール懸賞旗写真に大喜びし帰国の途”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年11月23日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー氏、米国議会図書館によるガーシュウィン賞を受賞”. カレントアウェアネス・ポータル. 国立国会図書館 (2010年6月3日). 2021年10月24日閲覧。
- ^ “Glittering Tributes for Winners of Kennedy Center Honors”. The New York Times. (2010年12月5日) 2021年10月24日閲覧。
- ^ “Paul McCartney awarded French Legion of Honor”. (2012年9月8日) 2021年10月24日閲覧。
- ^ “ポール・マッカートニー、英女王より名誉勲章を授与”. BARKS. (2018年5月5日) 2021年10月24日閲覧。
- ^ “サセックス大学名誉学位委員会名誉卒業生一覧”. (2018年5月5日) 2021年10月24日閲覧。
- ^ “Yale gives Paul McCartney honorary music degree”. (2008年5月26日) 2021年10月24日閲覧。
- ^ “Paul McCartney finally gets Walk of Fame star”. (2012年2月10日) 2021年10月24日閲覧。
- ^ “(4148) McCartney = 1935 EH = 1952 HT1 = 1983 NT = 1984 YM1”. MPC. 2021年10月5日閲覧。
「Paul McCartney」の例文・使い方・用例・文例
- PAUL_McCARTNEYのページへのリンク