ビートルズ解散後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 14:10 UTC 版)
「マル・エヴァンズ」の記事における「ビートルズ解散後」の解説
1968年にエヴァンズは、まだ「アイヴィーズ」(The Iveys)と名乗っていたバッドフィンガーの演奏を見て、アップルが彼らと契約することを提案した。1969 年と1970年には、エヴァンズ自身が彼らの曲を何曲かプロデュースしており、中でも有名な『嵐の恋』は1970年12月にビルボードの10位にランクインした。エヴァンズはまた二人組のバンド、 スプリンター(英語版)も発掘してアップルに紹介したが、後に彼らはジョージ・ハリスンが設立したレコード・レーベル、ダークホース・レコーズ(英語版)に移籍した。他にエヴァンズがプロデューサーとしてクレジットされているものには、ジャッキー・ロマックス(英語版)の1969年のアップル・レーベルのシングル『ニュー・デイ』(New Day)や、キース・ムーン唯一のソロアルバム『ツー・サイズ・オブ・ザ・ムーン(英語版)』(1975年)に収録されている数曲がある。 エヴァンズは1973年に妻と離婚し、レノンが一時的に妻ヨーコと別れて助手のメイ・パンと暮らしていたロスアンゼルスに移住した。エヴァンズはハリスンのアルバム『オール・シングス・マスト・パス』と、レノンのアルバム『ジョンの魂』で、「お茶と共感の提供」とそれぞれクレジットされている。エヴァンズはまた、ハリスンと楽曲、『ユー・アンド・ミー(英語版)』を共作し、リンゴ・スターの1973年のソロアルバム『リンゴ』で発表された。また、スプリンターの楽曲『ロンリー・マン』(Lonely Man)も共作し、アップルでハリスンが製作したミュージカル映画『リトル・マルコム(英語版)』の劇中曲の中の目玉となった。 この頃エヴァンズは、ロックバンドのナチュラル・ガスのプロデュースを依頼されたほか、回顧録『ビートルズ伝説を生きて』(Living The Beatles' Legend)の執筆作業にも取り掛かっていた。回顧録の原稿は出版元のグロセット・アンド・ダンラップ(英語版)へ、1976年1月12日に届けられることになっていた。エヴァンズは既に新しい恋人フラン・ヒューズ(Fran Hughes)と、間借りしたロスアンゼルスのモーテルで同居していたが、クリスマス前に妻と離婚したことで意気消沈していた。
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