ハートブレイク・ホテルとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 音楽作品 > 楽曲 > エルヴィス・プレスリーの楽曲 > ハートブレイク・ホテルの意味・解説 

ハートブレイクホテル

作者T.コラゲッサン・ボイル

収載図書ごちゃまぜ
出版社角川書店
刊行年月1992.9


ハート・ブレイク・ホテル

作者喜多嶋隆

収載図書歴史ショートショート劇場
出版社新人物往来社
刊行年月1991.9


ハートブレイク・ホテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 07:58 UTC 版)

「ハートブレイク・ホテル」
エルヴィス・プレスリーシングル
A面 ハートブレイク・ホテル
B面 アイ・ワズ・ザ・ワン
リリース
規格 シングル
録音 1956年1月10日 ナッシュビル
ジャンル ロックンロール
時間
レーベル RCAレコード
作詞・作曲 メイ・ボーレン・アクストン、トーマス・ダーデン、エルヴィス・プレスリー
プロデュース スティーヴ・ショールズ
チャート最高順位
1位(US)
エルヴィス・プレスリー シングル 年表
ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス
(1955年)
ハートブレイク・ホテル
(1956年)
マイ・ベイビー・レフト・ミー
(1956年)
ミュージックビデオ
「Heartbreak Hotel」 - YouTube
テンプレートを表示

ハートブレイク・ホテル」(Heartbreak Hotel)は、エルヴィス・プレスリー1956年に発表したシングル。RCAレコードへの移籍第一弾シングルで、エルヴィスにとって初のビルボード・チャート1位獲得曲となった。後のビートルズなど、多くのミュージシャンに絶大な影響を与える曲となった。

制作の経緯

新聞記事に載っていた、自殺した人物の遺書「I walk a lonely street」を元に歌詞が作られたと言われる[1]。作曲者のメイ・アクストンは「誰にでも気にかけてくれる人がいるものよ。このロンリーストリートにハートブレイク・ホテルを建てましょう」と言い、トミー・ダーデンと共に曲を書き上げたが、レコーディングでエルヴィスが加えた斬新なアレンジによって全く別の曲のようになったという。

1956年1月10日、エルヴィスはRCAレコード移籍後としては初のレコーディング・セッションを行い、この曲と「アイ・ガット・ア・ウーマン」「マネー・ハニー」を録音。スコティ・ムーアギター)、ビル・ブラックベース)といった以前からのサポート・メンバーに、ピアニストとドラマーも加えた編成で録音され、「ハートブレイク・ホテル」にはカントリー・ギタリストのチェット・アトキンスも参加している[2]。1月11日には、シングルB面曲「アイ・ワズ・ザ・ワン」を録音。

当時の流行歌とは違い歌詞が暗く楽器も必要最低限で派手な要素が何もなかったと思われていたが、ヒットを確信したエルヴィスはこの曲をデビューシングルに選んだ。RCAのスティーヴ・ショールズはエルヴィスの選曲を信じるしかなく、サム・フィリップスもこの選曲には驚いていた[3]

RCAの音響スタッフはサン・レコードのような残響を出す方法を知らなかった。サン・レコードではディレイをかけていただけだったが、RCAはエコー・チェンバーでリバーブ録音し、サン・レコード時代とは似ても似つかない音になった。

大ヒット

1956年1月27日、シングルA面として発表。4日後にはRCAレコードからの第一弾アルバムとなる『エルヴィス・プレスリー登場!』のレコーディングも終了するが、この曲はアルバムには収録されなかった(1999年のリマスターCDで、ボーナス・トラックとして追加される)。RCA側は、「ハートブレイク・ホテル」がヒットする確率は低いと考えていたようだが[4]、2月11日、プレスリーはトミー・ドーシーとジミー・ドーシーがホストを務めるテレビ番組『Stage Show』に出演してこの曲を演奏し[1]、反響を呼ぶ。結果的には、「ビルボード」誌のチャートで7週間に渡って1位を獲得。同年の年間シングル・チャートでも1位となった。 ハートブレイクホテルの売り上げは200万枚を突破し初のゴールドレコードを獲得し、この大ヒットにRCAはレコードの生産に他の会社の工場を使うほどだった。[5]

この曲でプレスリーは全米での人気を確立し、全米トップ10に36曲をランク・インさせるという記録の樹立(2008年マドンナに抜かれるまでは歴代1位だった[6])につながっていく。

2004年に『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では45位となった(プレスリーの楽曲としては「ハウンド・ドッグ」に次ぐ)[7]。また、2005年にイギリスの音楽雑誌「アンカット」が企画した「世界を変えた」曲、映画、テレビドラマを選ぶ特集では2位となった。

ロックンロールの発生としての地位

ロックンロール自体は形としては以前にも存在していたが、世界的にロックというものに興味を生じさせ、影響を与えた曲として知られている。この曲によってデビューしたエルヴィスによって、本格的に若者文化としてのロックンロールが確立された。

U2ボノは次のように語っている。

エルヴィス・プレスリーはロックンロールのビッグバンみたいなものだ。

エルヴィスにはふたつの文化が混ざり合うという、面白い瞬間があるからだ。

つまり、白人音楽のメロディやコード進行というヨーロッパ文化と、黒人音楽のリズムというアフリカ文化とが出会って、全部一緒になって、エルヴィスにあのような体の動きをさせた。

それがビッグバンの瞬間だ。そういういろんなことがあって、そこからビートルズやローリング・ストーンズが生まれた。

でも、そのことを軽く見ちゃいけない。そしてすべての原点は、エルヴィスにある。[8]

ビートルズへの影響

ローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンなど、多くのミュージシャンに影響を与えたが、特に代表的なのがビートルズの4人であろう。発売当時15歳だったジョン・レノンは、ラジオでこの初めて聴くタイプの音楽=ロックンロールに衝撃を受け、次の日にレコード店へと走り、「ハートブレイク・ホテル」を購入、彼が初めて買ったレコードでもあった。後にジョンは、「あれ以降世界が変わってしまったんだ。エルヴィスは僕の人生を変えてしまった」「僕はエルヴィスを聴くまで、本当の意味で誰からも影響を受けたことはなかった。エルヴィスがいなかったらビートルズは誕生していなかっただろう」と語っている。

ジャクソンズの同名曲問題

ジャクソンズ1980年に同名のシングルを発表したが、楽曲としては全くの無関係。ジャクソンズは後に同曲を「This Place Hotel」へと改名している。作者マイケル・ジャクソンは1988年の自叙伝で「このタイトルは自分で考え付いたものであり、この曲を書いたとき、僕は他のどのアーティストのことも考えなかった」とし、レコード会社が強制的に曲名を改名したことについて「エルヴィスは人種に関係なく音楽業界に重要なアーティストだが、影響を受けたわけではない」と結んだ[9]

カヴァー

その他

  • B面の「アイ・ワズ・ザ・ワン」には、かつて「ただひとりの男」という邦題がついていたが、歌詞の文脈からすれば誤訳[2]

脚注

  1. ^ a b c allmusic.com
  2. ^ a b 『エルヴィス・プレスリー登場!』日本盤CDライナーノーツ(萩原健太、2005年)
  3. ^ DVD クラシックアルバムズ:エルヴィス・プレスリー
  4. ^ 『エルヴィス・プレスリー登場!』アメリカ盤リマスターCDライナーノーツ(コリン・エスコット、日本盤での対訳は前田絢子)
  5. ^ DVD エルヴィス56
  6. ^ Billboard.com-News
  7. ^ Rollingstone.com/News
  8. ^ エルヴィス・プレスリー―総特集 (KAWADE夢ムック) 130-131P
  9. ^ Like Elvis, Jackson was a ‘King’ who died young”. Today (2009年6月26日). 2024年12月13日閲覧。
  10. ^ Who.ne.jp - J-POP史変遷 - ロカビリー
  11. ^ CDjournal.com-ニュース(2004年11月30日)
  12. ^ 柳ジョージ / ラヴィン・カップ[廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2022年4月29日閲覧。

ハートブレイクホテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/10 16:00 UTC 版)

ハートブレイクホテル
Heartbreak Hotel
監督 クリス・コロンバス
脚本 クリス・コロンバス
製作 デブラヒル
リンダ・オブスト
出演者 デヴィッド・キース
チューズデイ・ウェルド
チャーリー・シュラッター
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
撮影 スティーブ・ドブソン
編集 ラジャ・ゴズネル
製作会社 タッチストーン・ピクチャーズ
シルバー・スクリーン・パートナーズ III英語版
配給 ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ
公開 1988年9月30日
上映時間 97分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 1,300万ドル
興行収入 550万ドル
テンプレートを表示

ハートブレイクホテル (原題:Heartbreak Hotel) クリス・コロンバスが脚本・監督を務め、デヴィッド・キースとチューズデイ・ウェルドが主演する1988年のアメリカ合衆国のコメディ映画である。1972年を舞台に、エルヴィス・プレスリーにまつわる数々の「伝説」のうち、架空の誘拐事件と、その後の退廃からの贖罪を扱った物語である。テキサス州オースティンにある、ジョン・ヘンリー・フォーク英語版の旧邸宅「グリーン・パスチャーズ英語版」でロケが行われた。

ストーリー

1972年、シングルマザーと2人の子供(10代の息子と9歳の娘)が下宿を営んでいるところから物語は始まる。ある日、母親が交通事故で怪我をし入院してしまう。そんな母親への誕生日プレゼントとして、息子と息子が入っているバンドは、母の大好きな歌手 エルヴィス・プレスリーを誘拐するために、母のピンク・キャデラックオハイオ州クリーブランドまで運転する。すると彼はエルヴィスの母親によく似た地元のピザ屋の店主にエルヴィスの母の幽霊のふりをして気を紛らわせエルヴィスにクロロホルムを飲ませる。エルヴィスは下宿先で目を覚ますが、彼と少年は最初うまくいかなかった。少年はエルヴィスを見下し、ベガスに売られたと非難する。しかし、少年とエルヴィスは互いに分かり合い友人となる。エルヴィスは、高校のタレントショーで少年のバンドと「ハートブレイク・ホテル」を演奏しこの物語は幕を閉じる。

評価

この映画は賛否両論ある評価を受け、現在は13のレビューに基づきRotten Tomatoesで38%の評価を得ている。[1]

ニューヨーク・タイムズジャネット・マスリンは、「『ベビーシッター・アドベンチャー』を監督し、『グレムリン』や『グーニーズ』などの脚本を手がけたコロンバス氏は、このアイデアをうまく設定したが、どこでやめるべきか見当もつかなかった」と述べている。ジョニー、彼の母、マリー、そしてエルヴィス自身にさえも、自己改善の奇跡的な偉業をもたらそうとするとのこと。

一方、ワシントン・ポストのリタ・ケンプリー記者は、「こんなフルーティな脚本なら、オーバーアクションやキャスト選びのミス(ジェイ・レノなら完璧だっただろうが)なんかどうでもいいじゃないか」と書いた。エルヴィスを演じるのは、ケネディを演じるようなものでほとんど不可能だ。とした。

音楽

映画に含まれる曲のほとんどは映画が架空のものであるにもかかわらず実際のエルヴィス・プレスリーの録音であり、デヴィッド・キースとチャーリー・シュラッターが1968年のテレビ特別録音のスタイルでタイトルトラックを演奏している。

参考文献

  1. ^ Heartbreak Hotel”. Rotten Tomatoes. 2023年4月11日閲覧。

外部リンク


「ハートブレイク・ホテル」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ハートブレイク・ホテル」の関連用語

ハートブレイク・ホテルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ハートブレイク・ホテルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハートブレイク・ホテル (改訂履歴)、ハートブレイクホテル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS