カンサス・シティ_(曲)とは? わかりやすく解説

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カンサス・シティ (曲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 09:33 UTC 版)

リトル・リチャード > カンサス・シティ (曲)
ウィルバート・ハリスン > カンサス・シティ (曲)
ビートルズ > 作品リスト > カンサス・シティ (曲)
ビートルズ > 曲名リスト > カンサス・シティ (曲)
ジェームズ・ブラウン > カンサス・シティ (曲)
「K.C.ラヴィング」
リトル・ウィリー・リトルフィールド英語版シングル
B面 プリーディング・アット・ミッドナイト
リリース
録音
  • 1952年8月12日
  • ロサンゼルス
ジャンル R&B[1]
時間
レーベル フェデラル・レコード英語版
作詞・作曲 ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー
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カンサス・シティ」(Kansas City)は、1952年にジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによって書かれた楽曲である。同年にリトル・ウィリー・リトルフィールド英語版によって録音された後、1959年にウィルバート・ハリスンによるカバー・バージョンが発売され、シングルチャートで第1位を獲得した。本作は、「リーバーとストーラーの最も多く録音された曲の1つで、300以上のバージョンが存在する」とされており[2]、R&Bやポップスのレコード・チャートにも度々登場している。

原曲

「カンサス・シティ」は、ロサンゼルスに住む19歳のR&Bを好むジェリー・リーバーマイク・ストーラーの2人によって書かれた楽曲。2人ともカンザスシティを訪れたことはなかったが、ビッグ・ジョー・ターナーのレコードに触発されて本作を書いた[3]

プロデューサーのラルフ・バス英語版とのつながりで、2人は西海岸のR&B歌手であるリトル・ウィリー・リトルフィールド英語版のために「カンサス・シティ」を書き下ろした[2]。曲のメロディーをめぐって、当初伝統的なブルースを好んでいたリーバーと、個性的なボーカルラインを望んでいたストーラーとの間で意見の相違があったが、最終的にストーラーの意見が通った[2]。アレンジはマックスウェル・デイヴィスが手がけており、デイヴィスはテナー・サックスの演奏も担当している[2]。リトルフィールドは、1952年にロサンゼルスで本作のレコーディングを行なった。その後バスによって、タイトルを「K.C.ラヴィング」(K.C. Loving)に変更された[4]。同年にフィデラル・レコードからシングル盤として発売されたが、シングルチャート入りすることはなかった[5]

リトル・リチャードによるカバー

1955年にリトル・リチャードは、2つのバージョンの「カンサス・シティ」を録音しており、いずれも数年後に発売された[6]。1つ目のバージョンは原曲に近いアレンジで、1970年11月に発売されたコンピレーション・アルバム『Well Alright!』に収録された。2つ目のバージョンはリチャードによって大幅に作り直されたアレンジで、「Hey, hey, hey, hey; Hey baby, hey child, hey now」というフレーズから始まるリフレインが強調されている。このアレンジは、1958年末に発売されたアルバム『ザ・ファビュラス・リトル・リチャード英語版』に収録され、1959年4月にシングル盤として発売された[7]。シングル盤は、全英シングルチャートで最高位26位を獲得した[8]

1956年5月9日にリチャードは、6か月前に録音した「カンサス・シティ」の第2バージョンの一部分と似た「ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」のレコーディングを行なった。同作は1958年1月にシングル盤『グッド・ゴーリー・ミス・モリー英語版』のB面曲として発売され、同年7月に発売されたアルバム『リトル・リチャード英語版』に収録された[7]

ウィルバート・ハリスンによるカバー

「カンサス・シティ」
ウィルバート・ハリスンシングル
B面 リスン・マイ・ダーリン
リリース
規格 7インチシングル
録音
ジャンル
時間
レーベル フューリー英語版
作詞・作曲 ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー
プロデュース ボビー・ロビンソン
チャート最高順位
後述を参照
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リトルフィールドの「K.C.ラヴィング」を数年にわたって演奏していたウィルバート・ハリスンは、1959年に本作のレコーディングを行なうことを決めた。リチャートによるカバー・バージョンの発売後の1959年3月、ニューヨークにあるスタジオでフューリー英語版ボビー・ロビンソン英語版のプロデュースのもと、ハリスンはギタリストのワイルド・ジミー・スプルーイル英語版を含む3人で、レコーディングを行なった[9]。同年末にフューリー・レコードからシングル盤として発売された。

曲のアレンジは、リトルフィールドによる演奏とほぼ変化はないが、スプルーイルが演奏するリズムギターとギターソロによるシャッフル・グルーヴが特徴となっている[3][10]。ハリスンによるカバー・バージョンは、元のタイトルである「カンサス・シティ」で発売されたが、リフレインの歌詞が「They got some crazy little women there, and I'm gonna get me one」に変更されている[4]

ハリスンによるカバー・バージョンは、『ビルボード』誌が発表したBillboard Hot 100Hot R&B / Hip-Hop Songsチャートで7週連続で第1位を獲得し[11]、1959年最も売れたレコードの1つとなった[12]。なお、同作はアメリカでSP盤としてリリースされた最後の作品となった[13]

1960年にはハリスンによる本作のアンサーソングGoodbye Kansas City」が発表された[14]

チャート成績

チャート (1959年) 最高位
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[15] 18
ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[16] 24
US Billboard Hot 100[17] 1
US Hot R&B / Hip-Hop Songs (Billboard)[11] 1

ビートルズによるカバー

「カンサス・シティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ
ビートルズシングル
初出アルバム『ビートルズ・フォー・セール
B面 アイル・フォロー・ザ・サン
リリース
録音
ジャンル ロックンロール
時間
レーベル オデオン / 東芝音楽工業
作詞・作曲
  • ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー(カンサス・シティ)
  • リチャード・ペニーマン(ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ)
プロデュース ジョージ・マーティン
チャート最高順位
ビートルズ シングル 日本 年表
ビートルズ・フォー・セール 収録曲
ミスター・ムーンライト
(A-6)
カンサス・シティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ
(A-7)
エイト・デイズ・ア・ウィーク
(B-1)
テンプレートを表示

ビートルズは、ハンブルクに滞在していた1961年春より「カンサス・シティ」を演奏していて、1964年10月にリトル・リチャードによるカバー・バージョンを基にレコーディングを行なった[19]

背景

ポール・マッカートニーが本作を知ったのは、1959年前半にリチャードによるカバー・バージョンの7インチシングル盤がイギリスで再発売されたときだった。マッカートニーはリチャードによる演奏を敬っていたが、ウィルバート・ハリスンのバージョンは知らなかった[20]。1960年初夏に本作を初めて演奏しており、マッカートニーがメモ用紙に書き写したセットリストから確認できる[21]

1961年6月に行なわれたトニー・シェリダンとのレコーディング・セッションで本作を録音したとされている[22][23]。1962年8月22日にビートルズはテレビ初出演を果たし、キャヴァーン・クラブで「サム・アザー・ガイ」と「カンサス・シティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」を演奏した[24]。この時の演奏について、ビートルズの歴史家であるマーク・ルイソン英語版は「印象的」[25]とし、「高音パートが2分半の間、大きく、強く、メロディックに、豪快に歌われている」[26]と評している。1962年12月のハンブルクのスター・クラブ公演でも演奏されており[27]、当時の演奏が1977年に発売された『デビュー! ビートルズ・ライヴ'62』に収録されている[28]。1963年7月16日にBBCラジオの番組用にメドレー曲の録音が行なわれており、1994年に発売された『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』に当時の演奏が収録されている[29]。同作に収録された演奏について、音楽評論家のイアン・マクドナルド英語版は「力強いマッカートニーのボーカルと攻撃的なハリスンのソロをフィーチャーした、一般的には凡庸といえるコレクションのハイライトの1つ」と評している[30]

スタジオでのレコーディングが行われる1か月前、ビートルズは1964年9月17日にカンザスシティ・ミュニシパル・スタジアムで行なわれたライブで、本作を演奏している[31][32]。マクドナルドは「この曲が引き起こした反応によって、LPに収録されることが確実となった」と述べている[33]

レコ―ディング

1964年のイギリスツアーの休日となった10月18日、ビートルズはメドレー「カンサス・シティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ」のレコーディングを行なった[34]。リハーサル時にマッカートニーにとって歌いにくいパートが存在していた。後にマッカートニーは、ジョン・レノンの「君ならもっと上手くできるはずだ」という言葉に励まされたと明かしている[35]。2テイク録音され、テイク1がベストとされている[34]。それぞれのテイクでジョージ・ハリスンのギターソロのフレーズが異なっている[36]。本作のレコーディングで、ハリスンはグレッチの6122 Country Gentlemanを使用し、レノンは1958年製のリッケンバッカー・325カプリを使用した[37]。プロデューサーのジョージ・マーティンによってピアノのパートが加えられている[37]が、ルイソンはピアノのパートについて「レコードではほとんど認識できない」と述べている[34]。10月26日にマーティンは、エンジニアのノーマン・スミスやトニー・クラークとともに、モノラル・ミックスとステレオ・ミックスを作成した[38]

マクドナルドは、ビートルズによるカバー・バージョンについて「ビートルズの最高のカバーの1つ」と評している[39]

リリース

ビートルズによるカバー・バージョンは、1964年12月4日に発売されたイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ビートルズ・フォー・セール』に収録され、アメリカでは翌年の1965年6月14日に『ビートルズ VI』の収録曲として発売された[33]。また、キャピトル・レコードの「スターライン」シリーズの一環として、1965年10月にB面に「ボーイズ」を収録したシングル盤が発売された[40]。また、日本では1965年3月15日にB面に「アイル・フォロー・ザ・サン」を収録したシングル盤が発売されている。

1995年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』にテイク2が収録されているが[41]、マーティンによってオーバー・ダビングされたピアノのパートは含まれていない[30]。1962年12月のハンブルク公演でのライブ音源は、1977年に発売された『デビュー! ビートルズ・ライヴ'62』に収録されている[28]

クレジット

※出典[42]

ジェームズ・ブラウンによるカバー

「カンサス・シティ」
ジェームズ・ブラウンシングル
B面 ストーン・フォックス
リリース
ジャンル R&B
時間
レーベル キング・レコード英語版
作詞・作曲 ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー
プロデュース ジェームズ・ブラウン
ジェームズ・ブラウン シングル 年表
  • ブリング・イット・アップ英語版
  • (1967年)
  • カンサス・シティ
  • (1967年)
テンプレートを表示

ジェームズ・ブラウンは、1967年に「カンサス・シティ」のレコーディングを行なった。同年にシングル盤として発売され、『ビルボード』誌のR&Bチャートで最高位21位、Hot 100シングルチャートで最高位55位を獲得した[43]。1975年に発売されたアルバム『ハッスル&ダブル・バンプ英語版』には、7分以上におよぶ本作のジャムが収録されている[44]

ライブで演奏されたこともあり、『ライヴ・アット・ジ・アポロ Vol.II英語版』(1968年)や『セイ・イット・ライヴ・アンド・ラウド英語版』(1998年)などのライブ・アルバムにライブ音源が収録されている。

文化的影響など

2001年、ウィルバート・ハリスンの「カンサス・シティ」がグラミーの殿堂入りを果たし[45]ロックの殿堂が選ぶ「500 Songs That Shaped Rock」にも含まれた[46]

2005年、カンザスシティは本作を公式ソングとして採用し、Goin' To Kansas City Plazaに捧げられた[47]

上記のアーティストの他にも、トリニ・ロペスハンク・バラード英語版ファッツ・ドミノなど多数のアーティストによってカバーされており[48]、1963年に発売されたロペスによるカバー・バージョンは、アメリカのBillboard Hot 100で最高位23位[49]、イギリスの全英シングルチャートで最高位36位[50]、ベルギーのUltratop Singles Top 50で最高位8位[51]を獲得した。

脚注

出典

  1. ^ Zak, Albin (2012). I Don't Sound Like Nobody: Remaking Music in 1950s America. University of Michigan Press. p. 217. ISBN 0-4720-3512-6. "They had been writing together since 1950 and by the time they were twenty had written the R&B classic "Kansas City" (originally titled "K. C. Loving")..." 
  2. ^ a b c d Leiber, Stoller & Ritz 2009, p. 59.
  3. ^ a b Marsh 1999, pp. 125–127.
  4. ^ a b Leiber & Stollerへのインタビュー - ポップ・クロニクルズ(1969年)
  5. ^ Leszczak 2013, p. 117.
  6. ^ Little Richard – The Specialty Sessions (Box set booklet). Little Richard. London: Ace Records. 1989. p. 29. ABOXLP 1 (set), ABOXBK1 (booklet)。
  7. ^ a b White 1994, p. 259.
  8. ^ Official Singles Chart Top 30”. Official Charts Company (1959年6月5日). 2021年8月4日閲覧。
  9. ^ Bronson, Fred (2003). The Billboard Book of Number 1 Hits. Billboard Books. p. 53. ISBN 978-0-8230-7677-2 
  10. ^ Forte, Dan (1990). Legends of Guitar - Rock, The 50s Vol. 1 (liner notes). Rhino Records. pp. 5-6. R2 70719 
  11. ^ a b Whitburn 1988, p. 183.
  12. ^ Whitburn 1988, p. 600.
  13. ^ Ask "Mr. Music" - October 24, 2011 - "The end of 78s, the beginning of the LP format"”. 2014年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月10日閲覧。
  14. ^ Wilbert Harison”. www.rocky-52.net. 2019年10月10日閲覧。
  15. ^ "Ultratop.be – Wilbert Harrison – Kansas City" (in Dutch). Ultratop 50. 2021年8月1日閲覧。
  16. ^ "Ultratop.be – Wilbert Harrison – Kansas City" (in French). Ultratop 50. 2021年8月1日閲覧。
  17. ^ The Hot 100 Chart”. Billboard (1959年5月18日). 2021年8月1日閲覧。
  18. ^ Offizielle Deutsche Charts - The Beatles - Kansas City / Hey-Hey-Hey-Hey!”. Official German Charts. 2021年8月3日閲覧。
  19. ^ Everett 2001, p. 96.
  20. ^ Lewisohn 2013b, p. 797n47.
  21. ^ Lewisohn 2013b, p. 651.
  22. ^ Engelhardt 1998, p. 441.
  23. ^ Everett 2001, p. 378n28.
  24. ^ Everett 2001, p. 121.
  25. ^ Lewisohn 2013b, p. 1346.
  26. ^ Lewisohn 2013b, pp. 1346–1347.
  27. ^ Lewisohn 2013a, p. 796.
  28. ^ a b Everett 2001, p. 138.
  29. ^ Everett 2001, p. 160.
  30. ^ a b MacDonald 2005, p. 135n.
  31. ^ Lewisohn 1992, p. 171.
  32. ^ Everett 2001, p. 401n107.
  33. ^ a b MacDonald 2005, p. 135.
  34. ^ a b c Lewisohn 1988, p. 50.
  35. ^ Lewisohn 1988, p. 11.
  36. ^ Everett 2001, p. 267.
  37. ^ a b Everett 2001, p. 268.
  38. ^ Lewisohn 1988, p. 51.
  39. ^ MacDonald 2005, p. 136.
  40. ^ Everett 2001, p. 214.
  41. ^ Everett 2001, p. 107.
  42. ^ Dowlding 2009, p. 142.
  43. ^ White, Cliff (1991). Star Time (Album notes). James Brown. Polygram Records. pp. 54–59.
  44. ^ The James Brown Reader: Fifty Years of Writing About the Godfather of Soul. Penguin Publishing Group. (2008). p. 197. ISBN 1-4406-3734-2 
  45. ^ Grammy Hall of Fame - Kansas City: Wilbert Harrison - Fury (1959 Single)”. Grammy.com (2001年). 2021年8月4日閲覧。
  46. ^ 500 Songs That Shaped Rock and Roll”. Rock and Roll Hall of Fame (1995年). 2007年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月4日閲覧。
  47. ^ Leszczak 2013, p. 118.
  48. ^ Kansas City | Cover Songs - オールミュージック. 2021年8月4日閲覧。
  49. ^ The Hot 100 Chart”. Billboard (1964年1月4日). 2021年8月4日閲覧。
  50. ^ Official Singles Chart Top 50”. Official Charts Company (1963年12月26日). 2021年8月4日閲覧。
  51. ^ Ultratop.be – Trini Lopez – Kansas City” (Dutch). Ultratop 50. 2021年8月4日閲覧。

参考文献

外部リンク


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