組手スタイルとは? わかりやすく解説

組手スタイル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:41 UTC 版)

増田章」の記事における「組手スタイル」の解説

変化していった組手スタイル 増田の組手スタイルは、長い選手生活の中で常に変化し続けてきた。選手には大きく分けて自分攻撃パターン拘るタイプと、攻撃バターン変更していくタイプ二通りいる。前者典型的な選手黒澤浩樹であるが、増田後者タイプである。 浜井識安直伝前蹴り左下突き 松井章圭合わせ技上段回し蹴り後ろ回し蹴り 大西靖人の奥足への下段回し蹴り ミッシェル・ウェーデルカウンター アンディ・フグかかと落としヒット・アンド・アウェイ戦法 など、いっしょに練習したり、対戦した相手からそれぞれの良い技を吸収していた。 松井章圭増田カラテを 「 組手スタイル年々変わってきているけれども、増田選手場合、その流れ取り残される事はないですね。彼の組手スタイルは、僕と試合をしていた頃に比べると、時代に応じて変わってきています。そして、強さカラテ技術的な面では頭が下がります。今の若手歴代選手含めて増田選手ほどオープントーナメント全日本空手道選手権大会オープントーナメント全世界空手道選手権大会で、高いレベル維持できた選手はいない。日本でただ一人全世界選手権3回出場1994年平成6年時点〕した選手ですし、安定感とか強さではピカイチだと思います外野から見ていても最高の実力者現役時代自分3回対戦しいずれも勝ちをもらっていますが、実感として「ああ、勝った」と思えた試合一つもありませんね。それと増田選手勝負対す執着心がすごく、相手によって臨機応変に戦う。ジャン・リビエール戦のようにヒット・アンド・アウェーをして対応する。 」 と評する所以である。 スピード 増田にはパワーもあるのだが、瞬発力活かした攻撃は「爆撃機」と称されるほどのラッシュであった。その瞬発力は、客観的な体力テストでも証明されている。去る1986年昭和61年5月8日現役極真会館トップ選手体力測定が、早稲田大学体育局主催行われた参加者増田の他に、松井章圭小笠原和彦緑健児ら、オープントーナメント全日本空手道選手権大会ベスト4経験者を含む17名の選手であった測定項目は、筋力・筋持久力・脚パワー柔軟性敏捷性平衡であったが、増田は脚パワー垂直跳び:75.5センチメートル/平均:61.91センチメートル)、敏捷性反復横跳び56回/平均:47.1回)で優れた値を出している。ちなみに一般人24歳男性)の平均それぞれ57.5センチメートル44であった一般人上回るのは当然だが、増田場合体重が85.5キログラムありながら上記結果出した。これらが増田爆発的攻撃力の源の一因であるといえよう

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中村誠 (空手家)」の記事における「組手スタイル」の解説

その体格からパワー組手思われがちだが、実際左右突き中段回し蹴り前蹴り膝蹴り主軸に、上段下段回し蹴り後ろ回し蹴り後ろ蹴り使いこなし突きから蹴り蹴りから突きへのコンビネーション連打ができる事に秀でていた。 松井章圭は「大山倍達総裁は、豪快な中に華麗さ備えた組手、特に自分と体質が同じ突き強くて華麗な組手をする人が好きでしたね。たとえば、中村誠師範であるとか。中村師範は勿論体格パワーでも圧倒していましたが、スピード速くて突きから蹴りへの繋ぎタイミング絶妙だったですね」と評している。

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大山茂 (空手家)」の記事における「組手スタイル」の解説

石橋雅史 「 茂くんもセンスよかったね最初の頃はそれほど切れ味がいいとは思わなかったけど、的確に受けて捌いて入ってくるようになった。 」 加藤重夫 「 茂先輩冷静な人で、こちらが体を小刻みに振っているのにカウンター正拳をガツンガツン打ち込んできた。 」 盧山初雄直線的な組手をする人でしたが、懐が深かった組手力強く、我々が懐に入ってこうとするピシャリ顔面掌底合わせられましたね。ダイナミックなカラテとでもいうのでしょうか。 」 添野義二パンチ凄く重く、体の心まで響くような感じだった。金的蹴りも得意で昇段審査の際、アメリカに行く前の茂師範組手をしたけど、猫足構えから、前足で2回ばかり金的蹴られ、死ぬ思いをした。 」

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佐藤勝昭」の記事における「組手スタイル」の解説

殴打技による顔面攻撃禁止されている選手権大会ルールのため、ボクシングでいうジャブストレートワン・ツーを、胸元鎖骨打ち下ろすように突いていた。突きから間合いに応じて膝蹴り左前蹴り、左回し蹴りなどを繰り出していた。さらに二段蹴り跳び膝蹴り跳び回し蹴り跳び後ろ回し蹴りなどの大技出していた。その一方で右の蹴りは、完治したとはいえ過去に右膝を痛めていた事から、後ろ蹴りのみであったまた、ウエイトトレーニング本格的に取り入れ組手生かしていた。 盧山初雄は「佐藤勝昭カラテは、大山道場とはまた違ったカラテだと思うんです。彼の場合は、真のオープントーナメント世に広まってから真を学んだ人間だから、あくまでも選手権大会目的としてカラテ修行しましたよね。それ以前というのは、大会がなかったから自分カラテ達人名人になる事を目標にして稽古をしていましたから、当然、稽古内容は違うわけです。ルール意識した稽古カラテルール考えず稽古したカラテ質的に内容的に違いますね」と評している。

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安田英治」の記事における「組手スタイル」の解説

正拳突き裏拳あご打ち掌底背刀打ち前蹴り金的蹴り多用し、特に前蹴り事前に前蹴りやるぞ」と相手伝えておいても、防げないほどの威力スピードがあったという。ある日大山道場によく出入りしていた太気拳創始者澤井健一が、次々と拳法動き初段クラス3、4人の門下生を、あっという間に倒した大山倍達は「このままではまずい」と思い安田澤井組手をさせる事にした。行う前に大山安田近づきボソッと当てて構わんと言った。そして組手始まり安田前蹴り澤井は腸断裂重傷負ったという逸話がある。なお、その様子は偶然、道場居合わせた記者の手により、写真収められている。

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ヤン・カレンバッハ」の記事における「組手スタイル」の解説

極真会館時代は、半身構え顔面めがけて長身利してスピード乗ったワン・ツーストレート打ち込んできた。外れてそのまま接近して襟首をつかみ、足払い攻撃にほとんどと言っていいほど全員かかってしまい、投げ飛ばされた。 加藤重夫 「最高の外国人選手はカレンバッハでしょう。あの選手真に残っていたら本当に面白かっただろうね。相手にする時は大変だった。僕とか藤平君なんかは小柄だから、飛び込んで金的蹴りしかなかった。カレンバッハは相手呼吸にあわせ、技を出すのが上手だった。頭が良く研究家でもあった。得意の右ストレート足払いでみんなやられていたね」 盧山初雄 「カレンバッハは顔面と金的を十分カバーした構えのまま、ジリジリ攻め寄ってくる。私はその度に少しつづ後ろへと押され道場の壁まで追いやられた。もうこれ以上あとがないと知るや、苦しさのあまり攻撃をしかけるのである捨て身攻撃というのだろうかこのような状態の中での攻撃など、とてもではないが相手にきくはずがない突いて蹴ってもまるで歯が立たない。その上後屈立ちに構えた前脚からちょこんと蹴られるだけで、身体大きくのけぞり、さらに左右正拳突きまるでピストン運動のように連続してくる。まるでサンドバッグとなり、彼の攻撃をもらう度に息がつまり、立っているのさえつらい。私は3、4回 “参った” をした。本部道場指導員として、まさに世の春を謳歌していた私が空手道対す理念根底から崩れ自分修行まで左右するような大疑問をもつこととなった瞬間でもあった。しかし、彼と組手をしたお陰でどうすれば自分より大きい人間を倒すことが出来るか、本当空手道強さ目指すきっかけとなった。カレンバッハには試合のルール超越した強さがあった。私が歴代外国人カラテ家で、ナンバーワン挙げるとするならばやはりカレンバッハだ」 山崎照朝 「カレンバッハはどんなごまかしにも乗らず冷静に自分体力生かした組手をした。私にとって体力差を感じた初めての対戦相手であり、どうした完璧に大きい者との組手受けて立つことが出来るか、いつも考えることになった。後にキャンプ座間指導任せられたときに、道場生に身長が2メートル近く体重90キログラム上の身体大きい者ばかりが十数人いて、中にはボクシングやっている道場生もいたことで、体力負けしない技を研究することにとても役立った郷田勇三 「僕は組手をやってないけど、結構みんな、てこずっていた。藤平君なんかは、飛び込んで蹴り軸足蹴って倒していた。だけど、カレンバッハは柔道もやっていたから、倒れるとき藤平君をガッ掴んで倒れるんだな。倒れたときは藤平君が上なんだけど、次の瞬間には入れ替えている。そういう器用さ強さがあったね。選手権大会なら藤平君の方が強いだろうけど、カレンバッハにはそういう巨体似合わないしたたかさがあったね」

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荒賀龍太郎」の記事における「組手スタイル」の解説

構えたの手左手前に構えているので、荒賀の場合左手)から繰り出される刻み突きベースに戦う。本人曰く、この技はその時調子バロメーターである。第43回全日本空手道選手権大会では右肩故障しつつも、刻み突き蹴り駆使して優勝まで上り詰めた

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:18 UTC 版)

大山泰彦」の記事における「組手スタイル」の解説

技の習得早くフットワーク生かした早い動き相手翻弄し、技の切れで倒すスタイルだった。泰彦の上段への中足蹴りは、黒崎健時から「禁じ手と言い渡されていたほど強力だった大山倍達山崎照朝と並ぶ天才。泰彦の絶好調の頃の蹴りは文字通り風車だったよ。とにかく迅かった。泰彦はサッカー経験もあるから、それが生かされたのではないかヌンチャクトンファーなども、容易に習得してしまう上手さ持っていた。 」 石橋雅史 「 弟の泰彦くんはすばしっこいんだよ。そういうものが身につけばもっと伸びる思っていたら、その通りになったからね。 」 安田英治大山茂と泰彦の兄弟も僕がよく教えたんですけども、泰彦はまだ小さかったけれど覚え早くてね。『何か一つこうしろと言うと、僕が次に道場へ来る時にはもう覚えているわけです。 」 黒崎健時 「 泰彦の方が春山よりいくらか上じゃなかったかな。大山道場時代では大沢昇と泰彦、この二人が一番だったろう。泰彦は速かったし、うまかった強さというものは相対的なものだから一概に決めかねるが、その全盛期に於いて他の誰よりも技が切れたということ言えば文句なしに泰彦だな。 」 郷田勇三当時黒帯茶帯の差が大きかっただけれども春山先輩と泰彦師範黒帯が真剣になって相手をする茶帯で、中には組手避け黒帯何人もいた。泰彦師範春山先輩対決は、フットワーク駆使した出入りの素早いスタイルである泰彦師範と、春山先輩パワーで押すスタイルの、技と力の対決となって見応えがあった。お互い負けず嫌いムキになるから、いいライバルだったんじゃないかな。泰彦師範大山道場時代からフットワーク使っていろんな技を使っていた。師範第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会出場した時は、一度カラテから離れて戻ってきた直後だったんですよ。だから、殆ど稽古していなかった。それでも準優勝してしまったんだから。やはり素質とその前の貯金あったからだろうね。 」 加藤重夫 「 泰彦先輩スピードには驚きましたよ。左右どちらも同じよう動ける上にスピードあったからね。どうしてこんな風に動けるんだろう?って不思議だったね。 」 盧山初雄 「 泰彦先輩組手は他の人たちと違い相手後ろ回り込み引っ掛けて倒したりするのです。体の柔らかさ天才的な閃きがあった先輩ですね。技を真似して会得しようとしたこともありました華麗といえば華麗な組手なのですが、その中に天才性を秘めていました人間には泰彦先輩のように、持って生まれた天分というものがある人もいることを知りました。 」 山崎照朝 「 私が入門前に道場見学をした時、いろいろな人たちの組手をみた。その中で大山泰彦先輩動き釘付けになった先輩とてつもなく速い動きで、柔道出身らしい相手パワフルな攻撃捌いていたが、攻撃転じた瞬間突き出した腕を取られ一本背負い投げられた。私が「やられた!」と思った刹那先輩投げられ勢い利用して投げ返し、上に乗るや否や下段突き決めた。泰彦先輩見事なケンカ強さだった。 」 岸信行大柄な相手と戦う時に真っ直ぐ中へ入るとみせかけて背後回りこみ片手を首に回し、もう片方の手は髪をつかんで、床に引き倒したヒントになったのは「天才空手家」と呼ばれていた大山泰彦先輩左右にパッパッと飛ぶ動きだったんだよ。泰彦先輩動き風車例えられるぐらい機敏だったからね。俺は泰彦先輩のそのサイドへの動き見ていて「あぁこの動きいいなあ」と思い、そこからこの技を作り上げていった。 」 佐藤勝昭先輩たちから聞いた話だが、ある時FBI高官来日し、彼らの前で中村忠先輩大山泰彦先輩模範組手行った両者互いにじっとして動かず、隙をうかがう。そして、接近した次の瞬間にはもう離れていた。そのとき中村先輩の口から、歯が2,3本、ポロリ落ちたという。FBI高官は、あまりのそのパンチ速さ威力に、そして真剣勝負迫力驚愕したということだった。泰彦先輩第3回全日本選手権にも出場した。かつての伝説的な触れなば切れん」といった強さ最早なかったが、実に巧いのであるフットワーク使った速い動き後ろ蹴りパンチ繰り出し相手追い込むそれ以上素晴らしいのは完璧な受けである。試合ぶりは老獪で、いつの間に自分ペースにもちこんで、相手の技を殺す。相手自分の技を出す暇もなく、気が付くと試合終わっている、といったあんばいだった。この時期の泰彦先輩相手徹底的に叩きのめす破壊力こそなかったが、相手実力封じて試合進め円熟さを示した。 」 磯部清次大山泰彦先輩こそ「真の天才」だっただろう。大山総裁自ら泰彦先輩組手天才的だと絶賛していた程である。もちろん私にとって、泰彦先輩雲の上存在だったという事言うまでもない。私が本部道場入門した当時、泰彦先輩休会中だった。弁護士になるため、勉強中だったのだ。そのため、5~6年空手から離れていたはずである。ところが、私が茶帯になった頃、泰彦先輩本部道場戻ってきた。先輩の事を噂に聞いていた私は、「この人が泰彦先輩か」と有名人を見るような目付き眺めていたものである。泰彦先輩組手何度も目にしたが、技の切れ味スピード身のこなし当時本部道場でも随一だったと記憶している。対戦相手華麗な技で翻弄する姿は、まさに天才の名に相応しいものだった。私は泰彦の先輩組手見て『5~6年ブランクがあるにもかかわらずこれほど凄いのだから、数年前はどれだけ強かったのだろう』と心底感心していた。 」 大石代悟大山泰彦先輩山崎照朝先輩。この二人極真カラテ輩出した代表的な天才ですね。泰彦先輩空手対す理論と、全体動きそのもの天性のもので、他人真似できるような次元ではありませんでした。私と泰彦先輩出会いは、1970年1月末に山崎先輩指導するクラス出席した時でした。稽古終了後白帯締めた人が道場入ってきたんです。そうしたら山崎先輩入ってきた白帯に対して姿勢正して押忍』と頭を下げたんです。山崎先輩ムダな事は一切しゃべらず、めったに笑ったもしない人でした。私の憧れで、本当にストイック一徹な先輩で、凛として、人を近づけないような、そしてまず人に頭を下げないような人でした。その山崎先輩入ってきた白帯に対して頭を下げたんです。私も負けん気だけは強かったですし、黄帯を締めていましたからビックリして「何だ、この白帯は?」と思いました。 するとその白帯から「君、ちょっと組手相手をしてくれないか」と手招きされたんです。「相手をしていいのかどうか」と思っていたら、滅多に笑わない山崎先輩笑いながら、「OK」の合図をされたのです。それで組手をしたのですが、あっという間に転がされました。もう1回向かい合ったら、またやられました。黄帯を締めていた私は「どんな偉い人かわからないけど、やっぱり白帯負けちゃいけない」と思い、また向かっていたら、3度目より一層鮮やかに転がされました。そこで山崎先輩が「先輩、もういいでしょうと言ったんです。その白帯が泰彦先輩でした。 あとになって背後回り込まれていたのがわかったのですが、あまりに過ぎてその時はわからなかったんです。泰彦先輩次元の違う強さ嫌というほど思い知らされました。泰彦先輩が「道着着たのは何年ぶり」など山崎先輩といろいろ話し合ってましたが、私は幸運にも、二人天才目の前でみる事ができました。そして『私にできる事は努力あるのみ』と思い知りました。 」

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組手スタイル

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大山倍達」の記事における「組手スタイル」の解説

大山の組手スタイルについて高弟それぞれ次のように証言している。 石橋雅史立ち方両足均等に体重をかけた「自然体」に近い立ち方用い片方の掌でみぞおちカバーしている。構えから間合いをつめる場合は、ただ歩を進めるではなく、掌を外側向けて回しながら、掌の旋回そのまま掛け受け」になっている状態で前進する大山先生組手では決し後ろに下がることはなく、攻撃捌きながら側面回って反撃する動き身上としていた。剛柔流の型を生かし掛け受けからの掌底打ち手刀上段受けから正拳回し打ちまたは手刀打ち相手肘関節逆を取る 弓張受けからの孤拳受け 猫足立ちから下突きに繋ぐ掛け受け、 猫足立ちから逆技につなぐ掛け受け など、円型突き基本にした掛け受けからの手技を多用し手刀回し打ち掌底打ちなどの円の攻撃また、相手攻撃をかわしながら入る柔の歩法などに長じていた。しかも、その動き剛柔流の型の中に見出せるものが多く大山先生は、ある意味伝統空手動き組手そのまま体現できる数少ない達人ひとりであった。 」 安田英治 「 僕が見てきた大山先生組手は、様々な要素取り入れて相手に応じて変えていくもので、これと決まった形はなかった。追い突きよりも右の逆突きを得意とし、蹴りでは前蹴り多かった直線よりも、当然受けて打つんだけれども、それを円を描きながら回り込んでといった動きであった。受けるというのも普通にパンと受けるのではなく引っ掛けていた。僕らなら上段受け、中段受けなんてやるけれども、大山先生受けて掛けるいろいろな武道先生学ばれたから、その中から生まれてきたのかもしれない掛けて相手動き合わせて捻った関節技かけたり、それでも完全に極めることはあり得ないわけで、ある程度止めていた。空手中に違うものを入れていく、これは他の空手師範にはない所で、格闘技的な要素追求されていたのだと思う。前手か両手掛け回り込んでしまえば横に行く、相手死に体になるから、後は突いて先生柔道なさっていたから、ポンと投げていた。蹴りがきたら、受けずに肘で落としたりもしていた。正拳突き当てるにしても中段で、顔は掌底押したりして、まともに当てることはしなかった。裏拳回し打ち振り打ちなどを回り込みながら使っていたが、剛柔流的な要素でしょう。とにかく技は多彩で、最終的に正拳威力あることははっきりしてるけど、それをみぞおちにも形でしか当てなかった。接近したヒジ突き上げるだけでなく、力があるからそのまま持ち上げて、3~4メートル投げてまったり縦横無尽だった。 」 大山茂 「 まず、大山倍達総裁組手構え左足前の猫足立ちが多かった得意技貫手目突きと金蹴りという激しいものだった貫手目突きは、バラ手にして、スナップきかせて目を突かれると、もう目から涙がポロポロ止まらない左前蹴りのあと、右のバックハンドという回転技も良く使っていた。それとよく使っていたのは左足前の構えから「尾麟(びりん)の構え」のように右手前に出す。接近戦だと左足前なのに右手前に出してきた。これで上体逆にタメておいて左の掌底を出す。この掌底真っ直ぐ来る時と振り打ち気味に来る時がある。ほとんど正拳使わないで、ボディーを突く時でもコントロールして、ほとんど生徒ケガさせなかった。私は右の正拳得意だったが、胸などはわざとたたかしてもらったが、胸の汗が私の目にバシッと入り、目がヒリヒリしたことを覚えている。「今のはいいね。もう1回来なさい」という感じだった。でもたいていは右の正拳で行くと左の掌底カウンター顔面来て次に総裁の右の拳などが飛んでくる。総裁組手多かったものは、遠い間合い両手前に出して前羽の構え」で構えて近づくダイナミックな動きになる。よく使われていたコンビネーションは、左足前の構えのままで右手前に出し相手の前手をひっかけ左の掌底このあとに右の貫手・右の金的蹴りへと繋げる。ストレートな攻撃得意だった蹴り前蹴り後ろ蹴りといった直線的な攻撃得意だった。左の前蹴り出して回転して右の後ろ蹴り出したりね。この時の後ろ蹴りは、腰を入れた横蹴りぎみのやつだね。私も参考にさせてもらったでも、総裁蹴りの中で一番危なかったのは何と言っても金的蹴りだね。泰彦なんかも当時一番動いたからね。よく金的蹴りを喰らっていた。当時毎日総裁ひとりで何十人も組手相手をしていた。とにかく総裁との組手いい思い出ですよ。 」 大山泰彦大山総裁左足前の半身組手立ちに構えてスー前に出て左手相手の前の手を落とす。その時総裁右手掌底顔面カバーする払った左手裏拳左右打ちのような感じで「最破(サイファ)」の型通りに下からポーンと来る。時には奥の右手で髪を掴まれ、それで裏拳決められたこともある。総裁相手左手払った後、受けた自分左手を胸までもってくる。そうすると相手の胸に向かって肘が出る。そこからパーン裏拳がきて右の正拳ゴチン。勿論強く当ててこなかった。あとよくもらったのが、右の踏み足で間合い詰めて右の掌底回し打ち。だいたい耳の辺りパチン引っ叩かれた。また私が左の前拳で突くと総裁左手突きを受け引っ掛けながら、右手は私の肩を摑んで私の体をくるっと回し、それからドーン押したり、投げ技はずいぶん使っていた。総裁は体は大きかったけれども、組手になると動き柔らかさがあり、手が上から下から横から出たりしていた。普通の人だと一、二真っ直ぐに来てそれから横の技となるんだけど、総裁場合、いきなり裏拳だったり回し打ちが下からくる。ある時は裏拳打たれて右の正拳お腹ポーンもらったり、ある時は摑まれて投げられたりした。とにかく総裁両手変幻自在何が来るか、全く分からなかった。あとは目突きと金蹴りかな。目突き横から下からパッと入れられてしまうので「アッイテ」と思ったときには涙が出てた。金的蹴り総裁得意技で、蹴り大きく蹴っていくとパチンスナップきかせて蹴られる。すると総裁は「キミ金的男の魂だよ。ケ、ケ、ケ」と(笑)金的蹴りは私もよく真似した。 総裁はよく私の突き蹴りをその大きな体で受けてくれた。「叩いてこい」というので、思い切り叩くと汗がパチッとはね返ってくる。「もっと強く」と再び言われ、「よーし」ともう1回叩くと上から掌底で頭をガチン叩かれグシャ総裁足元に潰されてしまう。でも、私たちには思い切りは攻撃しなかったね。裏拳でもキチっと握るんじゃなくて軽く握ってパンという感じだった。だから、総裁組手をして次の日に残るケガというのはなかった。他の黒帯の人たちの方がイヤだったよ。総裁との組手は「パチっ」とのばされるんだけど気持ちよかった。「泰彦、頑張れ」という意味で叩いたと思う。それだけ弟子のことを思っていたんだと思うよ、総裁は。 」 中村忠大山館長僕ら組手をする時は、いつも受けの組手ですからね。攻撃をさせて、それを受ける。僕らは腹や胸をポンポン突いて蹴って構わない。そんな時の大山館長組手構えは、最初は「前羽の構え」で、次に寄り足をして、「尾麟の構え」、そして「龍変の構え」で、スッと踏み込んでくる。この上下に回転する手が、裏拳変化したり、相手道着手刀引っ掛けたり、様々に変化する今度は手が来ると思って上段ガードすると、ローキックのように足払いでいきなり倒される。まさに変幻自在で、こちらから動き読めないでも、僕ら生徒とやるときはほとんど正拳使わず掌底顔面バチンときたり、みぞおちアバラを狙う時も掌底でしたね。掌底と言っても体重乗せ踏み込んで打ってくるのですごく効きますよ。僕も大山館長掌底脇腹喰い動けなくなったことがありますでも、僕なんかじゃなく、もっとうまい上手な先輩とやる時は正拳も使うこともありましたよ。僕は高一でまだ始めて間もない頃で館長手加減してくれていましたが、安田先輩茂さん、泰彦さんなんかと、組手をするときは激しくやってましたね。大山館長は右の正拳得意だったようですが、直線的な正拳だけでなく、回して打つ正拳もよく使っていましたね。それが回し打ちとは違って正拳背刀部側の拳頭で打つんです。館長正拳は普通の人の何倍も拳頭が大きくいろんな角度から鍛錬されていましたから、その拳頭の背刀部側をフックのように使い相手が前へ出てくると、サッと左側45度へ体サバキして、すれ違いざまに右の正拳回し打ち当てるんです。ただし、顔面みぞおち危ないので、わざと胸狙って入れてましたね。 館長組手柔らかく受け、変幻するけれども、極めの時は「ウウッ!」と腹から呼吸というか気合出し瞬間的にすごい威圧感感じさせるんです(原文ママ)。こちらは自由に攻撃させてくれるんですが、他から見るとあまり動いてないよう見えるんです。実際に大山館長向き合うと、撹乱され攻められないんですね。「上からくるか下からくるか?」と思っているうちに倒されてしまう。最初間合い遠くて、こちらは突いたり、蹴ったりできるんですが、わからないうちにスーッと入ってきて、瞬間に何か小技出してきてやられてしまう。今思うと、遠い間合い攻撃全て館長コントロールされいたんでしょうね館長ダイナミックな攻め方に接近する相手突き孤拳で受け、その手掌底返して腹を打ったり、手刀変化させたり非常に小技もうまい方でした。たぶん当時30代前半の一番円熟していた時期だったんじゃないでしょうか大山館長はあの大きな体で動き速く、足も股割り全部開く柔軟性お持ちでした。回し蹴り横蹴り上段ヒュッと上がりましたよ。組手のときはほとんど中足回し蹴り使い、やはり強く当てないように気を使っていましたね。でも一番の得意技はやはり右の正拳で、掌底孤拳はそれを使うための付随する技だったと思います。 」 山崎照朝組手において私が大山総裁から学んだ最も重要なことは「技は力の中にあり」で、相手構え正面から崩していく破壊組手であったフットワークを使う動きをしてくる相手よりも、ガード固くどっしりと腰を落とした静の動きを持つ相手構えはなかなか崩せない。総裁こういう状態のとき、よくこう言われた。「何も体を打つ必要はない。正拳を打つんだ。相手の手殴って崩せ相手出している前手を殴って構え崩して相手中に入れ!」ということをいつも言っていた。「相手構えが固ければ、それを力で崩していけばいいじゃないか」という正面突破理論総裁考え方根本にあると思った。「相手の拳が強かったら相手の拳を殴って使えなくしてしまう。蹴り強かったら逆に蹴り返して折ってしまう。相手の最も自信のある技を受けるのではなく打ち砕いて戦意なくしてしまう。これが極真カラテであり、組手極意である」と常々仰っていた。相手攻撃を受けるときも真では真っ直直線中に入って受ける。他流場合サイド出て捌くのが一般的だけど、相手にしてみたら体勢それほど崩されないから、不利にならない直線で受けるということは相手攻撃ライン変えるということだから、無駄な動き不要になる総裁理論で「点を中心に円を描き、線はそれに付随するのである」という言葉があるが、これは自分が点になって直線で進むことによって相手崩し、また相手攻撃ライン変えて相手背後回りこむことで結果的に円を描かれるということで、自分攻撃必然的に防御になり、防御攻撃になる「攻防一体」を意味している。総裁は私に「点を中心に円を描く破壊組手」を伝授してくれたと思っている。 」 真樹日佐夫大山先生強かったよ。スタイル地味なんだ。でも肘と膝が強い。左右の肘が横っ腹にくる。みんなその場バタッといくくらい肘が強かった蹴りは、俺がいたころはもう肉がついてて脚が太すぎてあんまりだったけどな。だからな、ないものねだりじゃないけど東谷巧とか、華麗な蹴り持っているのを可愛がってたな。 」

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