組手の競技化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 03:19 UTC 版)
韓武舘は普段は基本稽古、形、巻き藁突きなどの鍛練を行う伝統的な道場であったが、最大の特徴は組手の稽古に剣道の防具を使った事である。当時の空手家達は柔道や剣道と同様、空手も普及の為競技化の必要性を考え、その方法を模索し、安全性と実戦性を両立する為、防具の使用を試みていた。宮城長順や東京大学空手部も防具付きによる組手の鍛練を行っていたとされる。その中で韓武舘は武道禁止令により余っていた剣道の防具を着用することでそれを解決させようとした。これは当時既に防具付きと寸止めに分岐していた空手の競技化の流れの中で、防具付きの実用性を示したものであり、これが空手界最初の全国大会である全国空手道選手権大会の開催に繋がったと言える。また、直接当てるという概念は、韓武舘に通っていた大山倍達が創始した極真空手の誕生にも影響を与えた。
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