第3回全世界選手権で増田との激闘とは? わかりやすく解説

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第3回全世界選手権で増田との激闘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 04:40 UTC 版)

ミッシェル・ウェーデル」の記事における「第3回全世界選手権で増田との激闘」の解説

1973年極真会館入門空手同時にボクシング並行練習していた。1979年第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会初出場この頃目立った結果出せなかったがその後1981年ヨーロッパ選手権重量級優勝。このときのウェーデルをみた大山倍達は「第3回全世界選手権での最強外国人ウィリー・ウィリアムスでもケニー・ウーテンボガード(南アフリカでもないミッシェル・ウェーデルだ」と高評価した。なお、前述第2回大会での初戦は、国際問題出場が叶わなかったウーテンボガード戦が組まれていた(1986年12月発売月刊パワー空手』の特集記事より)。 1984年第3回全世界選手権では1回戦2回戦一本勝ち勝ち上がり3回戦増田章対戦3度目延長戦までもつれ込み判定増田敗れた。しかし、増田は「本戦序盤ミッシェルボディーブローが私のレバー効いてしまった。『なんだこの突きは』『今までこんな強い突きもらったとがない』と驚愕するほど、強烈なのだった本戦判定で『負けた』と思っていたら、引き分け判定だった。本来なら『助かった負けなかった』と思うところだが、このときばかりは『えっ、まだ戦うのか?』という心境だった。延長戦ではボディブローダメージ残しながら、左下回し蹴り中心にミッシェルの足を攻めた。とにかく倒れて負けたくないと思い必死に戦っていた。再延長戦突入すると、彼が私を倒そう動いていたのでスタミナ消耗してきていた。逆に私の下段回し蹴り効きはじめたのか、判定で私の勝利となった。しかし、本戦判定けだったら、私の負けであった」と吐露している。 増田負けたウェーデルだが、評価一切下がらなかった。ウェーデルはボクシングの技術取り入れた突きムエタイ蹴り取り入れていた。レバー狙った下突きボディブロー)、鎖骨狙った上段突き上中下段回し蹴り前蹴り突き蹴りコンビネーション見事にかみ合った組手スタイルであった

※この「第3回全世界選手権で増田との激闘」の解説は、「ミッシェル・ウェーデル」の解説の一部です。
「第3回全世界選手権で増田との激闘」を含む「ミッシェル・ウェーデル」の記事については、「ミッシェル・ウェーデル」の概要を参照ください。

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