大本営発表
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大本営発表(だいほんえいはっぴょう、旧字体:大本營發表)とは、1937年11月から1945年8月までの期間、日中戦争(支那事変)および太平洋戦争(大東亜戦争)において、大本営が行った戦況の公式発表である。
- ^ a b 千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫79-81頁
- ^ a b “大本営発表 とは”. コトバンク. 2013年8月18日閲覧。
- ^ 保阪正康『大本営発表は生きている』 はじめに、p.5より。
- ^ 神戸大学 新聞記事文庫 軍事(53-029) 大阪朝日新聞 1941.12.10(昭和16)
- ^ 「大本営発表とミッドウェー海戦」 p122 - p128
- ^ 「週報 第323号」p.10
- ^ 平櫛(2006)、p.168
- ^ 平櫛(2006)、p.185-186
- ^ 平櫛(2006)、p.188
- ^ 平櫛(2006)、p.207
- ^ 平櫛(2006)、p.199
- ^ 平櫛(2006)、pp.215-216
- ^ 平櫛(2006)、p.216-217
- ^ 平櫛(2006)、p.219
- ^ 平櫛(2006)、p.231
- ^ “日露戦争史”. t (2020年12月20日). 2020年12月20日閲覧。
- ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 726頁
- ^ 平櫛(2006) pp.45-47
- ^ 「これより我が方の戦死傷者は急速的に増加せしも、後方に砲弾盛に落下するに及び後送すること能わず、仮包帯のまま倒るるまで銃を執る状態なり。乾パン既に尽き、生水を飲み、生米を囓りつつ戦闘を続く」
- 「山本部隊の主力には、マラリア或は胃腸病にかかれる者多く、小康を得ありし者も、連日の不眠と糧食の不十分と、更に連夜来襲ある猛烈なスコールに依る湿気等に依り、病気再発する者続出せり」
- 「ああ、敵弾に倒れる前に勇士達の多くは病魔のためにあたら戦闘力を失ったのである。『弾丸(たま)に死んでも病に死ぬな』を武人の本懐とする皇軍の勇士達である。その心中は察するだに腸(はらわた)の千切れるものがあるではないか」
- 「上陸以来、四箇月、前人未踏のジャングル戦に辛酸労苦の限りを嘗めつくしたわが将兵は、悪性マラリヤと糧食補給難によって体力の消耗憔悴は極限に達していた。数日間の絶食は希ではなかった」
- 「部隊長から一兵に至るまで飢餓とたたかい、敵の猛爆、猛砲撃下に曝されながら怒濤のごとく押し寄せる敵軍と対峙した」
- 陸軍報道班員手記 ガダルカナルの血戦(昭和18年7月20日発行)
- ^ a b 保坂正康『大本営発表は生きている』光文社新書9頁
- ^ “時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(2)大本営発表に疑問抱く”. 読売新聞朝刊. (2017年3月15日)
- ^ 小出康成 (2010年7月13日). “起こるべくして起きた“ゆうパック”遅配騒動を他人事のように分析する日本郵便経営陣の「見識」”. 週刊ダイヤモンド (ダイヤモンド社) 2017年2月24日閲覧。
- ^ 田原総一朗 (2011年3月30日). “原発報道は「大本営発表」に頼りすぎている”. 日経ビジネス (日経BP). オリジナルの2011年4月2日時点におけるアーカイブ。 2014年8月4日閲覧。
- ^ Frontline Press (2020年4月27日). “新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態”. 東洋経済オンライン (東洋経済新報社) 2021年2月2日閲覧。
- ^ “軍人スポークスマンの戦争 〜大本営発表の真実〜”. NHK (2022年12月17日). 2022年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月20日閲覧。
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