じょ【序】
読み方:じょ
[音]ジョ(呉) [訓]ついで
1 ある基準に従った並び。「序列/花序・公序・次序・順序・秩序」
3 物事のいとぐち。最初の部分。「序曲・序説・序奏・序盤・序幕・序論」
[名のり]つき・つぐ・つね・のぶ・ひさし
じょ【序】
序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 06:50 UTC 版)
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関連項目
序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/27 14:47 UTC 版)
〈私〉は時折、『平家物語』ゆかりの寺に足を運ぶ。その寺には、参拝客がそれぞれの想いをつづっているノートがあった。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 00:22 UTC 版)
紀元前2000年頃の中期ミノア期に、地中海交易によって発展し、クノッソス、マリア(英語版)、ファイストスなど、島内各地に地域ごとの物資の貯蔵・再分配を行う宮殿が建てられた。宮殿以外にもコモスやパレカストロのような港湾都市が繁栄。また、貿易を通じてエジプトやフェニキアの芸術も流入し、高度な工芸品を生み出した。紀元前18世紀ごろには、線文字Aを使用している。 紀元前1600年頃の後期ミノア期には、各都市国家の中央集権化、階層化が進み、クノッソス、ファイストスが島中央部を、マリアが島東部をそれぞれ支配するに至ったが木材の大量伐採による自然環境の破壊が文明そのものの衰退を招き、紀元前1400年ごろにミュケナイのアカイア人がクレタ島に侵入、略奪されミノア文明は崩壊した。 クレタの宮殿建築は非対称性・有機的・機能的な構成で、中庭は外部から直接に進入することができ、かつ建物の各部分への動線の起点となっている。建物は常に外部に対して開放されており、当時のクレタが非常に平和であったことが推察される。 初期の宮殿建築では、宮殿に接して市民の公共空間が設けられていたが、後期ミノア時代に社会体制が中央集権化・階層化するとともに次第に公共空間は廃れ、他の建築物が建てられた。祭政を一体として行っていたために、独立した祭儀場を持たない。 ミノア文明は、紀元前15世紀半ばに突然崩壊した。その原因を、イギリスの考古学者アーサー・エバンスらは、サントリーニ島の巨大爆発(ミノア噴火)に巻き込まれたとする説を唱えた。しかし、アクロティリ(英語版)遺跡の調査によってミノア文明が滅んだのは、ミノア噴火より50年後ほど経た後であり、サントリーニ島の噴火が直接の原因ではないことがほぼ確定している。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:25 UTC 版)
アーカムミスカトニック大学のピースリー教授は、秘密機関ウィルマース財団の指導者である。1966年、ウィルマース財団は、ハンク・シルバーハットを雇用する。彼は優れた行動力と頭脳とテレパシー能力を活用し、対風神作戦<イタカ・プロジェクト>の隊長として、カナダ・北極圏の調査に奔走する。またフアニータ・アルバレスという後方要員がおり、彼女は「ハンク・シルバーハットとのみ」思念を通じ合うことができた。 1969年1月22日。ハンクたちの乗った調査機が消息を絶つ。ハンクが見た光景を、テレパシーを通じてフアニータも視認した。調査機は風神イタカに襲われ、通信が断たれた。また調査機には、なぜかハンクの妹トレイシーも同乗していた。彼らの行方は杳として知れず、フアニータは財団を辞めて故郷に帰る。 5月下旬。フアニータが大学に戻ってくる。彼女は憔悴しており、また誰かと交信しているようである。ESPチームの一人が、フアニータに思念を送っているのはハンクであり、さらに彼の居場所は地球上ではないと断言する。そして6月3日になると、フアニータは明瞭な波動を受信し始めるようになり、ピースリー教授は内容を記録する。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 05:38 UTC 版)
1830年8月にベルギー独立革命が始まった時、南ネーデルラント(現在のベルギー)に配備されていたネーデルラント軍では、南ネーデルラント在住の兵士の大規模な逃亡が生じた。これは、自分たちが住んでいる地域の人々と戦うことを拒否したためであった。配備されていた兵の約3分の2が逃亡した。この事実と、ネーデルラント軍の大半(よく訓練を受けた部隊)が殖民地に配置されているという点が、残りの部隊の士気を挫いた。この影響でベルギーの革命勢力は、ベルギー全土の支配を速やかに手に入れることができた。 しかし、ベルギーの革命勢力の指導者は、この早期の大成功により自信過剰になり、自分の国の軍隊を創設する際に、適切な処置をとらなかった。 北ネーデルラント(現在のオランダ)の多くの人と同じく、ヴィレム1世国王はベルギーの反乱鎮圧の失敗を大きな失態と感じ、反乱軍への復讐を行なうことを望んだ。ヴィレム1世は、反乱軍がレオポルド1世を自分たちの王に求めていると知り、ベルギーへの攻撃を決定した。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
雨月物語序 羅子撰水滸。而三世生唖児。紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。蓋為業所偪耳。然而観其文。各々奮奇態。揜哢逼真。低昂宛転。令読者心気洞越也。可見鑑事実于千古焉。余適有鼓腹之閑話。衝口吐出。雉雊竜戦。自以為杜撰。則摘読之者。固当不謂信也。豈可求醜脣平鼻之報哉。明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。以畀梓氏。題曰雨月物語。云。剪枝畸人書。印(子虚後人)印(遊戯三昧) 上は、『雨月物語』の序文の全文である。ここには、上田秋成の『雨月物語』にかける意気込み、創作経緯が書かれている。この文中で秋成は、『源氏物語』を書いた紫式部と『水滸伝』を書いた羅貫中を例に挙げ、2人が現実と見紛うばかりの傑作を書いたばかりにひどい目にあったという伝説をあげている(「紫式部が一旦地獄に堕ちた」というのは治承年間に平康頼によって書かれた『宝物集』や延応以降に藤原信実によって書かれたとされる『今物語』により、「羅貫中の子孫3代が唖になった」というのは明代の田汝成編の『西湖遊覧志余』や『続文献通考』によっている)。そして、どう見ても杜撰な、荒唐無稽な作品である『雨月物語』を書いた自分は、そんなひどい目に遭うわけがない、と謙遜しているように見える。しかし考えてみれば、そもそもくだらない作品を書いた、と自分で思っているなら、当時でもすばらしい作品であると考えられていた『源氏物語』や『水滸伝』と自分の作品を比べるわけはあるまい。 また、末尾の「剪枝畸人書」という署名に注目して、ここから秋成の真意を汲取ろう、という試みもなされている。この「剪枝畸人」の「枝」は「肢」、さらには「指」に通じ、幼いときに秋成が、右手中指、左手人差し指が不具になったことを戯れにした署名である。ここで、前に自分はひどい目に遭わないはずだ、と言っておきながらこういう署名をするところに、注目する必要がある。また、中野三敏からは、これは『荘子』に由来するものではないか、という指摘もなされている。『荘子』の「人間世篇」に、有用な実をつける木は「大枝ハ折ラレ、小枝ハ泄(た)メラル」、無用な木は「ハタ、アニ翦(き、剪)ラルルコト有ランヤ」とある。つまり、「剪枝」とは、自分が役に立つ人間であったがゆえに、指(枝)が折られて(剪)しまったのだ、ということを意味しているのではないか。後半の「畸人」という部分は、「大宗師篇」にある箇所が連想される。「畸人ハ人ニ畸(ことな)リテ、天ニ侔(ひと)シキモノナリ」と。つまり、「剪枝畸人」とは、紫式部や羅貫中のような、物したあとにひどい目に遭ったのとは違って、『雨月物語』を書いた自分は、生まれながらに罰せられている、天にも等しき存在なのだ、という傲慢なほどのすさまじい主張にも読取れるのだ。いかに秋成の『雨月物語』にかける自負心が大きかったことか、察せられるだろう。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:31 UTC 版)
『フォイエルバッハ論』は、C.N.シュタルケ著『ルートヴィヒ・フォイエルバッハ』(1885)に対する書評を依頼されたのをきっかけに書かれたものである。その意図するところは、ドイツ古典哲学がイギリスなどで復活してきた状況のもとで、マルクス、エンゲルスがヘーゲル哲学から出発し、ヘーゲル哲学から離れて行った経過を明らかにすること、同時に、その時のフォイエルバッハの役割の大きさを示すことで彼への借りを返すことと述べられている。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 01:25 UTC 版)
雪の降り始めた山を登っていた男は白い着物姿の女を見つけた。目じりと唇に紅を差したその女は、「何をしているのか」と問いかけた男に「待っているのです」と答える。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 06:30 UTC 版)
廓庵の十牛図には弟子の慈遠によって次のような意味の序が付けられている。 どんな人にも仏の真源、仏性が備わっているが、迷いの世界に入り込みもがき苦しんでいるので、そこから逃れる方途をこれまでも示されてはきたがそれらは不十分であったので、新たに廓庵禅師は牧牛によってその方途を示された。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 03:35 UTC 版)
著者自身が書いたもので、その内容は上記の概要に記されている。
※この「序」の解説は、「ロボットの時代」の解説の一部です。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:28 UTC 版)
「暗黒時代 (古代ギリシア)」の記事における「序」の解説
詳細は「前1200年のカタストロフ」を参照 古代ギリシャでミケーネ文化が繁栄していた時代、『前1200年のカタストロフ(前1200年の破局とも)』をきっかけに文化は崩壊、それまで使用されていた線文字Bも使用されなくなり文字資料が乏しくなった。この状況はギリシャ人とフェニキア人が接触することによりアルファベットが成立してエーゲ海地帯に普及するまで続く。 このカタストロフの内容については各種異論が存在し、このカタストロフが古代ギリシャ史における分水嶺とされ、カタストロフ以前を研究する学者は考古学者、カタストロフ以後を研究する学者は歴史学者と分け隔てられていた。そのため、暗黒時代は考古学者、歴史学者の両者から敬遠される時代であった。 その後、考古学的調査の進展によりそれまで収集されたデータの分析が行なわれ、暗黒時代という分水嶺を打破しようとする学者らが現れ始め、それまでの暗黒時代の印象が大きく変化して行った。この変化により暗黒時代の研究が進み、それまでギリシャ古典期の慣習や制度を説明する際に『その起源は暗黒時代にさかのぼると思われる』とされ、ある意味便利な常套句として用いられてきた暗黒時代について様々な異論が提出されるようになった。 その後、その論争を通じて暗黒時代の解明が進められている。また、古代ギリシャにおける暗黒時代はそれ以前やそれ以後の時代と比べて低調な時代ではあったが、本当に『暗黒』の時代であったわけではなく、『暗黒時代』と呼ぶことが不適切であるとする学者も現れ、『初期鉄器時代』と呼ぶ事が一般化しつつある。また、暗黒時代の存在自体を疑問視する意見も存在する。 その原因は何にせよ、ミケーネ文化が崩壊したことにより古代ギリシャ世界は新しい時代へ突入してゆく。
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 01:59 UTC 版)
「タイタス・クロウの帰還」の記事における「序」の解説
アンリ‐ローラン・ド・マリニー氏は、1969年10月4日に滞在中の屋敷が暴風雨で崩壊に遭い、瓦礫からは遺体が見つからず、行方不明となっている人物である。その彼が、1979年9月4日にテムズ川で発見された。意識不明のまま病院へと搬送され、所持品から身元が判明した。(序2) 1980年3月20日、米国のピースリー宛に英国のアンリから書類と録音テープが郵送されて来る。教母クォリーからも短信が届き「タイタスが帰って来たがもういない。アンリも後を追った。今わたしたちは大変な状況に直面している」と記されていた。ピースリーには時間がなかったので、メイヤーに託される。メイヤーが書類を読み終えたのが3月24日である。25日深夜にテープを聞き始めとき、最初の地震が起こったため、メイヤーは再生を止め、書類とテープを保管庫に収める。 4日後、メイヤーは廃墟と化した大学の跡地からそれらを回収する。書類は完全に保管されていたが、テープは一部が破損していた。(序3)
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序
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:16 UTC 版)
「前1200年のカタストロフ」の記事における「序」の解説
紀元前1200年頃、環東地中海を席巻する大規模な社会変動が発生した。現在、「前1200年のカタストロフ(破局とも)」と呼ばれるこの災厄は古代エジプト、西アジア、アナトリア半島、クレタ島、ギリシャ本土を襲った。この災厄は諸説存在しており、未だにその内容については結論を得ていない。 これらには諸説あり、気候の変動により西アジア一帯で経済システムが崩壊、農産物が確保できなくなったとする説、エジプト、メソポタミア、ヒッタイトらが密接に関連していたが、ヒッタイトが崩壊したことでドミノ倒し的に諸国が衰退したとする説などが存在する。地震によって崩壊したとする説は環東地中海全体の崩壊ではなく、特定の国にのみ考えられており、少なくともミケーネ時代のティリンスではドイツ考古学研究所 (en) の調査によれば激しい地震活動が発生したことが確認されている。 この災厄についてフェルナン・ブローデルの分析によれば ヒッタイトの崩壊 エジプトにおける海の民の襲撃 ギリシャのミケーネ文明の崩壊 以上の3項目に分けることができる。また、このカタストロフを切っ掛けに東地中海に鉄が広がることになる。
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