漢語
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漢語の歴史
上代
日本では、3世紀終わりに和邇吉師によって漢字がもたらされたという伝説が残っており、その後も散発的に渡来人との交流があったと考えられるが[50]、漢語の知識が体系化されたのは、上代になってからである[51]。
日本はこの時代に大いに中華文明を模倣し、漢語も本来の意義と用法に出来る限り忠実に使用するよう努力された[51]。漢語が日本語として融和することはなく、行政官や学者、あるいは僧侶の間の教養として用いられた[51]。
この頃の日本語には、まだ拗音が存在しなかったため、「精進」を「サウジ」、「修行」を「スギヤウ」のように直音化して発音していたと考えられる[51]。一方でこのとき日本語内部でイ音便やウ音便などの変化が発生したのは、漢語の発音が何らかの影響を与えていたからとされる[51]。
中世
894年に遣唐使が廃止されてから、漢語の急速な流入はひとまずの終結をみせ、漢語の歴史における円熟期を迎えた[52]。このころ台頭した武士たちは質実簡素を好み、漢語は生活語としての地位を得た[52]。もっぱら大和言葉による表現を好んだ女性の作品の中でも、漢語の割合は徐々に増していき、本来の意味や用法から離れていく傾向もみられた[52]。
13世紀に禅宗が日本に伝来すると、禅僧によって新たな漢語が全国に広まった[52]。この時代に定着した漢語には「挨拶」「親切」「活発」など、現在においても日常生活で使用されるものが多い[52]。
なお、漢語の本元たる中国においては、宋代以降、言語が音韻や文法の面で著しく変化していき、日本には唐宋音がもたらされた[52]。
近世
実用語として浸透した漢語は、一般庶民の間にも広まり、話し言葉として漢語も仮名で書かれることが多くなった(『御伽草子』など)[53]。これによって語形や語義に変化が生じ、本来の用字とは異なる漢字で表記される語も増えていった。現在においては、もともと漢語であったかどうか不明確な語すら残されている。
一方で平和が長く続いたこの時代においては、学問文化が発達し、漢文の研究も盛んに行われた。文章を起こす際は、漢籍に即した用法を調べ、正統に近いとされる漢音で読まれることが好まれた。これによって漢語は、緩やかに古い姿にへと回帰していくという現象もみられた[53]。
また、1720年には禁書の令が緩和され(享保の改革)、漢訳洋書が多数研究されることになった。この際、参照された書籍には、マテオ・リッチ(利瑪竇)やアダム・シャール(湯若望)などの来華宣教師によって中国で新たに造語されたいわゆる華製新漢語が多数存在する。江戸後期には、蘭学の発達とともに、杉田玄白や志筑忠雄などの日本人によって新規の和製漢語も数多く造語され、これらの多くが現在でも学術用語として用いられている[53]。
- 漢訳洋書の例
- 『坤輿万国全図』(利瑪竇、1602年)- 「地球」、「赤道」など
- 『幾何原本』(利瑪竇、徐光啓、1607年)- 「直線」、「平行」など。
- 『崇禎暦書』(湯若望、徐光啓、1642年)
- 『天経或問』(游子六、1675年)
- 『解体新書』(杉田玄白、1774年)- 「神経」、「動脈」など。
- 『暦象新書』(志筑忠雄、1798年)- 「重力」、「楕円」など。
- 『舎密開宗』(宇田川榕菴、1837年)-「酸素」、「溶解」など。
- 『奈瑞数理』(李善蘭、1860年ごろ)-「指数」、「微分」など。
- 『万国公法』(ウィリアム・マーティン、1864年) -「国債」、「民主」など。
近代
19世紀後半における開国後は、多くの知識人たちが洋書の翻訳に勤め、英和辞典、独和辞典、仏和辞典なども出版された。この時代の知識人たちは、漢籍に精通している者がほとんどであり、訳文には簡潔で厳密に表現できる漢語が好んで用いられた[54]。
初めは漢籍に典拠のあるような由緒のあるものが訳語として求められたが、翻訳のペースが追いつかず、徐々に字義のみを重視した生硬な表現が増えていった[54]。このようにして日本の漢語は、同音異義語の問題などを抱えることになった。
現代
煩雑な漢字の使用を制限しようとする勢力は戦前から存在したが、第二次大戦後それは実権力をもって施行された。代表的なものに当用漢字による漢字の制限がある。これにより日常使用頻度の少ない難解な漢字が廃止、整備され、代替となる新語もいくつか作られた。これには「涜職」(とくしょく)、「梯形」(ていけい)などの代用として考案された「汚職」(おしょく)、「台形」(だいけい)などの語がある[55]。
最近では、計算機技術の発達に伴い、漢字の電算処理も以前に比べてはるかに容易になった。それに伴い、表現の幅を狭める漢字政策への見直しの声が高まり、規制の緩和が徐々に進められている[56]。
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